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1巻
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しおりを挟む突然、目の前が眩く光り、私は意識を失った。
そして次に目を覚ますと……そこは見知らぬ場所だった。
映画なんかで見る中世のお城に近いかもしれない。奥の方に、王様が座る椅子、玉座がある。その奥の方から手前まで、大きな柱が何本も並んでいた。だけど、二階部分に光を取り込む窓がいくつも備えられていることもあってか、暗いとか狭いって印象はない。ただ、遠巻きに私を取り囲むように、鎧を着た人やなんだか豪勢な格好をしている人達がいて、ちょっと怖い。何ですか、これは?
「おお! 召喚に成功したぞ!」
しょうかん? ゲームなんかで竜とかを呼び出す召喚のこと?
でも、竜やそれに近い生き物はいないし……みんな、私を見てる。召喚されたのって、もしかして私?
……違う。私だけじゃない。両隣に、というにはちょっと遠いけど、誰かいる。
右隣には日本の学生服を着た茶髪の男子がポカンとした表情で座り込んでいた。そのまま左手に視線を移す。
「っ!」
そこにいる人を見た瞬間、私の心臓が飛び跳ねた。身体が恐怖に震える。
金色に染めた長い髪に、私が通っていた高校の学生服を着た、吊り目の女性……姫ちゃんだ。結城姫乃ちゃん、私の知っている人だった。
「あれ? あんた里奈じゃん」
里奈……江藤里奈。それが私の名前。
彼女もこの状況に混乱してるみたいだったけど、私の顔を見てニヤリと笑う。反対に、彼女からさっと目を逸らした私の顔は、青ざめているだろうって自分でも分かる。
「ぷっ……ぎゃはははは! あんた、メチャクチャデブになってんじゃん! 相変わらず眼鏡だけど、豚じゃん、豚!」
姫ちゃんは私を指さし、腹を抱えて笑い出す。
そう、私は彼女の言う通り、ブクブクに太っているのだ。この姫ちゃんに苛められて引きこもりになったのがそもそもの原因ではあるのだけれど……家から出られなくなった私は、暴飲暴食の日々を過ごしていた。そのせいで以前は痩せていたのだけど、今は体重が九十キロもある。服装は学校のジャージ姿。これがまた恥ずかしさを倍増させていた。なんでこんな格好の時に……って、いつもこんな格好だけど。
私は悔しさと恥ずかしさを抱きながら、俯いたまま姫ちゃんの笑い声を聞いていた。
私達の様子を見て、周囲にいる人達もクスクスと笑い出す。皆私のことを笑っているのだ。恥ずかしい……どんな罰ゲームでこんな場所に? もうこれまで充分地獄を味わってきたんだから勘弁してほしい。俯いたまま、早く終われと周囲の様子を窺う。
隣にいる男子もニヤニヤと笑っていたけれど、ひと段落ついたところで、目の前にいる一番高貴そうな人に声をかけた。
「それより、なんだよここは?」
「おお、すまない。ここはメロディア。私はメロディアの国王じゃ。ここはお前達から見れば別の世界じゃな」
この人が王様だったんだ。でも、それよりもっと気になることがある。彼もそこが気になったようでそのまま聞いてくれた。
「別の世界?」
「ああ。この世界にはお前達の世界とは違い、モンスターと呼ばれる存在がおる」
「モンスターって……ゲームの世界かよ!」
「ゲームというのはよく分からんが……モンスター、という概念自体は通じるのじゃな? とにかく、そやつらがいるだけでこの世界の土地が痩せ、自然が失われていくのだ。モンスターというのは自然の中にあるマナという物を吸い取って生きておるのでな」
「それで、姫らがここに呼び出された理由は何? つまんない話だったら、姫、怒るかんね」
姫ちゃんは髪を指先でクルクルしながら王様にそう言った。視線は合わさず、髪を見ながら。突然こんな場所に呼び出されて、彼女だって戸惑っているし、怯えているだけの私と違って、怒っている気がする。
そんな様子に、王様はあたふたし始める。
「お、お前達には頼みがあって召喚をさせてもらったのだ」
「あのさ、まずその召喚ってなんなわけ? まずはそこから説明してくんない? このデブにも分かるようにさ」
視線で私を示そうとして、また噴き出す姫ちゃん。皆も笑いそうになってなんとか堪えているみたいだ。私はまた俯いて、胃痛を感じ始めながら王様の話に耳を傾ける。
「召喚とは、別の世界から人を呼び出す術の事じゃ……そしてお前達を召喚したのは他でもない、そのモンスター達の支配者、魔族王を倒してほしいからじゃ」
