摂政ナナム・マシャン・ドムパ・キェの失脚

りゅ・りくらむ

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第一章

大相の失脚 その3

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 夜明けとともに、都に残っていたバル家とラン家の一族と家来、そしてドンツァプのもとに出入りしていた神官や神降ろしを捕えた。郊外に駐屯していたバル家の兵たちにドンツァプの捕縛を伝えると、みな即座に武器を放棄してゲルシクに降伏した。
 衛兵隊長ティゴルの行方は朝になってもわからなかった。すでに宮殿から逃げ出してしまったのだろう。新たな隊長にゴーを就け、探索の手を都の郊外まで伸ばすよう命じると、マシャンとルコンはマシャンの執務室に引き上げた。
 夕刻になるとケサン・ゲルコンがやって来た。ルコン同様、古い付き合いのケサン・ゲルコンはマシャンの不愛想には慣れっこで、マシャンの反応が薄いことにかまわず大きな目をキョロキョロさせて笑いながら口早に報告した。
「強欲な大相と副相はだいぶため込んでおるようですぞ。両家から没収したもので、御大葬の費用はだいぶ助かりそうです」
 マシャンがうなずくのを確認したケサン・ゲルコンが慌ただしく出て行くのと入れ違えるように、ニャムサンが入って来る。
ティサンからの返書をニャムサンの手からひったくったマシャンは、無言で目を通すとまるで忌まわしいものでもあるかのように机上に放り投げた。
「明後日、宮中の尚論をすべて動員して都の郊外まで太子の出迎えに来て欲しいそうだ」
 ルコンはそれを手に取って読むと、思わず微笑んだ。
「ドンツァプとニェーシクの罪を喧伝し、改めて尚論一同に太子への忠誠を誓わせるつもりなのでしょう。マシャンどのを大相に、とありますな。いかがされます?」
 マシャンは渋面を作る。
「どちらでもいい」
「では、この件はお断りになったほうがよろしいですね」
 いずれはマシャンを大相にする。それはルコンの夢でもあった。だがいまは適当なときではない。それよりもふさわしい地位が、いまのマシャンにはある。
 マシャンはますます渋い顔をして言った。
「そんなことより、最後の一文はどういう意味です。ニャムサンが尚論になったら、ゲルシクどのが部下にしたいとありますが」
「さあ、ニャムサンのことがお気に召したのでしょう」
「冗談じゃねぇぞ!」
 ニャムサンが怒鳴ると、マシャンは目を細めてニャムサンをにらんだ。
「オレはあんないくさバカの部下になるのは、絶対、イヤだ」
 ルコンはうなずいた。ニャムサンのことを気に入ってくれたのはよいが、このままゲルシクに任せるのは心もとない。
「マシャンどの、今日からニャムサンをわたしにお預けいただけますでしょうか。わたしも忙しくなりますから人手が欲しいのです」
 しばらく鋭い視線をニャムサンに据えていたマシャンは、ため息をついてうなずいた。

