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本編
10-2
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公国で一般的に売られている『フランジア王国誕生物語』なる絵本と内容がほぼ同じで、マシェリも幼い頃母に読んでもらった記憶がある。そのおかげもあって、すらすらと読み進められた。
ベッド上のグレンからも、今のところ苦情は出ていない。このまま何事も起こらない内に、眠ってくれれば。淡い期待を抱きつつ、終盤近くまで無事読み終えたマシェリは、文字を辿っていた指先をぴたりと止めた。
(これ……テラナ公国で読んだのと少し内容が違うわ)
マシェリが昔読んだ絵本では、水竜と姫は結局結ばれずに終わるのだ。それでも水竜は、愛する姫が幸せに暮らせるよう、帝国の前身であるフランジア王国を創った。そう、締め括られていた。
しかしこの本に書かれたラストは、それとはまるで違う。
(もしこの物語が本当なら、陛下たちは)
「どうかしたの? マシェリ」
呟きが耳に入ってしまったらしい。少しとろんとした顔で、ベッドのグレンが聞いてくる。
柔らかなランプの光に照らし出された、陰影付きの端正な顔立ちは、あまり近くで見せられると心臓によろしくない。
マシェリはのぼせ上がる前に視線を逸らし、咳払いと共に椅子から立ち上がった。
「いっ、いいえ。何でもありませんわ」
「その割にずいぶん難しそうな顔してたけど? ……ああ、何だか目が覚めてきちゃったな」
グレンはベッドから降りると、ガウンを取り、窓の方へと立って行った。閉じられていたカーテンを両側へばさりと開く。
「おいで、マシェリ。――気分転換しよう。今夜は月がとても綺麗だから」
誘われるままテラスに出て行くと、流れていく雲の向こう側で、限りなく丸に近い月が輝いていた。
眼下に広がるテアドラ湖から吹き上がってきているらしく、思いのほか冷たい風が頬を伝っていく。マシェリは持ってきたショールを肩に掛けると、手すりに寄り掛かるグレンの隣に立った。
「本当に美しいですわね。月も、この湖も」
「……君は、水竜を見た事はあるの?」
「いいえ。けれど、本でなら何度も読みましたわ。翡翠色の鱗を纏い、燃えるような蒼い瞳を持つ、それは巨大で優美な姿の竜なのだとか」
「――それは、さっき読んだ本と同じ物かな」
マシェリは、小さく息を呑んだ。
グレンの艶やかな黒髪は、いつもと全く変わりない。
しかし、ガウンの襟からのぞく首元には――翡翠色の鱗が煌めいていた。
「この姿を見てあまり驚かないって事は、さっきあの絵本を最後まで読んだんだね」
蒼く光る瞳が、まっすぐにマシェリを見つめる。
「読み……ました。けれど、てっきりただの御伽話だと」
「あれは本当の話だよ。歌声の美しい姫と、姫を愛してしまった水竜の間に産まれた『半竜』が、僕達の先祖である初代フランジア国王なんだ。その血を受け継いだ陛下も僕も、月明かりの下では本来の姿と魔力を取り戻せる。――満月の夜は特に。国宝の蒼竜石は、死んだ水竜の左眼でね。その片一方の右眼はまだ、この湖のどこかに眠っている」
グレンが指で示した先を目で追えば、風の止んだ湖面に月が映っていた。
そこから水竜が顔を出して来るのではないか。そう思うと少々腰が引ける。後退りしたマシェリの肩に、グレンの手が回されてきた。
そのまま引き寄せられ、マシェリの体はグレンの腕の中へすっぽりと収められてしまう。
「初めて会った時から、君の事が好きだ。だから君にも僕の全てを好きになって欲しい」
見開かれたマシェリの新緑色の瞳に、湖面の僅かな飛沫が映る。月はただ静かに、広がっていく波紋を照らし出していた。
ベッド上のグレンからも、今のところ苦情は出ていない。このまま何事も起こらない内に、眠ってくれれば。淡い期待を抱きつつ、終盤近くまで無事読み終えたマシェリは、文字を辿っていた指先をぴたりと止めた。
(これ……テラナ公国で読んだのと少し内容が違うわ)
マシェリが昔読んだ絵本では、水竜と姫は結局結ばれずに終わるのだ。それでも水竜は、愛する姫が幸せに暮らせるよう、帝国の前身であるフランジア王国を創った。そう、締め括られていた。
しかしこの本に書かれたラストは、それとはまるで違う。
(もしこの物語が本当なら、陛下たちは)
「どうかしたの? マシェリ」
呟きが耳に入ってしまったらしい。少しとろんとした顔で、ベッドのグレンが聞いてくる。
柔らかなランプの光に照らし出された、陰影付きの端正な顔立ちは、あまり近くで見せられると心臓によろしくない。
マシェリはのぼせ上がる前に視線を逸らし、咳払いと共に椅子から立ち上がった。
「いっ、いいえ。何でもありませんわ」
「その割にずいぶん難しそうな顔してたけど? ……ああ、何だか目が覚めてきちゃったな」
グレンはベッドから降りると、ガウンを取り、窓の方へと立って行った。閉じられていたカーテンを両側へばさりと開く。
「おいで、マシェリ。――気分転換しよう。今夜は月がとても綺麗だから」
誘われるままテラスに出て行くと、流れていく雲の向こう側で、限りなく丸に近い月が輝いていた。
眼下に広がるテアドラ湖から吹き上がってきているらしく、思いのほか冷たい風が頬を伝っていく。マシェリは持ってきたショールを肩に掛けると、手すりに寄り掛かるグレンの隣に立った。
「本当に美しいですわね。月も、この湖も」
「……君は、水竜を見た事はあるの?」
「いいえ。けれど、本でなら何度も読みましたわ。翡翠色の鱗を纏い、燃えるような蒼い瞳を持つ、それは巨大で優美な姿の竜なのだとか」
「――それは、さっき読んだ本と同じ物かな」
マシェリは、小さく息を呑んだ。
グレンの艶やかな黒髪は、いつもと全く変わりない。
しかし、ガウンの襟からのぞく首元には――翡翠色の鱗が煌めいていた。
「この姿を見てあまり驚かないって事は、さっきあの絵本を最後まで読んだんだね」
蒼く光る瞳が、まっすぐにマシェリを見つめる。
「読み……ました。けれど、てっきりただの御伽話だと」
「あれは本当の話だよ。歌声の美しい姫と、姫を愛してしまった水竜の間に産まれた『半竜』が、僕達の先祖である初代フランジア国王なんだ。その血を受け継いだ陛下も僕も、月明かりの下では本来の姿と魔力を取り戻せる。――満月の夜は特に。国宝の蒼竜石は、死んだ水竜の左眼でね。その片一方の右眼はまだ、この湖のどこかに眠っている」
グレンが指で示した先を目で追えば、風の止んだ湖面に月が映っていた。
そこから水竜が顔を出して来るのではないか。そう思うと少々腰が引ける。後退りしたマシェリの肩に、グレンの手が回されてきた。
そのまま引き寄せられ、マシェリの体はグレンの腕の中へすっぽりと収められてしまう。
「初めて会った時から、君の事が好きだ。だから君にも僕の全てを好きになって欲しい」
見開かれたマシェリの新緑色の瞳に、湖面の僅かな飛沫が映る。月はただ静かに、広がっていく波紋を照らし出していた。
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