「魔族王? いや、そんなの倒す力なんてねえし」
茶髪の男子は鼻で笑いながらそう言った。
そりゃそうだ。私も姫ちゃんも、そしておそらくこの人も普通の人間。そんな私達に、魔族王だなんて物騒な人を倒すことなんてできやしない。
召喚するなら、もっと強い生物を呼んだ方が良かったんじゃない? ライオンとかゾウとか。そんなのでモンスターに勝てるとも思えないけど。
「いや、召喚された者は召喚された時、規格外のスキルを与えられると言われておる」
「スキル? なんだそりゃ?」
「人それぞれに与えられた才能のようなものだ。それを調べるには――」
王様はスッと懐から大きな球を取り出した。占い師が使ってそうな大きな宝玉だ。
「これに触れれば、お前達のスキルを調べることができる」
「ふーん……」
茶髪の男子は少し愉しそうに、その宝玉に手で触れる。すると宝玉が光り、表面に文字が浮かび上がってきた。
「……【勇者】だとよ」
「【勇者】! これは間違いなく私達が望んでいたスキルの持ち主! やはり規格外れの力を有しているか!」
周囲に歓声が響き渡る。それを見た姫ちゃんはニヤッと笑って、男子を押しのけ宝玉に触れる。
「姫はどうなのよ?」
またパッと光る宝玉。浮かび上がった文字を見て、姫ちゃんが口を開く。
「【大魔導】って……どうなの?」
「【大魔導】! それも凄まじいスキルに違いない! この二人がいるだけで、世界は救われるぞ!」
「ま、流石姫って感じ? やっぱヤバいよね~」
姫ちゃんはその名のとおり、周囲からお姫様扱いされるのが大好きで、学校でもいつも誰かに自分のことを褒めさせていた。誰もかれもが彼女を褒め称えるこの状況は、とても嬉しいに違いない。まぁこれだけ人から賞賛されて、嬉しくない人はいないか。
「里奈。次はあんたがやりなさいよ」
そう言う姫ちゃんの顔は笑みを浮かべたままだけれど、笑顔の種類はさっきと別だとはっきりわかった。私を蔑む顔、学校でよく見た顔だ。彼女にイジメられていた時の記憶が蘇る。
その顔を向けられると、今でも逆らうことができなくて……無言で頷き、ひんやりとした宝玉に手を触れた。
二人の時と同じように光を放つ宝玉。文字も同じように浮かび上がった。
……でも……これは……
「で、あんたのスキルはなんだったの?」
「……マ、【マイホーム】……」
「【マイホーム】って、家!? 何それ! マジ面白いんだけど!!」
大爆笑する姫ちゃん。これには王様達も大声で笑い、見下すような視線を私に向ける。どうやら大外れのスキルのようで、恥ずかしくて顔が上げられない。
しばらくして、ようやく笑うのを止めた王様達は、会話の続きを始めた。
「まぁ、二人のスキルがあれば問題ないであろう。すまんが、世界を救ってくれまいか?」
「ええ~どうしよっかな~」
髪を指でいじる姫ちゃん。まんざらでもないような顔をしている。
「俺は別にいいぜ。モンスターと戦う勇者って、面白そうだしな。あ、俺は下柳勝也。よろしくな」
「姫は結城姫乃。気軽に姫って呼んでくれていいわ。仕方ないから、姫も世界を救ってあげる」
「カツヤにヒメか。いい名だ」
「わ、私は……」
「あ、お前の名前はいいから。外れスキルの豚になんて用はねえよ」
下柳くんがそう言い放つと、また大爆笑が湧き起こる。私は泣き出しそうなのを我慢して、震える声で王様に訴えた。
「わ、私は帰ります。だから今すぐに帰してください……」
「ああ、すまん。召喚は一方通行でな。私の力で帰してやることはできんのだ」
「ええ……? じゃあ私はこれからどうすれば……?」
「この二人に付いて行って、世界を救って来い。人間が所持している召喚とは逆に、魔族王は他の世界に転移する術を所持していると聞く。戻るには魔族王からその術を奪い、我が物にしなければならない。帰りたかったら二人の役に立ち、その術を手に入れるのだな」
王様は完全に私のことを見下しているようだった。
王様の目の前で私をこれだけバカにする二人……姫ちゃんに至っては、私をイジメていた人なのに、そんな二人について世界を救ってこい? そんなの……絶対に無理だよ。
「ってかさぁ。里奈みたいな眼鏡デブに付いてこられるの、こっちから願い下げなんですけど。まぁ、前みたいに姫の玩具でいいんだったら傍に置いておいてあげてもいいけどねぇ」
ゾクリと背筋が冷える。学校でのことを思い出す。
嘲笑され、暴力を振るわれ、羞恥に満ちた地獄の日々。
嫌だ。姫ちゃんと一緒にいるだなんて、絶対に嫌だ!
