摂政ナナム・マシャン・ドムパ・キェの失脚

りゅ・りくらむ

文字の大きさ
44 / 58
第三章

ニャムサンの受難 その3

しおりを挟む


 白昼堂々、ティゴルは名門貴族の屋敷が建ち並ぶ閑静な通りを歩いて行く。目指すはマルポ山の麓。ナナム本家。その門の近くに、大きな白楊があるはずだ。
 ティゴルの記憶に違わず、白楊の大木はマシャンの屋敷の前に立っていた。葉は落ちているが、幹の陰になるところに手頃な枝が生えている。わき目も振らずここまで歩いてきたティゴルは、はじめて周りをうかがった。ひとの気配がないのを確認して、白楊をするすると登る。狙っていた枝に腰をかけ、待った。
 ティゴルが衛兵隊長だったころのマシャンは決まった時間に出仕し、決まった時間に致仕していた。そして途中寄り道をすることなく、まっすぐ帰宅する。そのつまらない生活は、摂政になったいまも変わっていないようだ。予想を違わず、太陽が大分西に傾いた頃、マルポ山の方向から騎馬の一行が姿を見せた。
 ティゴルは弓に矢をつがえて、幹の陰から観察した。家来たちに囲まれたマシャンの顔を確認すると、狙いをつけて、彼が射程距離に入るのを待つ。ティゴルの目には、もうマシャンしか見えていなかった。マシャンの端正な顔が苦痛で歪む様が脳裏に浮かぶ。高揚感で全身が熱くなった。
 どうせ捕まって殺されるのなら、マシャンの断末魔を見届けてやろう。
 ティゴルが微笑みながら弦から指を離そうとした、そのとき、マシャンの前を男が横切った。その顔にカッと頭に血が昇り、身体が震える。
 ゴーだ。
 気がつくと、弦が指から離れていた。
「しまった!」
 矢が、ティゴルの予想していた軌道と、かなりずれて飛んでいくのがわかった。
「クソッ!」
 ティゴルは木から飛び降り、後ろを見ずに駆けだした。

 馬蹄の音が背後に迫る。目の前の十字路、どちらに逃げるか一瞬迷った、そのとき。身を切るような殺気を感じて、ティゴルはとっさに横に飛んだ。左頬のすぐわきを、光るものが走った。ティゴルは転がって、道路わきの塀に背中を打ちつける。うめきながら立ち上がると、十字路で馬上のゴーがティゴルを見下ろしていた。背後からバラバラと乱れた足音がする。マシャンの家来たちだろう。だが、それを確かめる余裕はティゴルにはなかった。
 ゴーはティゴルの背後を目で制すると馬を降りる。抜き身を手にしたまま静かに言った。
「もう、逃げ場はありませんよ」
 その冷静さがしゃくにさわってならない。
「マシャンの犬め」
 ゴーの表情は変わらなかった。ゴーの腕前は知っている。空手のティゴルに勝ち目はない。でも。ほんのわずかな希望が、ゴーの背後にある。最初の一撃を躱すことが出来れば……。
 ティゴルの思惑を読んだように、ゴーはもう一度、ゆっくりと言った。
「もう、逃げ場は、ありません」
 どうにか、ゴーの動揺を誘えないだろうか。必死で思考をめぐらして、ふと、思い出す。
「まてよ。オレはおんなたらしを、ニャムサンの身柄を預かっている。縛って閉じ込めているんだ。ここでオレを殺したら、あいつは洞窟のなかで野垂れ死んじまうぜ」
 わずかに目を細めたゴーは低い声で言った。
「それは、好都合」
 意外な反応に身体を固くして身構えるティゴルに、ゴーはゆっくりと歩み寄って来る。右手の剣がなければ、散策でもしているような軽い足取りだ。キラリと刀身が陽を反射して、ティゴルの目を打つ。ゴーがささやいた。
「ならば、あなたにはここで死んでいただかねば」
「なんだと?」
 見開いた目の前に、スッと切っ先が突きつけられた。
 と、次の瞬間、あらぬ方向に剣が降られた。キンと高い音を立てて、なにかが跳ね返る。ゴーがティゴルに背中を見せた。
「馬だ!」
 甲高い声が聞こえて、ティゴルは考えるより先に走った。十字路に、ゴーの馬がたたずんでいる。
「止まれ!」
 はじめて、ゴーが声を荒らげた。
 背を襲う剣のうなりに、思わず振り返ったとき、丸い影がゴーに突進して来た。切っ先が鼻先を掠める。ゴーが身を翻して影を避けた。
「早く乗れ」
 太った男が、ゴーとティゴルの間に立ちはだかって言った。ティゴルは無我夢中で馬によじ登る。太った男は、目線でゴーを制しながら、その体躯に似合わぬ身軽さでティゴルの後ろに飛び乗った。
 馬が走り出す。
 駆け寄るマシャンの家来たちと、鬼のような形相でにらむゴーの姿が、みるみる遠ざかって行った。

