ナナムの血

りゅ・りくらむ

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出胎

その12

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 長安を目前とした盩厔ちゅうちつで、唯一、いくさらしいいくさが起こった。
 それまで抵抗を受けることなく順調に進軍していたゲルシクとトンツェンの十万の軍は、渭北行営兵馬使呂日将がたった二千騎で仕掛けた夜襲によって五千近くの兵を失った。呂日将を破ることが出来たのは、翌日別の経路から合流したルコンのおかげだった。ルコンは、呂日将が渭水の渡しで攻撃しようと待ち構えていると予想して、トンツェンとツェンワを先鋒とし、河を渡ったらひたすら守りに徹するよう命じた。それを崩そうと呂日将が躍起になったところで、大きく南に回り込んで潜んでいたルコン率いる精鋭騎馬隊が脇から突っこみ、呂日将を敗走させたのだ。
「呂日将ひとりにかなわぬのなら、束になった唐将に勝てるとは思えません」
「嫌なヤツだな! おまえは一番後ろにくっついていただけだろう。いくさを見ることもなかったくせに、わかったようなことを言うなよ」
「では、トンツェンどのだったら、二度目のいくさをどのように戦われたのか、後学のためにご教示いただけますでしょうか」
「てめぇ……」
 言葉を途切らせたトンツェンが、こぶしを握り締める。殺気のこもるギラついた視線に貫かれ、ラナンは我に返った。
 言い過ぎた。
 一度もいくさの指揮をしたことがない素人が、歴戦の将を侮辱するようなことを言ってしまった。
 殴られて当然、いや、斬り捨てられても文句は言えない。
 覚悟して奥歯をかみしめる。
 突然、弾けるような笑い声が地から湧き起こって、ビクンと身体が震えた。トンツェンも驚いたように目を見開いてキョロキョロと視線をさまよわせる。
 ツェンワが腹を抱えて床に転がりながらゲラゲラ笑っていた。
「おい、なにが可笑しいんだ」
 トンツェンが怒鳴ると、ツェンワはひきつるように笑いながら、フラフラと立ちあがった。
「ホント、呂日将の軽騎兵は恐ろしかったですねぇ。あんなの、はじめて見ました。ルコンどのの指揮に従って守りに専念していなかったら、また大きな被害が出ていたかもしれない。トンツェンだったら呂日将の狙いどおり、まんまと正面から突撃してあっという間に粉砕されちゃったでしょ」
 また、腹を抱えて笑い出す。トンツェンは日に焼けた肌に血をのぼらせて、丸まったツェンワの背中を蹴飛ばした。よろめきながら、ツェンワは笑い続ける。
「おまえだってひとのこと言えねぇだろうが。守るだけなんてつまらないって愚痴ってたのは誰だよ」
「でも、トンツェン。ラナンどのがいくさに参加していなかったように言うのは間違いですよ。あのときナナムの兵が用意してくれた馬避けの柵があったおかげで耐えることが出来たのですから。あんなに急に、よく間に合いましたねぇ」
「ルコンどのから、唐の騎馬隊に備えるようにと言われていたので、出発前に準備していました」
 再びラナンをにらんだトンツェンの眼光から、先ほどの殺気はすっかり見えなくなっていた。
「クソッ、わかったよ。開遠門だよな」
 気まずそうに目をそらしたトンツェンは、言い捨てると部屋を出る。ラナンとツェンワは一瞬顔を見合わせ、慌ててその後を追った。
 坊を囲む高い版築の壁に挟まれた、ひたすら真直ぐな道のど真ん中を速足で歩きながら、トンツェンはブツブツとこぼし続けた。
「工人だの職人だのっておっさんばかりなんだろ。見てたってつまらない。それより歌や舞のうまい女たちをたくさんつれて帰ればいいのに。そんなら喜んで審査してやるぜ」
 ツェンワと並んでトンツェンの後ろを歩いていたラナンは、彼の背中に向かって言った。
「寺の建立や産業の振興に必要な人間を連れて帰るよう陛下はお命じになられたのですから、工人の選別が先です」
「陛下だってきれいな女をご覧になられたら、絶対喜ばれるよ。ナナムの人間っていうのはどうしてこうお固いんだ」
 トンツェンはクルリと振り向くと、握った拳でラナンの肩を軽く小突く。
「ニャムサンも、ガキのころは〈おんなたらし〉なんて呼ばれた遊び人だったけど、尚論になってからはオレたちの誘いを無視して仏教の勉強ばかりしてやがる。あいつはいるだけで女が寄って来るから便利だと思ってたのにガッカリだ」
「それは申し訳ございませんでした」
 ラナンが真面目に謝ると、トンツェンは気の抜けたような顔をした。
「ホント、おまえと話してると調子が狂うなぁ。そこは謝るとこじゃないから」
「いちおうニャムサンの叔父なので、ご期待に沿えなかったことを謝らなくてはいけないと思って」
 トンツェンは噴き出した。
「こんなご期待、されるほうが迷惑だろうが。おかしなヤツだな」
 ツェンワが口をはさむ。
「でも驚きました。ラナンどのははっきりものをおっしゃる方だったのですね。口の減らないトンツェンが黙らされるなんて」
「よくも笑ってくれたな、ツェンワ」
「だってトンツェンの顔がすごく面白かったから。ラナンどの、このひとは放っておくと、いつまでもいつまでもスズメのようにしゃべっているのです。まともに聞いていると耳が疲れておかしくなってしまいますから注意してください」
「おまえの笑い声のほうがよっぽど耳障りだ。この笑い上戸!」
 トンツェンが殴りかかるそぶりを見せると、ツェンワはケタケタ笑いながらその腕を振り払う。戯れ合うふたりが眩しく見えて、目を瞬いたとき、いきなりトンツェンがラナンの肩を抱いた。
「おい、女も知らないくせに悟りきった顔してんじゃないよ。とっとと男たちの選別を終わらせたら、女だ。イイ女の選びかたを教えてやる。逃げるなよ」
 ラナンはまた顔が熱くなった。
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