「い、嫌だ……私、嫌だよ」
叫ぼうと思ったけど、震える声で絞り出すのが精いっぱいだった。
「だったらデブは出て行け! お前なんてこっちから願い下げよ!」
「そうだそうだ! 眼鏡豚はさっさと出て行け!」
「…………」
私を侮辱する姫ちゃんと下柳くん。王様達も二人の後ろで笑っているようだった。
私はいたたまれず、悲しみと恥ずかしさに耐えながらその場を逃げ出した。
外がどうなっているのか分からない。これからどうすればいいのか分からない。
だけど、どんな状況だろうと、姫ちゃん達と一緒に行動するぐらいなら一人の方がマシだ。
その思いのままに城を飛び出したら、大きな町が広がっていた。ぜえぜえ息を吐きながら、周りの人達を見渡す。海外の人みたいな見た目の人ばかりだ。それだけなら日本以外の国かなって感じだけど、武器を持っている人や商人のような人、ゲームでしか見たことのないような人達が当たり前のように歩いている。
本当に、異世界に来たんだ。
これからどうしよう……どこに何があるのかさえ分からない。それに、引きこもっていたせいで人と話をするのが苦手になっているから、人が通りかかっても何も聞けない。まるで迷子の子供だ。何をすればいいのか、どうすればいいのか分からない。
本当に子供だったら、ここで泣いてれば誰かが助けてくれるんだろうけど。
「…………」
私は子供じゃないし、泣いたって誰も助けてくれないのに、涙が溢れてくる。
なんて無責任な王様。なんて意地悪な同級生。なんて辛い現実。
私は……これからこんな世界で、一人で生きていかなければいけないんだ。いや、こんなところ、私一人で生きていけるはずがない。八方塞がりだ。
せめて他の誰かの迷惑にはならないように、と道の脇に寄って涙が止まるのを待っていると、前を横切った親子の会話が耳に入った。
「いいかい、東にある崖には近づいちゃダメだよ。いいね」
「はーい」
お母さんが自分の子供に言い聞かせている。
東にある崖……一体そこに何があるのだろう。不思議とそれが気になって、東を目指すことにした。
どうせやるべきこともやりたいこともない。何気ない会話の中でも子供に言い聞かせるぐらい危険な場所なんだろうけど、もし死んでしまったとしても、それはそれで構わないとすら思ってしまった。だって、こんな場所で一人で生きていく自信もないし。
ため息をついて、町から出る。
町の外は草原だった。緑がどこまでも広がっていて、気持ちのいい風が吹いている。こんな状況でも、ちょっぴり心が癒されるようだった。
「えーっと……東ってこっちだよね?」
ハッキリとした方角は分からないが、さっきのお母さんがこちらの方を指さしていた。だからこっちが東だと思うんだけど……悩んでいても仕方ない。とにかく歩いて行こう。違ったら違ったらでいいや。
そう思って歩き出したところで、早々に足を止めなくちゃいけない事態に遭遇した。遠くの方に、王様が言っていたモンスターらしき姿が見えたのだ。緑色の肌に子供のような身体。顔はまるで鬼のようだ。前の世界のゲームに出てきたゴブリンに近いかな、こっちでもゴブリンって言うんだろうか?
そんなことを考えて恐怖心を紛らわせながら、コソコソ隠れるようにして歩く。ゲームでは序盤の倒しやすい敵であることが多いけど、今の私が見つかったら間違いなく殺される。
だって私のスキルは【マイホーム】なんだから。どんなスキルなのかよく分かってないけど、少なくとも戦闘では全くの役立たずに違いない。そりゃ姫ちゃん達に追い出されるのも仕方ないというものだ。追い出されなくても、姫ちゃんとは一緒にいたくないけれど。
ありがたいことに緑色のモンスターに見つかることなく、私は道を進むことができた。
しかし東って……どこまで行けばいいの?
