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第二章
進軍 その4
しおりを挟む眠りに落ちていたゲルシクは、胸騒ぎを感じてふと目を覚ました。
半身を起こして耳を澄ます。
気のせいではない。微かに兵たちの騒ぐ声が聞こえていた。
天幕を飛び出す。生まれたばかりの月の光は地上まで届かない。その闇のなかで、異変を感じた兵たちが辺りを見回していた。
「どうした」
ゲルシクの問いに答えることの出来る者はいなかった。
「ゲルシクどの!」
トンツェンが駆けつける。
「夜襲かもしれません。左翼のようです」
「儂は精鋭騎馬隊を率いて向かう。おまえは歩兵をまとめ、鉦を鳴らしながら追ってこい」
「はいっ」
騎馬兵たちはすでに臨戦態勢でゲルシクの指示を待っていた。愛馬に飛び乗り家来の差し出す槍を受け取ったゲルシクが「左翼だ!」と声をあげると、騎馬隊は一斉に走り出した。
右往左往する兵士たちに「後から来るシャン・トンツェンに従え!」と怒鳴りながらゲルシクは進んだ。精鋭騎馬隊はぴったりゲルシクに付き従う。調練では彼らを身体の一部であるかのように操ることが出来ている。実戦ははじめてだが、心中にはみじんも不安はない。厳しい訓練をともにした兵たちに対して、ゲルシクは絶対の信頼をおいていた。
喧噪がだんだんと近づいてくる。
前方からちりぢりに逃げて来た兵士が、騎馬隊に慌てて道を空けた。
「落ち着け! 鐘の音の合図に合流しろ!」
ゲルシクは叫びながら馬を飛ばす。
鼻孔に血の匂いが押し寄せてきた。
微かなたいまつの灯りが、前方で暴れ回る騎兵たちを浮かび上がらせる。
寝込みを襲われなすすべのない兵たちを屠っているのだ。
相手は千以上か。こちらは五百騎。
『まだまだ技量は唐の騎馬隊に遠く及ばない』と言ったルコンの声が頭をよぎる。
だが、闇のなか。
敵はこちらの正確な人数と技術を推し量ることは出来まい。
隊はゲルシクを先頭に、鏃のような形で突っ込んだ。
唐兵の隊列が乱れる。
ゲルシクはそのまま駆け抜け、素早く兵たちを反転させた。
トンツェンの姿はまだ見えないが、鐘の音は敵の背後から響いていた。
敵将がなにかを叫ぶと、敵の隊は驚くほどの素早さで横一列の陣形を整え、ゲルシクに迫ってきた。まるで黒い壁が襲いかかってくるようだ。ゲルシクも号令を発して隊を小さく固め、敵将のいると思しき陣の真ん中にぶつかっていった。
細面の、まだ年若い将の顔が、はっきりと見えた。ゲルシクは槍を振りかざす。
馳せ違う瞬間、ゲルシクは雄叫びをあげて敵将の首筋にむかって槍を振り降ろした。
その姿が消えた。将が巧みに馬を横に跳ねさせゲルシクの刃を躱したのだ。唐の騎馬隊はそのまま亡霊のようにゲルシクの隊をすり抜けて背後に駆け去った。
振り返ったときには、すでに彼らの姿は闇に飲み込まれ、見えなくなっていた。ゲルシクの臓腑を震わせる蹄の音も、次第に遠ざかり消えていく。
闇に慣れた目で足下を見回せば、転々と自軍の兵士の死骸が地面を濡らして転がっていた。
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