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背信
その2
しおりを挟む王に呼ばれたのは、この国の政治を動かしている四人の尚論。大相のティサン、副相のゲルシク、内大相と整事大相を兼務するゲンラム・タクラ・ルコン、シャン筆頭尚論のラナン。それに加えて東方元帥のド・ツェンワと南方元帥のチム・トンツェンも顔を見せた。
いちばんの年長者はルコンで六十、次のゲルシクがひとつ年下の五十九歳だった。ティサンは四十八歳、トンツェンとツェンワは四十四歳。ラナンは四十一で、ここに集まった尚論たちのなかでは最年少だ。王はそのさらに五つ年下の三十六歳。
みな、年をとった。
改めて顔を見回して、ラナンは実感した。
見た目が大きく変わったのはゲルシクで、十三年前に東方元帥の地位をツェンワに譲って戦場から遠ざかると、どんどん肉がつき腹も顔も丸くなってしまった。ならば性格も丸くなってくれればいいのに、年をおうごとに頑固さと気難しさが増している。もし、積極的な外征をを見直そうなどと提案したら、烈火のごとく怒り出すのは目に見えていた。
ニャムサンにとってゲルシクは舅のようなものだ。宮中の下働きをしていたプティは、ゲルシクの後見でニャムサンのもとに輿入れした。ラナンよりもずっと付き合いは長く深い。
あの性格をよくわかってるくせに、簡単に言ってくれる。
ラナンはこころのなかでニャムサンに文句を言った。
王の相談とは、霊州を手に入れるために今年中に大規模な東征を行いたい、というものだった。
ゲルシクは大きくうなずいて言った。
「御意にございます。そうなれば、いずれは慶州や邠州、いや、京畿道まで手を伸ばすことも夢ではござりませんぞ」
ラナンは発言の機会をうかがって、尚論たちの顔を見まわした。
ゲルシクの大風呂敷に、ティサンはまんざらでもないような顔をしている。トンツェンはいくささえ出来れば満足というようす。ルコンが何を考えているかわからない無表情を保っているのはいつものことだ。
意外なことに、いくさ好きのツェンワが、悩ましい顔つきをしていた。
「ツェンワどの、なにか懸念がございますかな」
ルコンもツェンワのようすがいつもと違うことに気づいたのだろう。意見を求めた。ツェンワは毎年のように霊州や邠州に侵攻している。このなかでは最も唐中央の近況を認識しているはずだ。
「はい。このところ、唐はますます守りが堅固になっております。現に、この十年は苦戦を強いられて来ました。出兵には慎重になられるべきかと思います」
「だから大軍で一気に攻めようというのだ」
ゲルシクが眉を上下させる。噴火の前兆だ。トンツェンがとりなすように言う。
「ツェンワは、油断してはいけないと言っているだけです」
ゲルシクはそれを無視してツェンワに詰め寄った。
「国土の拡大は先王陛下よりの悲願だ。そのためにいのちを惜しまず戦うのがそなたたち辺境に遣わされた元帥の使命であろう。それを慎重になどと、さては臆病風に吹かれたのか」
ツェンワは唇を噛み締めて下を向いた。トンツェンが叫ぶ。
「あんまりです。ツェンワはずっと郭子儀や馬璘といった唐の将軍たちといのちがけで戦って、ゲルシクどのとルコンどのの確保された土地を守って来たじゃないですか」
「功績ある者だからこそ、そのような発言は許せぬ。軍を束ねる者が弱気になれば、部下たちにも弱気が伝染る。いずれはこの国自体の弱体化につながるのだぞ」
「わたしには能力がないのです」
うつむいたまま、絞り出すようにツェンワが言った。
「なに?」
ゲルシクは目を剥いた。
「わたしには元帥の地位は荷が重すぎます。何万もの兵のいのちを預かる自信がありません。陛下……」
ツェンワは身を投げ出すと、王の前に平伏した。
「どうか職を辞することをお許しくださりませ」
黙ってやり取りを聞いていた王は静かに言った。
「シャン・ツェンワのこれまでの働きに、わたしは満足しています。なればこそ、あなたの意思を重く受け止めましょう。内大相とよく話し合って決めてください」
王がルコンにうなずくと、ルコンは深く頭を垂れた。
出兵に関しては東方元帥の件に決着がついてからということで、その日の話し合いはお開きとなった。
ツェンワのようすが気がかりだったが、安易に励ましたり慰めたりしてはかえって辛い思いをさせてしまうのではないか。ルコンならうまく収めてくれるだろう。
そう思い切って、自分の執務室に帰って仕事に手をつけ始めたところで、トンツェンがやって来た。
「おい、行くぞ」
「え? どこへです?」
「なにのんきなこと言ってるんだ。ルコンどののところに決まってるだろ。ツェンワめ、勝手なことしやがって」
「でも、ルコンどのにお任せしたほうがよいでしょう」
「オレたちに相談なしなんてありえねぇだろ。はやく行くぞ」
トンツェンはラナンの腕をつかんでグイグイ引っ張る。
仕方なくルコンの部屋へ向かった。
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