歩き出して数分、すでに私は息を切らしていた。マラソン選手が大会に出場して完走しきった直後のようだ。引きこもりに運動はキツい。それに体型が体型だからな……自分のお腹をつまんで、うっすらと自嘲の笑みを浮かべる。
引き返そうかな、なんて考えがちらっとよぎるけれど、引き返したところで誰も私を助けてくれないし、他に当てもない。戻ったところで惨めな思いをするだけだ。
結局、私は諦めのような気持ちで、トボトボと道を歩くしかなかった。
「い、いったいどこまで歩けばいいのぉ……?」
数時間後、崖の近くっぽい地形にはなったけれど、崖そのものはまだ現れない。こんなことなら崖なんて目指すんじゃなかった。子供に注意するくらいだから、小さい子でも簡単に行ける距離だと思ってた。
別に強制されたわけじゃないから嫌なら止まればいいのに、ここまでくると一種の意地みたいなもので、私はひたすら足を引きずっていた。でももう無理、もう死にたい、誰か殺して。
少し離れたところに緑色のモンスターがいる。あのモンスターの前に出れば私なんてさくっと殺されるだろう。
「…………」
やっぱり殺されるのは勘弁。死んでもいいと考えていても、殺されるのは嫌だ。
足を引きずり、さらに東を目指す。ようやく、崖らしきものが見えて来た。
「崖だ……!」
妙な達成感を覚え、私はドバドバ涙と汗を流しながら、最後の力を振り絞って崖まで走った。
そのまま崖の下を見下ろす。黒い霧がかかっていて底が見えない。禍々しい雰囲気だ。なるほど、確かにこれは近づい達ゃダメだ、と肌で感じる。
しばらく立ち止まって眺めていたら、達成感と替わるように徒労感が押し寄せて来た。
「こんなところまで来ておいて、危険を確認して終わり?」
無意識に言葉を漏らす。何時間も歩いて来て、結果がこれでは救われない。そもそも、なんでこんなところが気になって、ここまで来ちゃったんだろう?
一度疑問が浮かぶと、全て悪い方に考え始めてしまう。なんか、全然いいことがないなぁ。いつから私の人生、こんなになっちゃったんだろ。涙がこぼれる。さっきから泣いてばっかりだ。
――この崖から落ちて、人生を終わらせてみるのも悪くないかも。
この世界に来てからちらついていた『死』という未来が、さっきより具体的な選択肢として頭に浮かぶ。
「……いやいや、やっぱり死ぬわけにはいかないや。折角お父さんとお母さんにもらった命なのに」
こんなところにいるから馬鹿なことを考えてしまうのだと、踵を返しこの場を立ち去ろうとした。しかし、その瞬間、私の足元の地面が崩れ落ちた――崖の一部が崩れて、落下してしまったのだ。
ああ、これは死んじゃうな。
走馬灯の代わりにそんな諦めを抱きながら、私は黒い谷底へと吸い込まれていった。
* * *
谷底、黒荒地と呼ばれるその場所には、黒いドラゴンがいた。
夜の如く黒い鱗に鮮血のような紅い瞳。生きとし生ける者全てが畏怖の念を抱くほどの巨体に鋭い爪。尻尾は大木のように太く長い。右前足には龍の鱗で作られた二対の腕輪がある。
そんなドラゴンは今、黒い霧がかかった荒地で、一人身体を丸めていた。
彼は孤独なのだ。これまでずっと独りで生きてきた。孤独は彼の心を氷のように冷たく、強くした。
独りでも生きていけるように。独りでも誰にも負けないように。独りでも涙を流さないように。
ずっと独りだったドラゴンは強くなり続け、いつしか邪龍などと呼ばれるようになっていた。
邪龍ヴォイドドラゴン――それが今の彼の名前だった。
ヴォイドドラゴンは、まどろみながら思考する。
これまでも、そしてこれからも独りで生きていく。自分以外の他の誰かなんて必要じゃない。
邪魔なだけだ。自分は全ての生物から忌避される運命にある。だから何もいらない。強さ以外は何もいらない……
そんな彼の頭上から、何かが降ってくるのが見えた。霧のかかった空を見上げ、禍々しい瞳を細めてその正体を視認する。
それは人間であった。この世界では珍しく眼鏡をかけ、平均よりも酷く肥えた人間だ。
