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2話
暗がりに身を潜めたコンスタンスの瞳に、街灯の鈍い光が反射する。
ケビンの腕に抱かれ、甘ったるい声を出す女――マーシャ。彼女が纏っているのは、コンスタンスが以前から欲しがっていた最高級のシルクを使ったドレスだった。
「まあ、ケビン様。あちらの馬車、あんなに地味で古臭い……。あのようなものに乗る方が、この街にもいらっしゃるのね」
「ふん、気にするなマーシャ。世の中には、分不相応な場所へ紛れ込む身の程知らずもいるということだ。お前には、もっと煌びやかな世界が似合っているよ」
ケビンはマーシャの肩を抱き寄せ、彼女の耳元に唇を寄せた。
コンスタンスはその光景を冷ややかに見つめながら、拳を握りしめる。
――身の程知らず、ですって? その馬車の代金も、あなたの着ている上着も、元を辿れば我が家との婚約による支援があってのことなのに。
コンスタンスは彼らの後を追うことに決めた。
ケビンはマーシャを自身の馬車に乗せず、別の、紋章の付いていない雇い馬車へと彼女を案内した。どうやら、表向きは慎重を期しているつもりらしい。
「では、マーシャ。明日の夜、いつもの場所で待っているよ。例の首飾りの続き……、指輪も用意してあるからな」
「嬉しい! 大好きですわ、ケビン様。……それじゃあ、また明日」
マーシャを乗せた馬車が走り出す。
ケビンは満足げな笑みを浮かべて自分の馬車に乗り込み、屋敷の方角へと消えていった。
コンスタンスは待機させていた自分の馬車へ戻り、御者に指示を飛ばす。
「あの、女の方の馬車を追って。決して気づかれないように」
「承知いたしました、お嬢様」
馬車は裏通りを抜け、次第に少し品位の落ちる住宅街へと入っていった。
やがてマーシャの馬車が止まったのは、中堅貴族が住まうエリアの端にある、こぢんまりとした邸宅の前だった。
コンスタンスは馬車から降り、再びフードを深く被る。
マーシャは周囲を警戒することもなく、鼻歌混じりに邸宅の門を潜った。
コンスタンスはその後を追い、庭の植え込みに身を隠しながら、明かりの灯った窓へと近づく。
「……あら、もう戻ったの? 早かったじゃない」
開いた窓から、別の女の声が聞こえてきた。コンスタンスは息を殺し、耳を澄ませる。
「ええ。ケビン様ったら、本当に単純なんですもの。少し甘えただけで、次の指輪まで約束してくださったわ」
「ふふ、あのお坊ちゃんも運がないわね。まさか自分が、借金塗れの家の娘に貢がされているだけだとは夢にも思っていないでしょうに」
マーシャの高笑いが聞こえる。
コンスタンスは目を見開いた。
「だって、あの人、私の前では『コンスタンスという婚約者は地味で、自分がいなければ何もできない哀れな女だ』なんて偉そうに語るんですもの。おかしくて堪えられなかったわ」
「でも、いいの? 彼、家柄だけは立派だけど、中身は空っぽじゃない」
「いいのよ。彼が私に貢いでくれる限りは、素敵な『お財布』ですもの。それに、実はね……。他にももっと羽振りのいい殿方を見つけたの。ケビン様には、適当なところで別れを告げて、その方に乗り換えるつもりよ」
マーシャの言葉に、コンスタンスの唇に冷酷な笑みが浮かんだ。
――なるほど。ケビン様、あなたは裏切っているつもりが、実は裏切られていたのですね。
ケビンは、自分がコンスタンスよりも上位に立ち、マーシャという「可憐な弱者」を守っているつもりでいたのだろう。しかし実態は、格下の令嬢に掌の上で転がされているだけの道化師に過ぎない。
コンスタンスは懐から小さな手帳を取り出し、邸宅の場所と、今聞いた会話の内容を克明に記した。
さらに窓の中を覗き込むと、マーシャが宝石箱を開け、中に入っているいくつもの高価な宝飾品を眺めているのが見えた。その中には、ケビンが「公務で必要だ」と言ってコンスタンスの父から融通してもらった資金で購入したものも含まれているはずだ。
「……愚かな人」
コンスタンスは確信した。
ただ浮気を告発するだけでは、この怒りは収まらない。
ケビンが信じている「男としてのプライド」と「マーシャからの愛」、その両方を完膚なきまでに叩き潰さなければならない。
立ち去ろうとしたその時、邸宅の前に新たな馬車が止まった。
紋章はないが、非常に格式の高い、見事な装飾の馬車だ。
中から降りてきた人物の姿を見て、コンスタンスは思わず息を止めた。
燃えるような金髪に、彫刻のように整った顔立ち。
夜の闇の中でも隠しきれない圧倒的な気品。
それは、この国の王子、ライナスだった。
――なぜ、王子殿下がこのような場所に?
