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本編
16-2
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口を尖らせるベルを一蹴し、ユーリィがテーブルから立ち上がる。
ターシャは紅茶のカップを片付けながら、少し戸惑い気味に口を開いた。
「侍従長、戻って来るなりベルの事で怒ってらっしゃいましたから、まだ何も話してはないんですけど……その、眉間のしわが凄いことになってて」
「ええ、そんなに怒ってるんですか? どうしよう! 鞭打ちされちゃう」
「ちょっと貴女は黙ってなさい。ーー変ね。フローラ様のその表情は、怒ると言うより、困った時にするものだわ」
ユーリィが顎に手をあてて考え込む。
侍従長のフローラは、フランジア帝国でも指折りの上流貴族、マクドイル侯爵家の三女。その類まれな機転と気遣いにより、異例の速さで侍従長まで出世したのだとか。
皇帝が幼少の頃から侍女として城に仕えているため、グレンの事も乳飲み児のころから知っている。母である皇妃が亡くなった後しばらくは、世話役としてグレンに仕えていたらしい。
(殿下の母親代わり、ということかしら)
つまり、マシェリにとっては姑同然だ。
ユーリィの話に耳を傾けながら全てのクッキーを焼き終えると、マシェリは少々緊張した足取りでフローラの待つ二階の客室へ向かった。
「侍従長、マシェリ様がいらっしゃいました」
ターシャに伴われて部屋に入ると、出迎えてくれた初老の女性が、マシェリを見たとたん破顔する。
「侍従長のフローラ・マクドイルです。初めまして、マシェリ様」
その見事な淑女の礼に、マシェリは目を見張った。
白髪混じりのひっつめ髪に、少し濃い水色のお仕着せ姿という、地味な格好でありながら、その所作は花が咲くような美しさ。
やや気遅れしながらマシェリも挨拶を返すと、にこにこしながらフローラが近付いてきた。
マシェリの前でピタリと足を止め、眼鏡の奥の目でじっと見つめてくる。
(な、何か不手際があったかしら……! お辞儀の角度とか……あっ、もしやドレスのつまみ方とか?)
早まる胸の鼓動を抑え、フローラとの間に流れる沈黙に耐えているとーー突然、両手で腰をわしっと掴まれた。
「きゃっ⁉︎」
「……細い」
悲鳴を上げたマシェリを無視し、ぼそりと呟く。
「な、な、な、なん、こ、腰を」
「どうやら、コルセットは必要ないようですわね。ーーラナ! 試着を始めるから、ドレス準備しておいて頂戴」
「はーい!」
手首に針山を巻いた、ややぽっちゃり気味の侍女が、奥の部屋から顔を出して応える。
フローラがそちらを向いた隙に、マシェリはドアぎりぎりまで後ずさった。
「い、いきなり何をなさるんです!」
「……まあ。ずいぶんと初々しい反応ですこと。これは、前途多難かもしれないわね」
頰に手をあて、なぜか物憂げにフローラがため息を吐く。
かちんときて、マシェリが言い返そうとした時、背後のドアが細く開いた。
「フローラ様、ユーリィです。入ってもよろしいでしょうか」
「あら、珍しいこともあるものね。貴女もようやくドレスに興味が湧いてきたのかしら」
「それは残念ながらありません」
苦笑いを浮かべつつ部屋へと入ってきたユーリィが、すぐさま両手を広げ、マシェリの前に立つ。
「……どういうつもり?」
「それはこちらの台詞です。これ以上、マシェリ様への無礼を黙って見過ごすわけにまいりませんわ」
「ユーリィ様……」
白銀の髪が揺れるユーリィの後ろ姿が、夢で見た誰かの背中と重なって見えた。
ターシャは紅茶のカップを片付けながら、少し戸惑い気味に口を開いた。
「侍従長、戻って来るなりベルの事で怒ってらっしゃいましたから、まだ何も話してはないんですけど……その、眉間のしわが凄いことになってて」
「ええ、そんなに怒ってるんですか? どうしよう! 鞭打ちされちゃう」
「ちょっと貴女は黙ってなさい。ーー変ね。フローラ様のその表情は、怒ると言うより、困った時にするものだわ」
ユーリィが顎に手をあてて考え込む。
侍従長のフローラは、フランジア帝国でも指折りの上流貴族、マクドイル侯爵家の三女。その類まれな機転と気遣いにより、異例の速さで侍従長まで出世したのだとか。
皇帝が幼少の頃から侍女として城に仕えているため、グレンの事も乳飲み児のころから知っている。母である皇妃が亡くなった後しばらくは、世話役としてグレンに仕えていたらしい。
(殿下の母親代わり、ということかしら)
つまり、マシェリにとっては姑同然だ。
ユーリィの話に耳を傾けながら全てのクッキーを焼き終えると、マシェリは少々緊張した足取りでフローラの待つ二階の客室へ向かった。
「侍従長、マシェリ様がいらっしゃいました」
ターシャに伴われて部屋に入ると、出迎えてくれた初老の女性が、マシェリを見たとたん破顔する。
「侍従長のフローラ・マクドイルです。初めまして、マシェリ様」
その見事な淑女の礼に、マシェリは目を見張った。
白髪混じりのひっつめ髪に、少し濃い水色のお仕着せ姿という、地味な格好でありながら、その所作は花が咲くような美しさ。
やや気遅れしながらマシェリも挨拶を返すと、にこにこしながらフローラが近付いてきた。
マシェリの前でピタリと足を止め、眼鏡の奥の目でじっと見つめてくる。
(な、何か不手際があったかしら……! お辞儀の角度とか……あっ、もしやドレスのつまみ方とか?)
早まる胸の鼓動を抑え、フローラとの間に流れる沈黙に耐えているとーー突然、両手で腰をわしっと掴まれた。
「きゃっ⁉︎」
「……細い」
悲鳴を上げたマシェリを無視し、ぼそりと呟く。
「な、な、な、なん、こ、腰を」
「どうやら、コルセットは必要ないようですわね。ーーラナ! 試着を始めるから、ドレス準備しておいて頂戴」
「はーい!」
手首に針山を巻いた、ややぽっちゃり気味の侍女が、奥の部屋から顔を出して応える。
フローラがそちらを向いた隙に、マシェリはドアぎりぎりまで後ずさった。
「い、いきなり何をなさるんです!」
「……まあ。ずいぶんと初々しい反応ですこと。これは、前途多難かもしれないわね」
頰に手をあて、なぜか物憂げにフローラがため息を吐く。
かちんときて、マシェリが言い返そうとした時、背後のドアが細く開いた。
「フローラ様、ユーリィです。入ってもよろしいでしょうか」
「あら、珍しいこともあるものね。貴女もようやくドレスに興味が湧いてきたのかしら」
「それは残念ながらありません」
苦笑いを浮かべつつ部屋へと入ってきたユーリィが、すぐさま両手を広げ、マシェリの前に立つ。
「……どういうつもり?」
「それはこちらの台詞です。これ以上、マシェリ様への無礼を黙って見過ごすわけにまいりませんわ」
「ユーリィ様……」
白銀の髪が揺れるユーリィの後ろ姿が、夢で見た誰かの背中と重なって見えた。
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