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第三章
ダメな大相
しおりを挟むこうして待つだけの日々が続いた。
武術の鍛錬は欠かさず行っていたが、サンシの家来に、相手が務まるような剣の心得のある者がいないのには困った。
鳳翔で馬重英ことゲンラム・タクラ・ルコンに敗れてから一年ちかく戦場から遠ざかっている。
初陣から十年。こんなことは、はじめてだった。
会盟では、僕固懐恩への援軍を主張する副相グー・ティサン・ヤプラクと、唐と和睦してそれと引き換えに隴右の領有権を唐に認めさせようという内大相ルコンがお互い譲らず、なかなか方向が定まらないという。
まったくやきもきさせられるが、呂日将にはどうにもしようがない。
夏の終りと告げるように、昼でも切るような冷たい風が吹くようになったある日、ようやく賛普の謁見が許されるという知らせを持ったティサンの使者が呂日将を訪ねてきた。ニャムサンとサンシも、ともに来るようにという。
翌朝、呂日将とサンシが待つ都の入り口にタクとともに現れたニャムサンは、またもげっそりとやつれて青い顔をしていた。直前まで訳経所にいたのだ。
心配する呂日将に、これから出発というのに「寝れば治る」と言う。
「なら、なんで寝てから来ないんですか」
呆れ顔のサンシが、もっともなことを言った。
ティサンからの使者としてやって来たニマとダワという双子の兵士を加えた一行が賛普の滞在するツァンポ川沿いの離宮に到着したのは、出発から三日目の正午だった。
離宮の周りには、巨大な天幕がいくつも張られていた。
「尚論たちの天幕です。賛普ご自身も離宮がない場所に滞在されるときは、天幕を張って御座所とされます」
サンシが説明してくれる。天幕の合間には尚論やその家臣とみられるひとびとが、ひっきりなしに行き来していた。ニャムサンとサンシに気づいて礼をする者も多い。
「尚論たちが離宮から下がって来る時間にぶつかってしまったみたいですね」
「イヤなやつが来る」
ニャムサンが渋面を作る。サンシが小声でささやいた。
「日将どの、念のため顔を見られぬようお気をつけください」
ニャムサンとサンシが馬を降りたので、呂日将も下馬して、サンシの背後でニマとダワにならって礼をしながら上目遣いに相手をうかがう。やけに怯えた目をした痩せた老人と、呂日将よりやや年長と見える傲岸な顔をした偉丈夫が、家臣を引き連れて歩いて来た。年老いた男が、ニャムサンに向かって見苦しいほどへりくだった挨拶をする。ニャムサンが、言葉のわからぬ呂日将にすら投げやりとわかる返答をするのを、若い男はつまらなそうな顔をしてにらみつけていた。ふたりが通りすぎると、サンシが言った。
「あれが大相です」
なるほど、あれはダメな男だろう。しかし若い男のほうが呂日将は気になった。威風あたりを払う押し出しは、大相がかすんで見えるほどだ。ただ者とは思えない。
「一緒にいたのは?」
「レン・ケサン・タクナンという大相のご一族で、南方の元帥でいらっしゃいます。大相と対照的にゲルシクさまにも劣らぬ猛将です」
ニャムサンが驚くほど険悪な声で補足した。
「狂犬みたいなやつだ。日将どのが唐の将軍と知ったら噛みつく、絶対」
どうやら、ふたりの間には確執があるらしい。サンシは困ったような笑顔を見せた。
ティサンの天幕は、離宮に最も近い場所にあった。ダワが到着を知らせに入って行く。ティサンのものと離宮を挟んで対をなすように並んでいる大きな天幕を、ニャムサンは指さした。
「あっちはラナンのものだ」
その位置からも、大相よりティサンとラナンが賛普に重んじられているのが見てとれた。ラナンの天幕の入り口に掲げられている紺地に獅子が描かれた旗に、鳳翔での苦い思い出が蘇る。あれはナナム家の紋章だったのだ。
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