ライナスは慣れた足取りでマーシャの邸宅へと向かっていく。
マーシャが「乗り換えるつもり」だと言っていた「羽振りのいい殿方」とは、まさか……。
コンスタンスの頭の中で、複雑なパズルが組み合わさっていく。
もし、ケビンの浮気相手が、王子とも通じているとしたら。
これは単なる男女の縺れを越えた、大きなスキャンダルになる。
ケビンの腕に抱かれ、甘ったるい声を出す女――マーシャ。彼女が纏っているのは、コンスタンスが以前から欲しがっていた最高級のシルクを使ったドレスだった。
「まあ、ケビン様。あちらの馬車、あんなに地味で古臭い……。あのようなものに乗る方が、この街にもいらっしゃるのね」
「ふん、気にするなマーシャ。世の中には、分不相応な場所へ紛れ込む身の程知らずもいるということだ。お前には、もっと煌びやかな世界が似合っているよ」
ケビンはマーシャの肩を抱き寄せ、彼女の耳元に唇を寄せた。
コンスタンスはその光景を冷ややかに見つめながら、拳を握りしめる。
――身の程知らず、ですって? その馬車の代金も、あなたの着ている上着も、元を辿れば我が家との婚約による支援があってのことなのに。
コンスタンスは彼らの後を追うことに決めた。
ケビンはマーシャを自身の馬車に乗せず、別の、紋章の付いていない雇い馬車へと彼女を案内した。どうやら、表向きは慎重を期しているつもりらしい。
「では、マーシャ。明日の夜、いつもの場所で待っているよ。例の首飾りの続き……、指輪も用意してあるからな」
「嬉しい! 大好きですわ、ケビン様。……それじゃあ、また明日」
マーシャを乗せた馬車が走り出す。
ケビンは満足げな笑みを浮かべて自分の馬車に乗り込み、屋敷の方角へと消えていった。
コンスタンスは待機させていた自分の馬車へ戻り、御者に指示を飛ばす。
「あの、女の方の馬車を追って。決して気づかれないように」
「承知いたしました、お嬢様」
馬車は裏通りを抜け、次第に少し品位の落ちる住宅街へと入っていった。
やがてマーシャの馬車が止まったのは、中堅貴族が住まうエリアの端にある、こぢんまりとした邸宅の前だった。
コンスタンスは馬車から降り、再びフードを深く被る。
マーシャは周囲を警戒することもなく、鼻歌混じりに邸宅の門を潜った。
コンスタンスはその後を追い、庭の植え込みに身を隠しながら、明かりの灯った窓へと近づく。
「……あら、もう戻ったの? 早かったじゃない」
開いた窓から、別の女の声が聞こえてきた。コンスタンスは息を殺し、耳を澄ませる。
「ええ。ケビン様ったら、本当に単純なんですもの。少し甘えただけで、次の指輪まで約束してくださったわ」
「ふふ、あのお坊ちゃんも運がないわね。まさか自分が、借金塗れの家の娘に貢がされているだけだとは夢にも思っていないでしょうに」
マーシャの高笑いが聞こえる。
コンスタンスは目を見開いた。
「だって、あの人、私の前では『コンスタンスという婚約者は地味で、自分がいなければ何もできない哀れな女だ』なんて偉そうに語るんですもの。おかしくて堪えられなかったわ」
「でも、いいの? 彼、家柄だけは立派だけど、中身は空っぽじゃない」
「いいのよ。彼が私に貢いでくれる限りは、素敵な『お財布』ですもの。それに、実はね……。他にももっと羽振りのいい殿方を見つけたの。ケビン様には、適当なところで別れを告げて、その方に乗り換えるつもりよ」
マーシャの言葉に、コンスタンスの唇に冷酷な笑みが浮かんだ。
――なるほど。ケビン様、あなたは裏切っているつもりが、実は裏切られていたのですね。
ケビンは、自分がコンスタンスよりも上位に立ち、マーシャという「可憐な弱者」を守っているつもりでいたのだろう。しかし実態は、格下の令嬢に掌の上で転がされているだけの道化師に過ぎない。
コンスタンスは懐から小さな手帳を取り出し、邸宅の場所と、今聞いた会話の内容を克明に記した。
さらに窓の中を覗き込むと、マーシャが宝石箱を開け、中に入っているいくつもの高価な宝飾品を眺めているのが見えた。その中には、ケビンが「公務で必要だ」と言ってコンスタンスの父から融通してもらった資金で購入したものも含まれているはずだ。
「……愚かな人」
コンスタンスは確信した。
ただ浮気を告発するだけでは、この怒りは収まらない。
ケビンが信じている「男としてのプライド」と「マーシャからの愛」、その両方を完膚なきまでに叩き潰さなければならない。
立ち去ろうとしたその時、邸宅の前に新たな馬車が止まった。
紋章はないが、非常に格式の高い、見事な装飾の馬車だ。
中から降りてきた人物の姿を見て、コンスタンスは思わず息を止めた。
燃えるような金髪に、彫刻のように整った顔立ち。
夜の闇の中でも隠しきれない圧倒的な気品。
それは、この国の王子、ライナスだった。
――なぜ、王子殿下がこのような場所に?
ライナスは慣れた足取りでマーシャの邸宅へと向かっていく。
マーシャが「乗り換えるつもり」だと言っていた「羽振りのいい殿方」とは、まさか……。
コンスタンスの頭の中で、複雑なパズルが組み合わさっていく。
もし、ケビンの浮気相手が、王子とも通じているとしたら。
これは単なる男女の縺れを越えた、大きなスキャンダルになる。
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