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第二章
摂政の失脚
しおりを挟む「ナナム氏というのは、もともとこの国の一部を領していた王族だったそうです。いまの賛普のご先祖に臣従して、吐蕃統一に貢献したので賛普の側近として代々高い官職を得ていました。しかし『賛普のおじ』であるシャンになったのは最近で、摂政の姉君がお産みになられた王子さまが即位されてから。それがいまのティソン・デツェン王です。他にシャンと呼ばれる家は、ゲルシクさまやトンツェンさまの属するチム氏、ツェンワさまの属するド氏、いまの王妃さまのご出身であるツェポン氏があります」
「なるほど、同じシャンを頭につけていても同族とは限らぬのだな」
「そうです。また新たな家から賛普をなす王妃が出れば、その家はシャンとなります」
「ルコンどのやティサンどのはそうではない家の出身なのでレンというのか」
「はい。レンは『臣』という意味で、高位の官職にある方につけられる敬称です。レンのお方の家が必ずしもシャンの家よりも家格が低いとは限りません。むしろ王家に血の近い一族もあります」
ナナム・マシャン・ドムパ・キェは、姉の生んだ王子が太子となってから、大相と並ぶ権力者になった。大相はバル・ケサン・ドンツァプといい、西方の小勃律国を併合した功によって賛普に取り立てられた男だった。そのドンツァプが、密かに賛普を暗殺して太子を傀儡とすべく王宮に幽閉した。大相は、賛普の死を乗馬での事故と偽装したが、真実を知った南方元帥グー・ティサン・ヤプラクが東方元帥チム・ゲルシク・シュテンと謀って軍を動かし、羅些を包囲して大相を責めたので陰謀が露見した。マシャンはその真偽を調べ、大相の罪を明らかにして処刑し、ティサンと和解した。こうして太子は即位してティソン・デツェン王となり、叔父のマシャンが摂政となった。
「おかしいではないか」
つい、口を挟んでしまった。
「宮中にいる大臣たちの気づかぬことが、どうして辺境の両元帥にばれてしまったのだ」
「さあ、そのへんはわたしどもにはわかりません。おふたりのどちらかが宮中に間者を置いていたか、大相が信頼していた者のなかに裏切り者がいたのではないでしょうか」
大相が賛普を暗殺したのは、賛普が第二王妃である金城公主の影響で仏教を信奉していたからだと言われている。この国では、廃仏を唱える伝統派と、崇仏を唱える改革派のふたつの勢力が権力を争っており、ドンツァプは伝統派の親玉だったのだ。その大相が失脚し、伝統派のマシャンと改革派のティサンが手を携えたことで両者の争いは静まると思われたが、ことはそう簡単ではなかった。
改革派に理解を示しているように見えたマシャンは、安禄山の挙兵で守りの薄れた唐の国境攻略を口実に改革派の実力者ゲルシクを都から遠ざけ、次第に独裁的な政治を行うようになっていった。仏教や唐の思想を排除する法律を作り、それに違反したとして多くの改革派の尚論の身分を剥奪して辺境に追放した。その力は庶民にも及び、仏像や仏典を有する者、漢字の護符を持つ者、そして摂政を批判した者は密告され、捕らえられた。
「無実の罪で投獄され死んだ者も多くいたそうです。そんな状態が七年も続きました。唐のものを商うわたしたちは、羅些での商売を自粛せざるを得ませんでした。その間に……」
傷心の曹健祥は肩を落としてうなだれて沈黙した。ここでやめられては困る。
「その摂政が失脚したのですな。ルコンどのが言っていたニャムサンどのが墓に葬った伯父とは摂政のことでしょう」
曹健祥は顔をあげた。
「だと思います。摂政は王墓にある洞窟で姿を消したのです。一昨年のことです。二十歳になられた賛普が、廃仏の法律を撤廃して天竺から仏教僧を招く、と宣言されました。当然、摂政は強硬に反対されます。そこで神降ろしに意見を聞こうということになりました。神降ろしは『マシャンとティサンのふたりがそれぞれ王家の墓にある洞窟で一晩を明かし、翌朝、無事に出てきたほうの提案を受け入れよ』という宣託を下しました」
呂日将にもその結末は想像出来た。
「出てきたのは、ティサンどのだけだったのだな」
「そうです。で、摂政は姿を消していたとか」
「死骸はなかったのか」
「そうらしいです」
「では、生きているのか」
「賛普のご意向に背いたことで神の怒りに触れた摂政は、王墓を護る神龍や神鬼に跡形もなく喰われてしまったのだそうです」
呂日将は吹き出してしまった。
「そんなことがあるか」
「夜の間にティサンさまが摂政を殺害し、死骸を隠したのだろうという者もあります」
それが妥当なところだろう。しかし。
「ルコンどのの言ったとおりなら、手を下したのはニャムサンどのとなる」
「そんな恐ろしいことをなさる方にはとても見えませんが。とにかく、摂政は二度と姿を現しませんでしたから、死んでしまったのは確かでしょう。こうして、仏教の導入が決定し、天竺から高僧が招かれました。いまでも伝統派の尚論は多くいらっしゃるようですが、だいぶ発言力が弱まっているとか」
「ルコンどののお立場は?」
「ルコンさまは摂政の側近でした。摂政の政策のほとんどは、ルコンさまのご提言だったと言われています」
「では、ルコンどのとゲルシクどのは政敵なのか」
曹健祥はうなずいた。
「摂政の失踪直後に、ルコンさまは流罪となりました。都の北方の寒さの厳しい土漠で、遊牧民でさえ冬には近づかない土地です。そこに流されるのは、死刑と同意といっていいでしょう。まして、たった半年で高位の尚論に復帰されるのは異例のことです。そのうえ吐蕃軍の総大将に任じられていらっしゃるとは、思いもよりませんでした。よほど賛普はルコンさまのことをご信頼あそばされているのでしょう」
夜、呂日将は暗闇のなかで横になると、曹健祥の語った内容を整理していた。
ルコンが早々に許されたのは、長安を攻略するのに必要な人間だったからだろう。
なぜ、宮中の大臣が気づくことの出来なかった弑逆の事実を、ティサンとゲルシクは知ることが出来たのか。ニャムサンは伯父の失脚にどのような役割を果たしていたのか。摂政の死骸はどこに隠されたのか。
これらは自分の仕事にはあまり関係のないことだ。興味深くはあるが、首を突っ込まぬほうがよい。
いま考えるべきは、レン・ティサンという男をどうやって説得するか、だ。
わかっているのはニャムサンの言った、いくさがうまく、ルコンに太刀打ち出来る唯一の尚論、ということだけ。相当老獪な男であろうと想像が出来た。
利で釣るのがよいか、情に訴えた方がよいのか。
ため息が出る。
どちらもうまく出来る自信はなかった。
考えても仕方がない。
早々に諦めて、眠りに落ちた。
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