ナナムの血

りゅ・りくらむ

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出胎

その3

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 騎乗のスムジェの先導で、一行はゆっくりと都へ向かう。
 はじめて乗る輿のなかで、ラナンはこみあげてくる吐き気と、ガンガンと殴られるような頭の痛みと、めまいでグッタリとしていた。
 ケサンはラナンの輿にピタリと馬を寄せて乗り物酔いに苦しむラナンを気遣いながらも、都行きの喜びが隠し切れず、城塞や山や川や湖や鳥や獣を見つけると燥いだ声をあげてラナンに知らせる。それらに目を向けても、ラナンは少しも愉快な気分になれない。
 二日経っても、三日経っても、大地と空の広さが心もとなく、宙ぶらりんにされているような不快感は消えることはなかった。ラナンは遠く壁のように立ちはだかる頂きに雪を冠した茶色い山々に目を据えて、酸い唾を呑み込みながら、胸のむかつきに耐え続けていた。
 都に通じる大きな街道に入ると、すれ違う旅人の数が多くなる。彼らは一行に気づくと、慌てたようすで道を開けて身体を縮めた。
 なにを恐れているのだろう。
 外の世界で、ラナンがようやく興味をひかれたのが、それだった。
 しかしケサンに聞いても、彼も不思議そうに首をひねる。思い切って輿の前に馬を進めるスムジェに聞くと、家来のひとりが掲げている紺地にナナム家の紋章である獅子の描かれた旗を指さした。
「我がナナム家に敬意を表しているのだ」
 誇らしげに兄は言ったが、ラナンの目には、彼らの表情は敬意よりも恐怖におののいているように見える。自分が、鬼のような忌まわしいものになってしまったような気分だ。
 出発から五日目、一行は都の入り口に到着した。スムジェがラナンの到着を知らせる使者を送ると、すぐに王からの使いがやって来た。兄に倣って拝礼するラナンに、勅使は事務的な声色で、ニャムサンが家督の放棄を申し出たので、明朝、ラナンに拝謁してからそれを許すかどうか決定する、と告げた。
 ニャムサンが簡単に引き下がるとは思っていなかったのだろう。スムジェは拍子抜けしたような顔になった。母は泣き笑いの顔でラナンを抱きしめる。ラナンは争わずに済んだことに安堵するとともに、甥のこころをあれこれ想像せずにはいられなかった。
 再び輿に乗ると、都に入った。
 ただただ、人間の多さに圧倒された。
 通りは、ラナンがこれまで想像もしたことないほどの数のひとびとで埋めつくされ、一個の生物のようにうごめいている。何百人いるのか、何千人いるのか、めまいがしそうだ。
 その数えきれぬひとびとも、先頭を行く家来の掲げるナナムの旗に気づくと、慌てて道を譲って目をそらす。やはりその表情からは恐怖しか見て取れない。
 一行は巨大生物の腹中に呑み込まれていくように、割れた人並みの真ん中を、滞りなく進んで行った。

 マルポ山という丘の上に、都の街並みを睥睨しているように王宮が建っている。そのふもとに、ナナム家の大きな屋敷はあった。
 これまでマシャンに仕えていたナナム家の家来が総出で、新たな主となるラナンを出迎える。見知らぬ多くの顔に、ラナンの足がすくんだ。その背をスムジェが押す。兄の力で、一歩、一歩、震える足が進んで行く。
「大丈夫だ。すぐに慣れる」
 兄の見せた微笑みが頼もしくて、涙が出そうになった。
 スムジェが導き入れたのは、なんの装飾もない殺風景な部屋だった。置かれた調度品は、これまでラナンが目にしたことがないほどの厚さの木の板が使われたどっしりとした机だけ。
 その天板をこぶしでコンコンと軽くたたきながらスムジェは言った。
「ここは兄上が使っていた執務室だ。兄上は飾ることがお嫌いだったからな。部屋はみんなこんなふうに殺風景なのだ。今日からこの屋敷はすべておまえのもの。おまえの好きに変えればいい」
 それからスムジェは、明日の謁見で必要な儀礼を教えてくれた。兄のやって見せる拝跪の所作を繰り返し真似しながら、ラナンはニャムサンのことばかり考えてしまう。
 彼は本当に納得して、ラナンに家督を譲ったのだろうか。
 一族が反対していることを知って、渋々手放したのではないか。
 ならばいきなり現れて自分のものを奪ったラナンのことを、ひどく恨んでいるだろう。
 母があんなに恐れていたマシャンを殺したかもしれないおそろしい男が、あっさりと引き下がるとは信じられない。
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