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第一章
大相の失脚 その5
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「悪いやつらは捕まっちまったから、いくさはないってよ」
噂は瞬く間に広がって、家財道具を背負った避難民たちの間には、祭りのような浮ついた空気が漂っていた。
「ちぇ、逃げ出して損したな」
「なんにもなかったんだからよかったじゃないか。いくさになっていたら家を焼かれて、戻ることも出来なかったろう」
「大相がツェンポさまを殺してたんだろ? 尚論たちも騙されてたのか?」
「そうだよ。ゲルシク将軍とティサン将軍が教えてやったんだ」
「なんで都の尚論が知らないのに、ふたりが知ったんだ」
そうじゃない。あいつらも共犯だったんだ。
反論の言葉を、ティゴルはグッと飲み込んだ。
「お偉いさん方の事情なんか知るかよ」
「なんだよ。まるで見てきたように話してたクセに」
「それにしたって頭にくる」
「大相め、取り立ててくださった恩を忘れてツェンポさまを殺すなんて、ふてぇ野郎だ」
「死刑になるんだろ。晒し者になったら見に行こうぜ」
「見に行くだけじゃおさまらねぇ。石のひとつでも投げてやる」
喜びの声がドンツァプへの怨嗟の響きに替わって、いたたまれなくなったティゴルは足早にひとごみから離れた。
制服を脱ぎ捨てたティゴルは下着姿のまま、都の郊外に避難するひとびとの群れに紛れ込んだ。宮中衛兵隊は庶民との接点がほとんどない。ここにティゴルの正体を知る者のいる恐れはなかった。
だが、そのうち国中にティゴルの捕縛を命じる触れが回るだろう。故郷に帰ることも出来ず、ティゴルは途方に暮れた。
これから、どう生きて行けばいいんだ。
「道の真ん中に突っ立ってんじゃねぇ。邪魔だ」
背中を突き飛ばされてよろめいた。振り向くと家財を山のように積んだ荷台の前で、商家の用心棒らしい筋骨たくましい男が仁王立ちしている。
「なに……」
こぶしを握り締めたとき、荷台の後ろからこん棒を手にしたふたりの若い男が助太刀しようと駆け寄って来るのが見えた。
「す、すみません」
ティゴルは慌てて脇に寄った。ガラガラと通り過ぎる荷台に向かって「クソッ」と口の中でつぶやく。あんな奴ら、ほんの5日前だったら指先ひとつで逮捕出来たのに。
3年前。牛の世話のしながら小さな畑を耕して暮らす日々に、若いティゴルは飽き飽きしていた。都に出て、尚論とまではいかなくても役人となって財産を築き、その後は悠々自適に暮らしたい。
そんなささやかな望みを持つティゴルが、か細いとはいえ血縁のあるドンツァプにツテを頼んだのは自然なことだ。都に向かうという行商の男と知り合ったティゴルは、男に大相への伝言を託した。
2、3か月は期待に胸を膨らませて待った。しかし、なんの返事もないまま半年がたつと、ティゴルはすっかりあきらめてしまった。
そもそも、一介の行商人が、大相に会えるわけがない。家来に言伝してくれたとしても、それがドンツァプの耳まで届くことはないのではないか。
暗闇のなかで横になると、ティゴルの伝言を受け取ったドンツァプの家来が侮蔑の笑みを浮かべるようすが思い浮かぶ。
なんの能力も実績もない田舎者が、身の程もわきまえずに高望みをしてやがる。
次の瞬間には、彼はティゴルの名も覚えていないに違いない。ティゴルはその度に屈辱を感じて寝床を転げまわった。
だからドンツァプからの迎えが来たときには驚いた。ドンツァプの家来という男は、ティゴルが気恥ずかしくなるほど恭しく頭を下げると言った。
「大相がお会いしたいということです。都にお越しください」
ティゴルはフワフワと夢見心地でその男について行った。
ひと月かけて到着した都は、美しく活気にあふれていた。見たこともないほどの数のひとびとが行きかい、商人たちの呼び込みの声が騒々しく押し寄せてくる。地上にもこんなに色があるのだ、ということを、ティゴルははじめて知った。ティゴルの故郷の色といったら、大地の茶色、草木の緑、ひとびとの衣類は灰色にくすんでいた。様々な色は天に、空や太陽や雲や星や月にあるものだった。それなのに、都の人々の身に着けているものは鮮やかな色に染められた衣、色とりどりの玉石や金属の装飾品。建物は朱や緑や青に塗られている。