 太った男は人通りの多い下町まで来ると、馬を止めて降りた。
「さあ、降りてくれ」
 低い声に促されて、ティゴルが降りると、太った男は馬の尻をたたく。馬は元来た道を走り去っていった。
「あぶなかったな」
 男はのんびりとした口調で話しかけてくる。
「おまえ、誰だ。なんでオレを助けてくれた」
 ティゴルはマジマジと太った男を見る。その顔にも声にも、覚えはない。
「馬のことを教えてくれたのは誰だ。声が違った」
「まあ、そうせかすなよ」
 太った男は大きくのびをする。
「ここで兄者を待とう。詳しい話はその後だ」
 男の長閑な調子に、ティゴルも緊張を解いた。
「もうひとりは兄弟か」
「そうだ、オレたちは双子なんだ。あんまり似てないけどな」

 到着した双子の兄を見て、ティゴルはあきれた。似ていないといっても、これほど似ていない兄弟などいるものなのか。長身でやせっぽっちの双子の兄は、せかせかとした口調で言った。
「オレはニマだ。弟はダワ。あんたは?」
 ティゴルは少し考えて、偽名を告げた。
「オレはテサルだ」
「そうか。よろしくな、テサル」
 ふたりはまったく疑うことなく、ティゴルの肩をたたいて笑う。
「とりあえず都を出ようぜ。追っ手がかかるかもしれない」
 三人は連れだって都の外へ向かって歩いた。
「それにしてもあんた、たったひとりでマシャンをやっつけるつもりだったんだな。すごいよ」
 ダワが首を振りながら感心したように言う。
「オレたちもあいつを殺してやろうとして付け狙っていたんだけど、なかなかその機会がなかった。だからあんたを助けたんだ。同じかたきを持つ仲間だからな」
「あんたたちもマシャンに恨みがあるのか」
 ニマはせわしなく首を縦に振った。
「マシャンはオレたちの親父を殺したんだ。親父は銀細工の職人だった。腕が良かったから、貴族のお得意がいっぱいいたよ。特に前大相のレン・ケサン・ドンツァプは親父の作るものを気に入ってくれて、いっぱい注文してくれた」
 ドンツァプの名を聞いて、ティゴルは背中がひやりとした。
「でも、親父は別に政治がどうとかなんて知ったこっちゃないから、マシャンに含むところなんか全然なかったんだ。それなのに、大得意がいなくなって残念だというようなことをちょっと漏らしたのを密告されて、逮捕されちまった」
「それで、親父さんは牢屋で殺されたのか?」
 ダワが沈んだ声で答えた。
「多分、拷問されてな。そうやって死んだヤツが沢山いるって噂だ」
「ひどいな。だからかたきを取ろうとしていたのか」
 ニマがうなずきながら早口で言う。
「でもあいつはいつも家来に囲まれているだろ。なかなか手出しができなかった。あんた勇気あるな」
 ふたりに尊敬のまなざしで見られて、ティゴルはだんだんいい気分になってきた。
「ところで、テサルはマシャンになにをされたんだ?」
「親戚を殺されたんだ。オレの就職の世話をしてくれた恩人だった」
「そうか。あいつはそうやって無実の人間を殺しまくって、自分は王さまの叔父だって威張ってるんだ。許せないぜ」
 早口のニマに対して、ダワはのんきな口調で言った。
「なあ、オレたちと協力し合わないか。三人なら、絶対あいつをやっつけられるよ」
「ああ、そうだな。ところで、あんたたち泊るところはあるのか?」
 ティゴルが訊くと、双子は顔を見合わせる。ニマが答えた。
「一か所に留まると目をつけられるから、いつも空き家を探して潜り込んでるよ。見つからなければ野宿だな」
「だったら、とりあえず今夜はオレのところに来ないか?」
「そりゃ助かる」
 ニマが飛びつくように言う。ティゴルはニヤついた。
「お楽しみが待ってるんだ。マシャンに瓜ふたつの顔をした、マシャンの甥さ。代わりにいたぶってやろうぜ」
 双子は目を丸くしてティゴルを見つめたまま、口を閉ざした。
「どうした?」
「だって、マシャンの甥って……偉いんだろ?」
「偉くなんかあるものか。どうしようもないバカガキだぜ」
 ダワがゆっくりと言った。
「ガキだって尚論じゃないのか? どうやって捕まえたんだ」
 ティゴルは鼻で笑った。
「その尚論さまが、都の外をひとりでブラブラ出歩いてやがったんだ。伯父貴にも言えない女のところに行くつもりだったんだろ」
 双子は顔を見合わせる。
「へえ、すごいな。でも、なんでそいつがマシャンの甥だってわかったんだ? 知り合いなのか?」
「え? そりゃ、あいつにソックリだから、ピンと来たんだ」
 ティゴルがしどろもどろになると、ダワがぼそりと言った。
「なんだっていいよ。テサルの言うとおり、いい気晴らしになるぜ」
 ニマが微笑む。
「ああ、そうだな。案内してくれよ」
 ティゴルは意気揚々とふたりの先に立って歩き出した。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