崖から転落したのか……
ヴォイドドラゴンは空から落ちるその人間を見上げた。そのままそ墜落死するまで捨て置くか、死ぬ前に食らって一時の腹の足しにするか、普段であればその程度の選択しかなかった。
――だから、この時の彼の行動を、彼自身でさえ当時は理解できなかった。
あの子を助けるんだと心が叫び、何か考えるより先に翼を広げた。
それはきっと運命だったのだろう。空から落ちる人間――里奈とヴォイドドラゴンは出逢う運命にあったのだ。その運命がヴォイドドラゴンの背中を押す。
ヴォイドドラゴンは里奈の落下地点へと急いだ。そして衝撃を与えないよう、赤ん坊に触れるように柔らかく優しく、背中に彼女の体を乗せる。
「…………」
怪我はない。だが意識もない。このまま放っておけば、彼女は死んでしまうであろう。この黒い霧は人間が『瘴気』と呼ぶもので、人間が瘴気のある場所に何の対処もなく入り込めばすぐに死んでしまうと彼は知っていた。
この人間を死なせないですむ方法は二つある。
一つは自分が空気の新鮮な場所まで運んでやること。
そしてもう一つは、自分の血を分け与えること。龍の血を飲んだ者には力が与えられる。それが邪龍の血となれば、こんな瘴気ぐらい問題ないぐらいには身体が強くなるはずだ。
それらを当たり前のように検討している自分に気づいて、ヴォイドドラゴンは自分自身を嘲笑う。
「……人間に自分の血を分け与えるのか? 馬鹿馬鹿しい」
自分の背中から里奈を下ろし、彼女を地面に寝そべらせる。そのまま里奈に背中を向け、その場で眠りにつこうとした。しかし、背後で横たわる里奈のことがどうしても気になり、彼女の方を振り向く。
「人間なんて、どうでもいいっていうのに……なんでこいつに限って……」
だがそこでヴォイドドラゴンは気づく。
彼女は――俺だと。
誰にも助けられず、こんな黒い世界で孤独に死んでいこうとしているその姿は、強くなることが出来なかった場合に自分に待ち受けていた末路そのものじゃないか。
いつかどこかで誰かが言っていたことを思い出す。
『優しくしてもらいたいなら、優しくしなさい』
周りを気に掛けることなく孤独に生きてきたから、誰が言ったのかは思い出せない。だけど何故か、その言葉は心に突き刺さったままだ。いつもは忘れているのに、ふとした時にこうして思い出す。今までは、優しくしたぐらいで優しくなんてしてもらえるはずがないと、その言葉が脳裏をよぎるたびに思っていた。
「……だけど」
もしも、その言葉が本当だったら?
ヴォイドドラゴンは自分の指先を爪で傷つけた。数滴滴る赤い血を、里奈の口元に垂らす。里奈は意識のないまま、それをゴクリと飲み込む。熱にうなされるようだった表情が、一気に快方へと向かっていく。ヴォイドドラゴンはその様子を無言で見下ろしていた。
そうしていると、ゆっくりと里奈の目が開く。
「ん……」
里奈は目を開き、自分の目の前に立つヴォイドドラゴンの姿に顔面蒼白となった。
「え……えええっ!?」
悲鳴に近い声をあげて、両腕で自分自身を抱きしめるようにして、ガタガタ震え始める。
また同じか……誰もがそうだ。自分のことを怖がるんだ。誰もが、俺を忌み嫌うんだ。
そう考え、ズキンと心に痛みを覚えるヴォイドドラゴン。
しかし、里奈は違った。腕に触れたことで傷がないことに気づいたのだろう、はっとした顔をした後に、ヴォイドドラゴンの顔と翼を見て、その身体の震えを止めたのだ。
「あの……もしかして、貴方が助けてくれたんですか?」
「…………」
「……ありがとうございます。おかげさまで死なずにすみました」
里奈の真っ直ぐな笑顔。それはヴォイドドラゴンが初めて見る、優しい光景であった。
黒い大地で、白く輝くその笑顔に、ヴォイドドラゴンは照れ臭くなり、里奈から赤い瞳を逸らすのであった。
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