クラクラとめまいがして、たたらを踏んだティゴルの袖を引く者がいる。振り向くと、「宿はお決まりですか?」と愛想のよい笑顔が話しかけて来る。
「え、オレは……」
なにか答えなくては。しかし、頭のなかが朦朧として、なんの言葉も浮かんでこない。焦っていると、「コラッ、この方は大相さまのご一族だ。軽々しく声をかけるな」とティゴルを案内するドンツァプの家来が厳しい顔をして咎めた。男は青ざめて深々と頭を下げると、そそくさと立ち去った。
ふと顔をあげると、小山の上から都を睥睨するようにそびえる王宮が目に入った。日の光を反射して、白壁が眩しいほど輝いている。とても人間の住んでいるところとは思えない。自分のような者が一歩でも足を踏み入れたら、罰が当たるのではないか。
どんどんその王宮に近づいて行く家来のあとに続きながら、ティゴルは畏怖を感じていた。
連れていかれたのは、王宮のふもとにある、ドンツァプの館だった。案内されるまま、これまで目にしたことのない見あげるほど高い建物に入る。押しつぶされそうな息苦しさを感じた。
部屋にあふれる金銀に輝く家具や極彩色の織物の真ん中に、これまた見たこともないほど肥えた大男がにこやかに待っていた。
「遠路はるばるよく来てくれたね」
大相バル・ケサン・ドンツァプは、まるで久しぶりに会った甥に対するかのように、親しくティゴルを迎えた。
「まったく儂としたことが、きみの家のことをスッカリ忘れていた。このような立派な若者を取り立てることもせずにいたとはもったいないことをしたものだ。お詫びに儂に出来ることならなんでもしてやろう。どんな仕事がしたいのだ」
ティゴルは緊張のあまり直立不動で声を張った。
「わたしは田舎育ちで学もなく、身体の丈夫さだけが取り柄のような者です。それでも男であるからには国のため、大相さまのために働きたいと思っております。大相さまがお与えくださるお仕事はなんでも命をかけて勤めさせていただきます」
「うんうん。儂のため、国のため、にね」
ドンツァプはちゃっかり順番を替えて言うと揉み手した。
「宮中衛兵隊はどうだろう」
ティゴルは聞き間違えかと思った。宮中衛兵隊は国中の若者の憧れの的だが、家柄も軍功もない田舎からぽっと出の者が入れる所ではないことくらい、ティゴルでも知っていた。
「え、衛兵隊でございますか?」
「そうだ。実は隊長の地位が空くので、きみにどうかと思って呼んだのだが」
「たっ」
ティゴルは言葉を詰まらせてしまった。ドンツァプはニコニコと笑顔を見せているが、からかっている、という雰囲気ではなかった。
「どうかな。そんなものでは不満か」
「とんでもございません。それどころか……私のような者に、そのような大変なお役目が務まるのでしょうか」
「きみは謙虚だな。そんなに難しいことはない。宮中の警備をするだけの衛兵隊など、実は飾りのようなものなのだ。だが、いざというときには王族や尚論を守らねばならん。だから信頼のおける、しっかりとした者に任せたいのだよ。いまの隊員は軟弱なくせに頭でっかちの良家の子弟ばかりで頼りなくてな。教育し直して、わたしの命じたとおりに動くようにして欲しいのだ」
こうしてティゴルは宮中衛兵隊の隊長になった。
しかしティゴルには軍の経験がない。それどころか、ひとの上に立って命令したことすらないのだ。兵士たちの教育方法などわかるはずがない。隊員には都育ちの中流貴族の庶子が多く、なかにはどこの馬の骨かわからぬ者とティゴルを見下してあからさまに反抗する兵士もいた。そんな者には怒鳴り、ときには殴って従わせた。やがて彼らは表向きは従順になっていったが、その目のなかからティゴルに対する侮蔑の色がなくなることはなかった。
そのなかにひとりだけ、毛色が違う男がいた。それがゴーだった。
ゴーの目のなかはただ澄み切って、なんの感情も読み取れなかった。そのうえティゴルの命令には口ごたえも反抗のそぶりも見せず、淡々と従う。ゴーが田舎生まれの庶民であることを知ると、ますます親しみを感じた。意外なことに、出自を鼻にかけティゴルをバカにしている隊員たちでも、ゴーには一目置いていた。剣の腕も冷徹な判断力も統率力も、隊のなかでは群を抜いていたからだ。ティゴルはゴーを副隊長に任命し、自分の右腕とした。
