41 / 60
背信
その17
しおりを挟む唐軍の左翼以外では戦闘らしい戦闘の起こらないまま、ルコンは元の場所まで陣を後退させた。結果は李懐光の出来の悪い甥が捕虜となっただけだ。李懐光はわけがわからず首をひねっているに違いない。
胡床に座るルコン、ツェンワ、ラナンの前に引き立てられ、地べたに座らされた茹瑞宝は、猟師に捕らわれた子ぎつねのようにブルブルと震えていた。
「どうして捕らえられたかわかるか」
ルコンが唐語で問いかけると、茹瑞宝は裏返った声をあげた。
「なにか誤解しているようです。オレはしがない一兵卒だから、人質にしてもなんの利益もありませんよ」
「なんですって? 『オレを誰だと思ってるんだ』などと威張ってらしたではありませんか。堂々とそのご立派な名を名乗られたらいかがです」
ラナンが笑いをこらえながら言うと、茹瑞宝は口をポカンと開けてラナンを凝視した。
「この貧相なじじいの顔を忘れてしまわれたか、茹瑞宝どの」
言いながらルコンは兜を脱いだ。
「このショボくれたおやじの顔も」
次いでラナンも兜を取って顔をあらわにすると、茹瑞宝はようやく知った顔であると気づいたらしく、驚愕の表情を浮かべた。
「惜しかったな。あのままわれらを捕らえて伯父上のところに引き立てていれば大殊勲だったのに」
ルコンが哀れむような口調で言う。先ほどまで怯えていたのがウソのように、ふてぶてしい態度を取り戻した茹瑞宝は、大声で喚き始めた。
「そうだ。オレはあんたたちを見逃してやったんじゃないか」
「わたしたちを助けてくれたのは楊志環どのでしょう」
ラナンが冷たく返すと、茹瑞宝は目を吊りあげた。
「あのイカレ野郎、吐蕃と通じてやがったのか」
「そんなことよりご自分の心配をなさることですね。わたしたちにはこれまであなたが頼りになさっていた伯父上のご威光は通用しませんよ」
「オレをどうするつもりだ」
「あなたはわが軍の総司令から金品を盗みました。裁きののち、罰を与えます」
「このじじいが馬重英だなんて、知らなかった」
「口を慎みなさい、愚か者」
「ちゃんと返したじゃないか」
「それは楊志環どのに言われて渋々返したのでしょう」
「返してやったんだからいいだろっ」
茹瑞宝の叫び声がいっそう高くキンキンと響く。
敵軍に捕らわれたことの重大さがわかっていないのか、意外と豪胆なのか。ラナンは首をひねった。
「うるさいっ」
いきなり、唐語を解さないツェンワが怒鳴った。
「なに言ってんだかわからないけど、ムカつくヤツだな。この場で斬り捨ててやる」
ツェンワが太刀を抜く。ラナンは口を閉ざした。ルコンも止める気はないらしく、黙ってツェンワを見ている。刃を見て顔色を変えた茹瑞宝は、前のめりになって縋りつくような視線をラナンに送って来た。
「おい、こいつはなにをする気なんだ。ちゃんと裁くんじゃないのか」
「あなたのことが気に食わないからこの場で斬る、だそうです。そのほうが手っ取り早くていいかもしれない。首はお父上のもとに確かにお返しいたします。われらに臆せず悪口を浴びせたので斬ったと添え状もお付けしましょう。敵に屈服するより死を選んだあっぱれな者と、伯父上も父上もさぞお喜びになられるに違いない」
茹瑞宝の前に歩み寄ったツェンワが太刀を振りかぶる。
「やめてくれ。どんな罰でも受けるから、いのちだけは助けてくれ」
茹瑞宝は、首を縮めて泣き出す。ラナンはため息をついてしまった。
「素直に裁きを受けるそうです。やめてあげてください」
「なんだ、つまらない」
ツェンワは不満そうな顔で、太刀を鞘に納めた。
国内の治安を司る整事大相でもあるルコンは、まるで教師のようにラナンに尋ねる。
「さて、法に照らせば茹瑞宝どのにどのような刑罰が科されることになるか、覚えておられるか」
前の大相の時代までは、刑罰の軽重は裁く者の匙加減に任され、賄賂も横行したが、ティサンは大幅な法制改革を行い、全てのひとに公平な裁きが与えられるように整備した。事件に関しても加害者と被害者の身分や損害の大きさによって細かく課される刑罰が決められている。それでも、窃盗は重罪だ。
「双方の身分や盗んだ量に関わらず、死罪です」
「ちょ……ちょっと待ってくれ。結局、盗んでないだろ」
また茹瑞宝が金切り声をあげると、ルコンは辟易といった顔をする。ラナンは続けた。
