摂政ナナム・マシャン・ドムパ・キェの失脚

りゅ・りくらむ

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第一章

大相の失脚 その1

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 衛兵隊員は、王宮内の詰所に集合していた。
 大相と副相の動向は、すべて彼らが把握している。それによるとゲルシクとティサンが陣を張って以来ふたりとも自宅には帰らず、大相府の執務室にこもっていた。ティゴルは常に大相の警護につき、私室に戻るのは深夜だという。
 今夜も大相と副相は執務室に留まり、つい先ほどティゴルが大相の部屋から出たところだと聞き、ルコンは計画の成就を確信した。
 別棟に部屋を与えられているティゴルの捕縛をゴーに命じ、マシャンとルコンは衛兵隊を率いて大相府へ向かった。
 半数の衛兵隊員に出入口を固めさせ、出てきた者はもれなく捕らえることを命じる。
 ルコンとマシャンが二手に分かれ、大相と副相の部屋に踏み込もうとしたとき、ゴーが駆け付けた。
「ティゴルがいません」
 ルコンは胸が騒いだ。
「異変に気づいたのか。どうしましょう」
「大相に知らせたようすはないのだろう」
 マシャンが問うと、ゴーはうなずく。
「見張りは、ティゴルが出て行ってからここを出入りする者はなかったと申しております」
「なら、かまわぬ。大相と副相を捕えるのが先です。あやつだけ逃げのびたとしても、大きな問題はないでしょう」
 マシャンの常と変わらぬ落ち着いた声に、ルコンは力づけられる。
「では、参りましょう」
 ゴーにニェーシクを任せ、マシャンとルコンは大相の部屋へ向かった。
 衛兵を引き連れてやって来たふたりに、バルの家臣たちは狼狽した。ひとりが怯えた顔で問う。
「こんな夜中に、いったい何の御用でしょう」
 ルコンは愛想笑いを浮かべながら言った。
「緊急事態が起こりました。大相にお目通り願いたい」
「しかし、もうお休みになられています」
「太子が攫われた。それでも大相がお目覚めになられてから出直した方がよいか」
 マシャンが取りつく島もないような冷たい声で言うと、男はヒッとのどの奥で叫んで、慌てて大相の部屋の扉をたたいた。

 部屋に入るやいなや、青い顔をしたドンツァプがヨロヨロとマシャンに歩み寄って来た。
「マシャンどの、太子がいらっしゃらないというのはまことですか」
 マシャンはその袖に縋りつくように延ばされたドンツァプの指を器用によける。
「戯言を言うために、このような時間にお邪魔したのではありません」
 ドンツァプはそのまま崩れ落ちるように跪くと、マシャンに手を合わせた。
「儂はどうしたらよいのだ。マシャンどの、ルコンどの、お助け下され」
「われらはあなたが普段熱心に祈られている神とは違います。そのような真似はおやめください」
 ドンツァプの面が憎しみを露わにする。
「神は……神々はなにもしてくれなかった。わたしは神降ろしの宣託に従ってことを起こしたというのに」
 ルコンは愕然とした。
 王の不興を買ったドンツァプは、お抱えの神降ろしに相談したのだろう。王の仏教への厚遇を疎ましく思っている神降ろしは多い。彼らがドンツァプの不安に付け込んでそそのかした結果が、あの弑逆だったのだ。
「頼りになるのはおふたりだけだ。どうか、儂を助けてくれ。ゲルシクどもを追い払ってくだされ」
 これが、かつて唐をも恐れさせた王国随一の猛将の成れの果てか。
 涙で濡れる顔をクシャクシャにして平身低頭するドンツァプの姿から、ルコンは目をそらせた。
 無表情でドンツァプを見下ろしていたマシャンの口が動く。
「追い払うのは難しいですが、和睦の手はございます」
「おお、さすがマシャンどの。お教えくだされ」
「彼らが欲しがっているものを差し出すのです」
「欲しがっているもの? もう太子はいらっしゃらないのだろう」
「太子の御身ではなく、弑逆の首謀者どもの首です」
 ドンツァプは悲鳴をあげてマシャンの袍の裾にすがりついた。
「裏切るおつもりか」
 マシャンが眉をあげた。
「なにをおっしゃる。陛下の御為というあなたの言葉を信じて、われらはくみしたのだ。それを裏切ったのは、貴様ではないかっ!」
 最後の言葉は鋭く空を引き裂くような叫びとなった。マシャンはドンツァプの胸を蹴りあげて剣を抜く。ルコンは思わずマシャンに飛びついた。
「待たれよ、マシャンどの!」
 マシャンを抱きかかえるようにしてその手から剣をもぎ取り衛兵に合図する。仰向けに倒れて呆然としているドンツァプに駆け寄った衛兵たちは、その両腕を捕えた。
「地下牢に連れて行け」
 ルコンが命じると、衛兵たちは半ば意識を失っているドンツァプをズルズルと引きずって行った。燃えるような瞳でそれをにらんでいたマシャンは、ルコンの腕を振りほどくと、ドンツァプの机に置いてあった墨入れの壺をわしづかみして、部屋の奥に安置されている黄金の龍神に思い切り投げつけた。
「愚か者がっ!」
 龍神は派手な音を立てて壁に跳ね返り、墨入れとともに床に落ちて転がった。
「わたしの責任です」
 ルコンの言葉に、マシャンは握り締めたこぶしを机にたたきつけて大きく息をつき、かすれた声で応えた。
「違う。決めたのはわたしだ。取り乱して申し訳ない。これからのことを考えなくては。この騒動で陛下の崩御は国中に知れ渡ってしまった。唐の間者も察知しているでしょう。大葬とご即位は慣例に背いて早々に執り行わねばならぬ」
「ランとバルの一族を捕縛したら、ケサン・ゲルコンどのに都にある大相と副相の財産を整理していただきます。それを費用に充てればなんとかなるでしょう」
 チョクロ・ケサン・ゲルコンは経理に明るい男だ。彼に任せておけば間違いはない。うなずくマシャンの顔は、かすかに上気の気配を残しながらも、いつもの落ち着きを取り戻していた。ルコンは続けた。
「少なくともご即位が無事終わるまではゲルシクどのとティサンどのに留まっていただき、国内の動揺を治める必要がありますな。これまで落とした砦を唐に奪い返されたとしても、しばらくは目をつぶらねばなりません」
 ゲルシクとティサンの活躍で唐との争いは有利に進んでいたが、内が乱れてしまっては外征どころではなくなってしまう。
 マシャンは微かに憂鬱そうに眉をひそめて、ポソリとつぶやいた。
「ゲルシクどのは、わたしを消す絶好の機会と喜んでおられるだろう」
「そのような男ではありません。それにティサンどのは、ナナムと事を構えることは賢明ではないと理解しているはずです」
 ゲルシクは好き嫌いでひとを判断する男だ。政治的な思惑があってマシャンを憎んでいるのではない。先ほどのような感情をむき出しにするマシャンの姿を見れば、ゲルシクのマシャンに対する印象も少しは変わると思うのだが。
 苦笑いするルコンに、マシャンが訊く。
「そういえば、ゲルシクどのに私信を託しておられたな。なにを書かれたのだ」
「無沙汰の挨拶のようなものです」
 新たな王のシャンとなるナナム家と、亡き王のシャンであるチム家の間が険悪なのはよろしくない。ルコンはニャムサンがその橋渡しとなることに期待していた。ゲルシクは、ニャムサンのことを気に入るはずだ。
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