それからティゴルは隊員たちと向き合うことがなくなっていった。やるべきことをゴーに命じれば、彼が隊を思うように動かしてくれる。それに安んずるうちに、ティゴルは自分の存在が隊のなかで希薄になっていったことに気づかなかった。
ドンツァプもその実態に気づくことなく、ティゴルを通じて衛兵隊を思うように動かせるようになったと思い込んだ。だからあのようなおおそれた事を起こすことが出来たのだ。
ゴーはマシャンの犬だった。オレに従うふりをして、オレの持つべきものを全部掻っ攫った。
マシャンさえいなければ……。
「なあ」
ポンと肩をたたかれて、ティゴルは飛びあがった。恐る恐る顔を向けると、ティゴルと同じ年回りの20代半ばと見える赤ら顔の男が機嫌よく笑っていた。
「しかめ面してどうした。都に帰れるんだぞ。うれしくないのか」
なれなれしく肩を抱くと、酒臭い息を吹きかけて来る。
「う、うれしいさ」
「よし、祝い酒だ」
男はティゴルに酒の入った革袋を差し出す。ティゴルは男からそれを奪い取るとゴクゴクとあおった。
「おっ、気持ちいい飲みっぷりだねぇ」
男は笑いながら革袋を奪い返すと、他の男に声をかけに行ってしまった。
いつの間にか、そこに集っていたひとびとは半分ほどになっている。みな都に帰る道をゾロゾロと列をなして歩いていた。
口元をぬぐう。
ティゴルは酔った足取りでその流れに身を投じた。
1か月前は太子の帰還に沸いた都大路に、手と足と首に木の枷をはめられた30人ほどの者たちが晒されていた。ドンツァプとニェーシク、そして捕らえられたふたりの近親者たちだ。王殺しの重罪人たちの顔を見ようと黒山のひとだかりが出来た。見張りの兵士たちは緊張した面持ちで、殺気立った民衆の顔をにらみつけている。
ティゴルは兵士たちの目につかないよう、群衆の頭と頭の隙間から囚人たちを覗き見た。中ほどにニェーシクの顔が見えた。だが、ドンツァプが見つからない。目を凝らしてその顔を探していると、近くの男たちの会話が耳に入った。
「おい、大相ってのはどれだ」
「ど真ん中にいる、ブカブカの服を着たじじいだってよ」
「なんであんな服着てるんだ?」
「牢のなかで痩せちまったんだろ。前はそんだけ太ってたんだ」
「へっ、オレなんか牢に入らなくても食うや食わずでガリガリだっていうのによ」
ティゴルはニェーシクの右隣りの、白髪を乱してうつむいている男がドンツァプであることにようやく気づいた。いつもそばに仕えていたティゴルでさえ判別できぬほどやせ細り、老け込んでいる。この1か月の獄中生活がどれほど厳しいものだったか。
ドンツァプは一族の長として、ティゴルを温かく迎えてくれた。もちろんティゴルを利用するためだったのだろうが、そのときの喜びと誇らしさを思い出すと胸が締め付けられた。
下級役人が罪人の名と罪名、受ける刑罰を読み上げていく。
弑逆を実行したドンツァプとニェーシクは『水攻めの刑』と判決が下っていた。息が絶えるまで、川に何度も沈めるという処刑方法だ。ティゴルも捕まっていたら同じ刑に処せられたのだろう。そのほかの者は死罪を免れ、鞭打ちのうえ、へき地への追放と決まった。
罵声をあげた民衆のなかから投げられた土くれが、ドンツァプの額にあたった。それを見たひとびとは堰を切ったように、足元の土を握って罪人たちに投げつけ始める。あっという間に罪人たちは泥人形のようになった。兵士は必要以上に近寄らなければその行動を止める気はないらしい。自分に土がかかると、イヤな顔をして払うだけだった。
ドンツァプとニェーシクは、うつむいたまま微動だにせずその辱めに耐えていた。
ティゴルは彼らに背を向けると、足早に立ち去った。
頭のなかに不穏な声が満ちてくる。
「マシャンめ。このかたきは必ず取ってやる。いまに見ていろ」
それからはひたすら、マシャンめ、マシャンめ、とひとに聞こえぬよう口中につぶやきながら都のはずれの貧民街に姿を消した。
噂は瞬く間に広がって、家財道具を背負った避難民たちの間には、祭りのような浮ついた空気が漂っていた。
「ちぇ、逃げ出して損したな」