「が、返した者は軽くなるという規定があるので、鞭打ち五百回に数カ月の労役といったところでしょう」
「そんなあ。もう少しまけてくれよ」
「まったく甘くなったものだな。先の大相までは、よくて右手首を切断のうえ目をつぶして辺境へ追放だったのに」
「ルコンどのがそちらをご希望なら、それでいいではありませんか。いくさの捕虜ですから、国内の法に照らさずとも、陛下はお許しになるでしょう」
ラナンが冷たく返すと、茹瑞宝は慌てて言った。
「やっぱり、鞭打ちと労役でいいです」
ルコンは笑い出す。
「なんで貴公が決めるのだ」
「ニャムサンにお願いして、お寺のほうで使ってもらいましょう」
ラナンは肩をすくめた。すぐに帰せば、楊志環を内通者として告発するに違いない。少なくとも和睦が決まるまでは捕らえておいたほうがいいだろう。
寺の工事を監督をする尚論には唐語が出来る者も多いし、茹瑞宝が働くにはちょうどいい。
数日後、兵を退いて本国に引きあげた。勝敗はついていないが、渾日進の〈土産物〉、茹瑞宝を捕虜として連れ帰ればそれなりに面目は立つ。
都に到着すると、ルコンは励ますように言った。
「これからが本当の賭けだ。わたしとラナンどので陛下にご説明する。ツェンワどのはなにも知らなかったことにする。よろしいですな」
ツェンワはため息をつく。
「わかりました。万が一のときには、兄とわたしでおふたりのご意志を引き継ぎます。でもそんなことがなければいいのですけど」
三人はうなずき合うと、都に足を踏み入れた。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
花嫁御寮 ―江戸の妻たちの陰影― :【第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞】
naomikoryo
歴史・時代
名家に嫁いだ若き妻が、夫の失踪をきっかけに、江戸の奥向きに潜む権力、謀略、女たちの思惑に巻き込まれてゆく――。
舞台は江戸中期。表には見えぬ女の戦(いくさ)が、美しく、そして静かに燃え広がる。
結城澪は、武家の「御寮人様」として嫁いだ先で、愛と誇りのはざまで揺れることになる。
失踪した夫・宗真が追っていたのは、幕府中枢を揺るがす不正金の記録。
やがて、志を同じくする同心・坂東伊織、かつて宗真の婚約者だった篠原志乃らとの交錯の中で、澪は“妻”から“女”へと目覚めてゆく。
男たちの義、女たちの誇り、名家のしがらみの中で、澪が最後に選んだのは――“名を捨てて生きること”。
これは、名もなき光の中で、真実を守り抜いたひと組の夫婦の物語。
静謐な筆致で描く、江戸奥向きの愛と覚悟の長編時代小説。
全20話、読み終えた先に見えるのは、声高でない確かな「生」の姿。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
別れし夫婦の御定書(おさだめがき)
佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。
離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。
月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。
おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。
されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
徳川慶勝、黒船を討つ
克全
歴史・時代
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。
尾張徳川家(尾張藩)の第14代・第17代当主の徳川慶勝が、美濃高須藩主・松平義建の次男・秀之助ではなく、夭折した長男・源之助が継いでおり、彼が攘夷派の名君となっていた場合の仮想戦記を書いてみました。夭折した兄弟が活躍します。尾張徳川家15代藩主・徳川茂徳、会津藩主・松平容保、桑名藩主・松平定敬、特に会津藩主・松平容保と会津藩士にリベンジしてもらいます。
もしかしたら、消去するかもしれません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