 ニャムサンはルコンの執務室に入ると、許しも得ずにドカッと床に座りこむ。無礼を咎めることはせず、ルコンは書類を探し始めた。
「なんであんな手紙をゲルシクのおっさんに書いたのさ」
 低い声で責めるように言われて、ルコンは笑ってしまった。
「おまえの態度に、ゲルシクどのがどんな反応を示すかわからなかったからな。無礼な振る舞いに悪気がないことをわかってほしかったのだ」
「じゃあ『ご指導賜りたい』なんて余計なこと書かないでよ。あのおっさん、すっかり調子に乗ってもうオレの師匠になった気でいるんだぜ」
「ありがたいではないか。ゲルシクどのはこの国では並ぶ者のない名将なんだぞ。お近づきになりたいと思っても、その機会を得られず私淑している尚論も多くいるのだ」
「どんな立派なひとだって、オレはイヤだ。いくさにも行かないよ」
「それは通らない。おまえは尚論になるのだから」
 尚論はそのときの情勢によって、政治を司る文官にも、軍を率いる武官にもなる。特に若い尚論は将としていくさに行くことが多い。
「マシャンはオレを尚論にする気はないだろ。無知でバカのままでいて欲しいんだから」
「そのようなことを言うのはよすんだ」
 ニャムサンの目がみるみる赤くなる。
「だってそうじゃないか。オレがみんなに認められるような人間になっちゃったら、親父みたいにマシャンに逆らうかもしれないと疑ってるんだろ。だったら尚論にはならないで、こんな家も捨ててしまったほうがいいと思うんだ」
「太子も捨ててしまう気か」
「ナツォクにはゲルシクのおっさんとティサンどのがいるから、オレなんか必要ないだろ」
「普段から太子のことを、友達、友達と言っているが、おまえの友達への思いはその程度だったのだな。これから『ツェンポ』という誰よりも重い荷を担わなくてはならぬ友を見捨てて、好き勝手に生きる。それで満足なのか」
「だって……、どうしたらいいかわからないよ」
 抱え込んだ膝に、ポツポツと涙が落ちる。ルコンが近づいてその背をそっと撫でても、ニャムサンがいつものように反発することはなかった。
「そうだな。確かにマシャンどのはおまえのことを嫌っている。だが、それをおまえが変えることは出来ない。だから、そんなことよりおまえ自身やおまえの大事な友達の将来のことを考えろ」
 膝に顔を埋めてしゃくりあげるニャムサンから離れると、ルコンはまた机上の書類を集め始めた。
「考えて、考え尽くして、それでもすべてを捨てて都を出たいと思うなら、もう止めない。だが、踏みとどまるのが正しいと思うのなら、わたしのもとで力をつけよ。マシャンどのににらまれたぐらいで怖気づいているいまのおまえでは、勝負にならないからな」
 すべての書類を整理して、トントンとそろえたとき、ニャムサンが顔をあげてつぶやいた。
「やめない。オレは尚論になってナツォクを守る」
「そうか」
 ルコンは微笑んで、書類をニャムサンに差し出した。
「では、とりあえずこれを見るんだ。国内の各地方で集められた税の記録だよ。わからないことはなんでも聞きなさい」
 素直に受け取り、鼻をすすりながら目をとおし始めたニャムサンのようすを時々うかがいながら、ルコンは机について今後の人事を検討していた。
「こんなにいっぱいのひとがこの国にはいるの?」
 しばらくして、目を丸くしたニャムサンが顔をあげた。涙はすでに乾いて、白い跡を頬に残している。
「それは定住している民の戸数だ。本当はその何倍もの人間が住んでいる」
 ルコンは机上に大きな紙を開いた。手招きすると、ニャムサンは立ち上がり机に近寄って首をひねった。
「なんの絵?」
「この国と周辺の地理を描いた地図の写しだ」
「地図?」
「空から地上を見たらこう見えるというように描いた図と言ったらいいかな。これで山や川や湖、そして大きな街道や砦、町や村がどの位置にあるかがわかるのだ。おまえは宮廷が移動するとき以外に都の外に出たことはないだろう」
 うなずくニャムサンに、ルコンは筆をとってこの国の範囲を大まかにぐるり描いてから都の場所に小さな丸を書いて見せる。
「この大きな丸が我が国が支配している土地。この小さな丸が都だ」
「え、嘘だろ」
「本当だよ。でもこの小さな丸なかに、数万人もの人が住んでいる。お前が知っているのは、この小さな丸からせいぜい2百里四方だけだな」
 ぐるりと都を中心としてだいたい2百里ほどを半径とした円を描く。
「こんなものだ。この国の大きさがわかるだろう。ツェンポはこの沢山の人の住む大きな国を治めなくてはならない。だから、尚論たちはそれをお助けするのだよ」
「なんだか怖いなぁ」
「ツェンポになられる太子は、もっと怖いはずだ」
「そうだね」
 言いながら、ニャムサンは真剣な顔で指を広げて、都から東南西北の距離を測り始める。思わず笑みがこぼれた。彼が素直にルコンの話に耳を傾けるのは久しぶりだ。
「小父さんやサンシが行った、唐というのはどこ」
「唐はこの大きな丸、つまりわが国の東と北を囲むようにある、とても大きな国だよ」
 ルコンはその国境の東北の端を指さす。
「ここが、ゲルシクどのの本拠地」
「え、あのおっさんは、こんな遠いとこから駆けつけて来たのか」
「そんなことも知らずに助けを求めたのか」
「知らなかったから簡単に頼めたんだよ」
 ルコンはそこから南東に指を滑らせて示す。
「年の始めにティサンどのとトンツェンどのが落とした洮州城はここだ」
 さらに真直ぐ南に指を移す。
「3年前にティサンどのがわが国に臣従させた南詔という国はここにある。いつかおまえもこの中のどこかに行くことになるかもしれないよ」
 ニャムサンは眉をひそめる。
「いくさはヤダって言ってるじゃないか」
「否も応もない。命じられたら行かねばならない」
「ずっと小父さんのところで働けないの」
「わたしもいくさに行くかもしれないぞ」
「え、小父さんが?」
「おいおい、わたしだって尚論だ。必要ならばいくさにも行くよ。こう見えて昔はゲルシクどのの副将として、ともに唐と戦っていたのだ」
 街道を指でなぞりながら、ニャムサンはまだ見たことのない山河を思い描いているのか、先ほどまで泣いていたのがウソのように目を輝かせていた。
「唐に行くにはこの道を通るんだね。サンシはこんな遠いところへ行って来たのか」
 ニャムサンには、いずれマシャンの後を継いでナナムの家長に、そして宰相となってこの国を支える人物になって欲しい。
 その手助けをするためには、どうしたらいいか。ルコンは頭に描き始めていた。
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