「なんにもなかったんだからよかったじゃないか。いくさになっていたら家を焼かれて、戻ることも出来なかったろう」
「大相がツェンポさまを殺してたんだろ? 尚論たちも騙されてたのか?」
「そうだよ。ゲルシク将軍とティサン将軍が教えてやったんだ」
「なんで都の尚論が知らないのに、ふたりが知ったんだ」
そうじゃない。あいつらも共犯だったんだ。
反論の言葉を、ティゴルはグッと飲み込んだ。
「お偉いさん方の事情なんか知るかよ」
「なんだよ。まるで見てきたように話してたクセに」
「それにしたって頭にくる」
「大相め、取り立ててくださった恩を忘れてツェンポさまを殺すなんて、ふてぇ野郎だ」
「死刑になるんだろ。晒し者になったら見に行こうぜ」
「見に行くだけじゃおさまらねぇ。石のひとつでも投げてやる」
喜びの声がドンツァプへの怨嗟の響きに替わって、いたたまれなくなったティゴルは足早にひとごみから離れた。
制服を脱ぎ捨てたティゴルは下着姿のまま、都の郊外に避難するひとびとの群れに紛れ込んだ。宮中衛兵隊は庶民との接点がほとんどない。ここにティゴルの正体を知る者のいる恐れはなかった。
だが、そのうち国中にティゴルの捕縛を命じる触れが回るだろう。故郷に帰ることも出来ず、ティゴルは途方に暮れた。
これから、どう生きて行けばいいんだ。
「道の真ん中に突っ立ってんじゃねぇ。邪魔だ」
背中を突き飛ばされてよろめいた。振り向くと家財を山のように積んだ荷台の前で、商家の用心棒らしい筋骨たくましい男が仁王立ちしている。
「なに……」
こぶしを握り締めたとき、荷台の後ろからこん棒を手にしたふたりの若い男が助太刀しようと駆け寄って来るのが見えた。
「す、すみません」
ティゴルは慌てて脇に寄った。ガラガラと通り過ぎる荷台に向かって「クソッ」と口の中でつぶやく。あんな奴ら、ほんの5日前だったら指先ひとつで逮捕出来たのに。
3年前。牛の世話のしながら小さな畑を耕して暮らす日々に、若いティゴルは飽き飽きしていた。都に出て、尚論とまではいかなくても役人となって財産を築き、その後は悠々自適に暮らしたい。
そんなささやかな望みを持つティゴルが、か細いとはいえ血縁のあるドンツァプにツテを頼んだのは自然なことだ。都に向かうという行商の男と知り合ったティゴルは、男に大相への伝言を託した。
2、3か月は期待に胸を膨らませて待った。しかし、なんの返事もないまま半年がたつと、ティゴルはすっかりあきらめてしまった。
そもそも、一介の行商人が、大相に会えるわけがない。家来に言伝してくれたとしても、それがドンツァプの耳まで届くことはないのではないか。
暗闇のなかで横になると、ティゴルの伝言を受け取ったドンツァプの家来が侮蔑の笑みを浮かべるようすが思い浮かぶ。
なんの能力も実績もない田舎者が、身の程もわきまえずに高望みをしてやがる。
次の瞬間には、彼はティゴルの名も覚えていないに違いない。ティゴルはその度に屈辱を感じて寝床を転げまわった。
だからドンツァプからの迎えが来たときには驚いた。ドンツァプの家来という男は、ティゴルが気恥ずかしくなるほど恭しく頭を下げると言った。
「大相がお会いしたいということです。都にお越しください」
ティゴルはフワフワと夢見心地でその男について行った。
ひと月かけて到着した都は、美しく活気にあふれていた。見たこともないほどの数のひとびとが行きかい、商人たちの呼び込みの声が騒々しく押し寄せてくる。地上にもこんなに色があるのだ、ということを、ティゴルははじめて知った。ティゴルの故郷の色といったら、大地の茶色、草木の緑、ひとびとの衣類は灰色にくすんでいた。様々な色は天に、空や太陽や雲や星や月にあるものだった。それなのに、都の人々の身に着けているものは鮮やかな色に染められた衣、色とりどりの玉石や金属の装飾品。建物は朱や緑や青に塗られている。
クラクラとめまいがして、たたらを踏んだティゴルの袖を引く者がいる。振り向くと、「宿はお決まりですか?」と愛想のよい笑顔が話しかけて来る。
「え、オレは……」
なにか答えなくては。しかし、頭のなかが朦朧として、なんの言葉も浮かんでこない。焦っていると、「コラッ、この方は大相さまのご一族だ。軽々しく声をかけるな」とティゴルを案内するドンツァプの家来が厳しい顔をして咎めた。男は青ざめて深々と頭を下げると、そそくさと立ち去った。
