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第三章
鳳翔 その4
しおりを挟むみな、全身泥と血で真黒にまみれ、故郷へ向かう坂道を登っていた。騎馬では進めない悪路なので徒歩だ。
ルコンの左にはゲルシク、右にはラナンが歩いていた。
待ちかねていた「いくさらしいいくさ」の後だというのに、ゲルシクの機嫌は悪い。救援に駆け付けたのがラナンだったことに、納得がいかないのだろう。
「なぜシャン・ゲルツェンがいらしたのだ。まさかトンツェンに押し付けられたのではないだろうな」
ゲルシクはルコン越しに、責めるような声色でラナンに尋ねた。
ラナンは細い声で答える。
「トンツェンどのは関係ありません。あの、わたしもよくわからないのです」
「は? はっきりと申されよ」
ラナンが身体をこわばらせるのが分かった。ルコンはゲルシクをなだめる。
「ゲルシクどの、そのような言い方をされては、言いたいことも言えませんぞ」
「そうはおっしゃられても、こんなわけの分からぬことがあるか!」
ますます機嫌を損ねたゲルシクは、声をとがらせる。
「あのぉ、僭越ながらわたしからご説明申しあげてもよろしいでしょうか」
ラナンの背後から声をあげたのは、従者のケサンだった。ゲルシクはケサンをにらみつける。
「おう、家来であろうと遠慮はいらぬ。早く説明してくれ」
「ゴーさんが、ルコンさまの伝令を捕らえまして」
「なに? チャタがラナンどのの陣におったのか?」
驚いたルコンが声をあげると、ケサンはうなずいた。
「はい。われらの陣を通り過ぎようとしたので、ゴーさんが怪しんで話しかけたら逃げようとしたそうです」
「チャタはトンツェンどのに派遣したのだ。ラナンどのの軍はそれより先にいたのであろう」
「あ、そうなんですか? とにかく、国への使者であれば逃げるはずがないということで、ゴーさんは脱走を疑ったようです」
「で、チャタはなんと申したのだ?」
焦れたようにゲルシクが口をはさむ。
「それはわかりません」
「なんだ、結局わからないのか!」
ゲルシクはとうとう激高する。それでもケサンは動じることなくシレッとした顔で言った。
「ゴーさんから捕縛の報告を聞いただけで、殿が陣を飛び出してしまったので」
「なんでそんなことを?」
再びゲルシクに目を向けられたラナンは小さく身体を縮めながらもゲルシクの顔をしっかりと見て答えた。
「なんとなく、おふたりが心配になってしまって。これから帰るだけなのに脱走するなど、おかしいと思ったのです」
ラナンが馬に飛び乗って駆けて行ってしまったので、ケサンは急いで回りにいた数人の兵たちとともに馬に乗り、旗を掲げさせてあとを追った。途中トンツェンとツェンワの陣にぶつかったが、説明している暇がない。そのまま通り抜けた。ようやくラナンに追いつくと周囲にいた兵を集めて五百騎程を整え、十日かけて進軍した坂道を二日で一気に下り、その勢いで呂日将の隊に突っ込んだのだという。
「なんと無謀なことをなさるのか」
ルコンは笑い出すと、ラナンは顔を赤らめてうつむいた。
「申し訳ございません」
ゲルシクは表情をやわらげた。
「なるほど、そうであったか。まあ、こたびはおかげで助かったのだから礼を申す。だがシャン筆頭尚論として軽率すぎる行動ですぞ。ナナムは陛下の最も身近で国を支えねばならぬ家だ。その家長の自覚をもっていのちを大切にされよ」
ゲルシクが言うと、ラナンは目を見張ってゲルシクの顔を見つめた。
「なんだ。どうされた」
「お認めくださるのですか?」
「なにをおっしゃっているのだ。儂が認めようが認めまいが、立派に務められてらっしゃるではないか」
「殿はゲルシクさまに認めていただきたいのですよ」
ケサンが言い添えると、ゲルシクは心外だというようすで言った。
「はじめから認めておるぞ。資格のない者に、陛下が家督相続のお許しをくださるわけがないではないか」
「えー、とてもそうは見えませんでしたけどねぇ」
ケサンのからかうような調子に、ルコンは吹き出してしまう。ゲルシクはムキになった。
「認める、認める。認めておる。何度でも言ってやるぞ。おや、なんで泣いておられるのだ、シャン・ゲルツェン。認めると申すのに」
ラナンは袖に顔を埋め、泣きじゃくっていた。ルコンが背をなでてやると、しゃくりあげながら途切れ途切れに言う。
「ありがとうございます。それにふさわしい者となるよう、努力いたしますので、これからもよろしくご教示くださいませ」
ゲルシクは眉を下げた。
「だから、もうふさわしい者だと言っておるではないか。まるで儂がいじめているようだ。勘弁してくだされ」
「はい、申し訳ございません」
ラナンは顔をあげると、涙を流しながらクシャクシャの笑顔を見せた。
「あ、でも、チャタをどうしたらいいか殿もわたしも全然指示してきませんでした。大丈夫でしょうか」
不安げな顔になるラナンとケサンに、ルコンは言った。
「ゴーはこのようなときにはどうしたらいいかよく心得ているから心配はいらない」
「そうだな」
ゲルシクが、苦虫をかみつぶしたような顔で顎を引いた。
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