29 / 60
背信
その6
しおりを挟むルコンの目論見どおりに東征の計画が決定して、会盟で尚論たちが誓い合った数日後の明け方。
「叔父さん」
窓から呼びかける声に、ラナンは天を仰いだ。
ケサンが窓を開けると同時に寝室に飛び込んで来たニャムサンは、あからさまに不機嫌な顔をしていた。ニャムサンの行動に慣れっこになっているケサンはそのまま部屋を出て行ってしまう。
「いい加減、窓から出入りするのはやめてくれませんか」
「ヤだよ、めんどくさい。この前、おまえの家来に取次を頼んだら、三刻も待たされたじゃないか」
「たまたま、わたしの手が空いてないときにいらしたからです。こちらにも都合があります」
「だから仕事前の起き抜けに来てやったんだ。早朝から家来の手を煩わすのも悪いから、いいだろ。そんなことよりオレが言ったこと、覚えてるか?」
「もちろんです」
「じゃあ、なんでこうなるの」
「こうなるとは?」
「オレは、いくさバカの尚論どもを説得していくさをやめさせろって言ったよな。で、おまえは努力するって言ったんだ。その本人がいくさに行くってどういうこと?」
会盟の結果を聞いたのだろう。ルコンもゲルシクも、ニャムサンには口が軽い。
彼にはひとをたらし込む天性の才能があった。特に自分の笑顔がどのような効果をもたらすか、充分すぎるほど自覚している。計算ずくとわかっているラナンでさえも、ニコリと微笑まれると、どうも逆らうことが出来なくなってしまう。スムジェなどは、「あれは魔物だ」と言って不必要に近づこうとしなかった。
「わたしも言ったはずです。そう簡単に国の方向を変えることは出来ないと」
「だからって、おまえが行くことないじゃないか!」
ニャムサンは怒鳴り声をあげた。
「これは政治的な駆け引きです。ニャムサンはお嫌いでしょうから説明しませんが」
「オレが言いたいのはそんなでかいことじゃない」
ニャムサンはドサリとラナンの寝台に腰をおろすと、爪を見つめながら眉根を寄せた。
「そう、オレが言いたいのは、なんでおまえが行くんだってこと。家族のことを考えろよ。いま、おまえにもしものことがあったら、どうするんだ。ウリンだって、まだ十三なんだぞ」
「もう十三です。家督を継ぐのに不足のない年齢ですよ」
「くいものにされるぞ」
ニャムサンはラナンを見上げた。
「ナツォクでさえ、そうだった。あいつはいまのウリンと同じ十三で、ウリンよりずっと大人びてしっかりしていた。それでも二十歳になるまでマシャンに牛耳られて、自分の思うように行動することが出来なかったんだ」
「ウリンをくいものにしようとする者がいるというのですか?」
「いるだろうが」
「思い当たりません」
「スムジェがすっかりあきらめて、いつまでも好々爺然と田舎に収まっていると思ってるのか?」
「兄上だったら、そんな心配はいりませんよ」
「なんであんなヤツが信じられるんだ。現に十六年前は、おまえをくいものにしようと担ぎあげたじゃないか」
ニャムサンのまっすぐな眼差しに、ラナンは目を伏せた。なにも知らなかった昔と違って、いまではラナンも当時のスムジェの魂胆はわかっている。だが、スムジェはすべてを捨てて、領地に引きこもった。その経緯を、ニャムサンは知らない。
「とにかく、わたしも尚論であるからには軍事に関わらぬわけにはいきません。どうかご理解ください」
「わかってるよ」
ニャムサンは珍しく気落ちした表情をして下を向いた。
「なにもかも、おまえに押し付けておいてこんなこと言える義理じゃないとわかってるし、ルコンの小父さんが言うなら、どうしてもおまえじゃなくちゃダメななんだろうっていうのもわかってる。でも、オレはおまえとおまえの家族が心配なんだ。いのちを落とすようなことだけはするなよ」
ラナンは返事を忘れてニャムサンの顔を見つめてしまう。顔をあげたニャムサンは眉をしかめた。
「なに黙って見てんだよ。気持ち悪いな」
「あなたにしては珍しいと思って」
「なにが」
「今日はやけに素直なことをおっしゃる」
「オレだってもう歳だからな。いつまでも天邪鬼でいるわけにもいかねぇだろ」
ニャムサンは寝台にあおむけに寝転がって目を閉じた。
「いつ死んでもおかしくない歳だ。オレもおまえも。だから取り返しがつかなくなってから言っておけばよかったなんて後悔、したくない」
差し込んできた朝日に照らされたその顔に、今日は年相応の衰えが見えた。
「ニャムサン、ひとつお願いしてもよろしいですか?」
薄目を開いたニャムサンは、無言でラナンをジロリと見つめる。
「もしも、わたしになにかあったら、子どもたちの後見をお願いします」
「ふざけんな。絶対そんなめんどくさいことしてやらないからな。ウリンとツェサンのことが気がかりなら、生きて帰ってこい」
天井に向かって吐き捨てたニャムサンは、起きあがると窓から飛び出して行った。ラナンは日差しに白く輝く窓辺を、しばらく眺めていた。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
日露戦争の真実
蔵屋
歴史・時代
私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。
日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。
日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。
帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。
日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。
ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。
ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。
深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。
この物語の始まりです。
『神知りて 人の幸せ 祈るのみ
神の伝えし 愛善の道』
この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。
作家 蔵屋日唱
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
花嫁
一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末
松風勇水(松 勇)
歴史・時代
旧題:剣客居酒屋 草間の陰
第9回歴史・時代小説大賞「読めばお腹がすく江戸グルメ賞」受賞作。
本作は『剣客居酒屋 草間の陰』から『剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末』と改題いたしました。
2025年11月28書籍刊行。
なお、レンタル部分は修正した書籍と同様のものとなっておりますが、一部の描写が割愛されたため、後続の話とは繋がりが悪くなっております。ご了承ください。
酒と肴と剣と闇
江戸情緒を添えて
江戸は本所にある居酒屋『草間』。
美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。
自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。
多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。
その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。
店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。
別れし夫婦の御定書(おさだめがき)
佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。
離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。
月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。
おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。
されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