ふと顔をあげると、小山の上から都を睥睨するようにそびえる王宮が目に入った。日の光を反射して、白壁が眩しいほど輝いている。とても人間の住んでいるところとは思えない。自分のような者が一歩でも足を踏み入れたら、罰が当たるのではないか。
どんどんその王宮に近づいて行く家来のあとに続きながら、ティゴルは畏怖を感じていた。
連れていかれたのは、王宮のふもとにある、ドンツァプの館だった。案内されるまま、これまで目にしたことのない見あげるほど高い建物に入る。押しつぶされそうな息苦しさを感じた。
部屋にあふれる金銀に輝く家具や極彩色の織物の真ん中に、これまた見たこともないほど肥えた大男がにこやかに待っていた。
「遠路はるばるよく来てくれたね」
大相バル・ケサン・ドンツァプは、まるで久しぶりに会った甥に対するかのように、親しくティゴルを迎えた。
「まったく儂としたことが、きみの家のことをスッカリ忘れていた。このような立派な若者を取り立てることもせずにいたとはもったいないことをしたものだ。お詫びに儂に出来ることならなんでもしてやろう。どんな仕事がしたいのだ」
ティゴルは緊張のあまり直立不動で声を張った。
「わたしは田舎育ちで学もなく、身体の丈夫さだけが取り柄のような者です。それでも男であるからには国のため、大相さまのために働きたいと思っております。大相さまがお与えくださるお仕事はなんでも命をかけて勤めさせていただきます」
「うんうん。儂のため、国のため、にね」
ドンツァプはちゃっかり順番を替えて言うと揉み手した。
「宮中衛兵隊はどうだろう」
ティゴルは聞き間違えかと思った。宮中衛兵隊は国中の若者の憧れの的だが、家柄も軍功もない田舎からぽっと出の者が入れる所ではないことくらい、ティゴルでも知っていた。
「え、衛兵隊でございますか?」
「そうだ。実は隊長の地位が空くので、きみにどうかと思って呼んだのだが」
「たっ」
ティゴルは言葉を詰まらせてしまった。ドンツァプはニコニコと笑顔を見せているが、からかっている、という雰囲気ではなかった。
「どうかな。そんなものでは不満か」
「とんでもございません。それどころか……私のような者に、そのような大変なお役目が務まるのでしょうか」
「きみは謙虚だな。そんなに難しいことはない。宮中の警備をするだけの衛兵隊など、実は飾りのようなものなのだ。だが、いざというときには王族や尚論を守らねばならん。だから信頼のおける、しっかりとした者に任せたいのだよ。いまの隊員は軟弱なくせに頭でっかちの良家の子弟ばかりで頼りなくてな。教育し直して、わたしの命じたとおりに動くようにして欲しいのだ」
こうしてティゴルは宮中衛兵隊の隊長になった。
しかしティゴルには軍の経験がない。それどころか、ひとの上に立って命令したことすらないのだ。兵士たちの教育方法などわかるはずがない。隊員には都育ちの中流貴族の庶子が多く、なかにはどこの馬の骨かわからぬ者とティゴルを見下してあからさまに反抗する兵士もいた。そんな者には怒鳴り、ときには殴って従わせた。やがて彼らは表向きは従順になっていったが、その目のなかからティゴルに対する侮蔑の色がなくなることはなかった。
そのなかにひとりだけ、毛色が違う男がいた。それがゴーだった。
ゴーの目のなかはただ澄み切って、なんの感情も読み取れなかった。そのうえティゴルの命令には口ごたえも反抗のそぶりも見せず、淡々と従う。ゴーが田舎生まれの庶民であることを知ると、ますます親しみを感じた。意外なことに、出自を鼻にかけティゴルをバカにしている隊員たちでも、ゴーには一目置いていた。剣の腕も冷徹な判断力も統率力も、隊のなかでは群を抜いていたからだ。ティゴルはゴーを副隊長に任命し、自分の右腕とした。
それからティゴルは隊員たちと向き合うことがなくなっていった。やるべきことをゴーに命じれば、彼が隊を思うように動かしてくれる。それに安んずるうちに、ティゴルは自分の存在が隊のなかで希薄になっていったことに気づかなかった。
ドンツァプもその実態に気づくことなく、ティゴルを通じて衛兵隊を思うように動かせるようになったと思い込んだ。だからあのようなおおそれた事を起こすことが出来たのだ。