別れし夫婦の御定書(おさだめがき)

佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ 嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。 離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。 月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。 おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。 されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて—— ※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

偽夫婦お家騒動始末記

紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】 故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。 紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。 隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。 江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。 そして、拾った陰間、紫音の正体は。 活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

石榴(ざくろ)の月~愛され求められ奪われて~

めぐみ
歴史・時代
お民は江戸は町外れ徳平店(とくべいだな)に夫源治と二人暮らし。  源治はお民より年下で、お民は再婚である。前の亭主との間には一人息子がいたが、川に落ちて夭折してしまった。その後、どれだけ望んでも、子どもは授からなかった。  長屋暮らしは慎ましいものだが、お民は夫に愛されて、女としても満ち足りた日々を過ごしている。  そんなある日、徳平店が近々、取り壊されるという話が持ちあがる。徳平店の土地をもっているのは大身旗本の石澤嘉門(いしざわかもん)だ。その嘉門、実はお民をふとしたことから見初め、お民を期間限定の側室として差し出すなら、長屋取り壊しの話も考え直しても良いという。  明らかにお民を手に入れんがための策略、しかし、お民は長屋に住む皆のことを考えて、殿様の取引に応じるのだった。 〝行くな!〟と懸命に止める夫に哀しく微笑み、〝約束の1年が過ぎたから、きっとお前さんの元に帰ってくるよ〟と残して―。

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

下宿屋 東風荘 7

浅井 ことは
キャラ文芸
☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆*:..☆ 四つの巻物と本の解読で段々と力を身につけだした雪翔。 狐の国で保護されながら、五つ目の巻物を持つ九堂の居所をつかみ、自身を鍵とする場所に辿り着けるのか! 四社の狐に天狐が大集結。 第七弾始動! ☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆*:..☆ 表紙の無断使用は固くお断りさせて頂いております。

処理中です...