ゴーはマシャンの犬だった。オレに従うふりをして、オレの持つべきものを全部掻っ攫った。
マシャンさえいなければ……。
「なあ」
ポンと肩をたたかれて、ティゴルは飛びあがった。恐る恐る顔を向けると、ティゴルと同じ年回りの20代半ばと見える赤ら顔の男が機嫌よく笑っていた。
「しかめ面してどうした。都に帰れるんだぞ。うれしくないのか」
なれなれしく肩を抱くと、酒臭い息を吹きかけて来る。
「う、うれしいさ」
「よし、祝い酒だ」
男はティゴルに酒の入った革袋を差し出す。ティゴルは男からそれを奪い取るとゴクゴクとあおった。
「おっ、気持ちいい飲みっぷりだねぇ」
男は笑いながら革袋を奪い返すと、他の男に声をかけに行ってしまった。
いつの間にか、そこに集っていたひとびとは半分ほどになっている。みな都に帰る道をゾロゾロと列をなして歩いていた。
口元をぬぐう。
ティゴルは酔った足取りでその流れに身を投じた。
1か月前は太子の帰還に沸いた都大路に、手と足と首に木の枷をはめられた30人ほどの者たちが晒されていた。ドンツァプとニェーシク、そして捕らえられたふたりの近親者たちだ。王殺しの重罪人たちの顔を見ようと黒山のひとだかりが出来た。見張りの兵士たちは緊張した面持ちで、殺気立った民衆の顔をにらみつけている。
ティゴルは兵士たちの目につかないよう、群衆の頭と頭の隙間から囚人たちを覗き見た。中ほどにニェーシクの顔が見えた。だが、ドンツァプが見つからない。目を凝らしてその顔を探していると、近くの男たちの会話が耳に入った。
「おい、大相ってのはどれだ」
「ど真ん中にいる、ブカブカの服を着たじじいだってよ」
「なんであんな服着てるんだ?」
「牢のなかで痩せちまったんだろ。前はそんだけ太ってたんだ」
「へっ、オレなんか牢に入らなくても食うや食わずでガリガリだっていうのによ」
ティゴルはニェーシクの右隣りの、白髪を乱してうつむいている男がドンツァプであることにようやく気づいた。いつもそばに仕えていたティゴルでさえ判別できぬほどやせ細り、老け込んでいる。この1か月の獄中生活がどれほど厳しいものだったか。
ドンツァプは一族の長として、ティゴルを温かく迎えてくれた。もちろんティゴルを利用するためだったのだろうが、そのときの喜びと誇らしさを思い出すと胸が締め付けられた。
下級役人が罪人の名と罪名、受ける刑罰を読み上げていく。
弑逆を実行したドンツァプとニェーシクは『水攻めの刑』と判決が下っていた。息が絶えるまで、川に何度も沈めるという処刑方法だ。ティゴルも捕まっていたら同じ刑に処せられたのだろう。そのほかの者は死罪を免れ、鞭打ちのうえ、へき地への追放と決まった。
罵声をあげた民衆のなかから投げられた土くれが、ドンツァプの額にあたった。それを見たひとびとは堰を切ったように、足元の土を握って罪人たちに投げつけ始める。あっという間に罪人たちは泥人形のようになった。兵士は必要以上に近寄らなければその行動を止める気はないらしい。自分に土がかかると、イヤな顔をして払うだけだった。
ドンツァプとニェーシクは、うつむいたまま微動だにせずその辱めに耐えていた。
ティゴルは彼らに背を向けると、足早に立ち去った。
頭のなかに不穏な声が満ちてくる。
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浅井 ことは
キャラ文芸
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四つの巻物と本の解読で段々と力を身につけだした雪翔。
狐の国で保護されながら、五つ目の巻物を持つ九堂の居所をつかみ、自身を鍵とする場所に辿り着けるのか!
四社の狐に天狐が大集結。
第七弾始動!
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表紙の無断使用は固くお断りさせて頂いております。
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
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