1 / 11
【1.指輪を奪われる】
しおりを挟む
マクリーン子爵領の中心都市のやや外れにある小さな家に、マクリーン子爵はたいしたお供もつけずに訪れていた。
「ハンナ、入るぞ」
マクリーン子爵は、サラサラな金髪をきっちり整え、美しい顔に理知的な眼鏡をわざとらしく鼻にひっかけている。
マクリーン子爵が返事も待たずに家に入ると、もわっと不快な匂いが鼻をついた。
「くさい! なんだこの匂いは。まったく気持ち悪い女だな。離縁したのに領地から出ても行かずに留まり、変な香を焚き詰めているというのは。いったい何のまじないだ、これは!」
ハンナは元夫のいきなりの訪問に眉を顰めながら、
「別にまじないではありません。母から教えてもらった代々伝わる香を調合していたのです。それより何ですか。来るなら一言連絡いただけませんかね」
と苦言を漏らす。
しかし、マクリーン子爵はハンナの不平不満には何も答えず、
「指輪を返してくれ。再婚した新しい妻がおまえのその指輪を欲しがっていてね。なにせそれは由緒正しいものだから」
と単刀直入に用件を言った。
突然の申し出にハンナは固まった。
「は? これは皇帝陛下から私が賜ったものです」
「おまえが貰ったなら子爵家が貰ったも同然だ」
「でも私が日頃から身に着けていたものですよ。離婚時の財産分与では話題にも上らなかったはずですが?」
「忘れていただけだ。だがそもそも子爵家の財産なのだから、わざわざおまえに分与しなかった以上うちのものだ。どちらかというと話題にしなかったのはおまえの落ち度だな」
マクリーン子爵はそう正当性を主張した。
ハンナは、そんなことを言うのなら離縁のときに持って出たドレスやお気に入りの本や飼っていた猫だって、きちんと財産分与の契約書類を作ったわけではあるまいに、と心の中でツッコんだ。
そして、やんわりとした口調で丁寧に提案する。
「では皇帝陛下に、誰に贈ったものなのかはっきりさせていただきましょう」
「それはだめだ」
すかさずマクリーン子爵が拒否した。
ハンナは怪訝そうな顔をした。
「なぜです? 子爵家のものと言い張るのなら――」
「その提案はおまえに有利であり過ぎる。贈ったという形だけで見れば、皇帝陛下はおまえに着けてもらうことを想定しているはずなのだから。しかし財産という形なら、おまえは子爵家の妻だったのだから贈られたものは全て子爵家の財産になるはずだ」
「それは! あまりにも言い分が過ぎるのではありませんか?」
「物事そういうものだ。不満か?」
「そりゃ不満です。この指輪はかの大女帝の血をひく者として、私が賜ったのですから。私のルーツを証明するものとして大事にしております。そんな血筋の違うどこぞの令嬢に差し上げるようなものではありません」
ハンナは強く言い返した。
そう、この指輪はかつて女帝として君臨した曾祖母が気に入っており、肌身離さず付けていたものだと聞く。
南の地方の鉱山でとれた希少な色付き宝石らしい。専門家たちには、この種の宝石はこんな色になるはずがない、不純物が凄いと、たいして評価しなかった。これは正当な純正品ではありません、価値はほとんどありませんよ、と。
しかし、女帝は気に入ったのだ。価値は私が決める、不純物でも結構、私は気に入った!と気にせず愛用した。
もちろん、専門的に言えば価値はなかった。
しかしハンナはこの話を気に入ってた。
それは、女帝が常識にとらわれず、自分の価値で行動したことを端的に表す逸話として、今も残っていた。女帝は、人材を発掘し、産業を整備し、いくつかの有力貴族の自治によってばらばらになりかけていた国を一つにまとめ上げた。彼女の才覚によるものだった。
ハンナにとってこの指輪はそんな指輪なのである。
親族でもない令嬢に「はいどうぞ」と気軽に差し出せるものではないのだ。
しかし、マクリーン子爵はどこ吹く風だった。
「エマが言うんだよ。この名高い女帝の指輪は子爵家のものだというのに、元妻が持っているなんておかしいとね。別れた元妻は他人なのに、と。血筋とか形見とか、そのようなことは私たちには関係ないのでね」
「でも!」
「渡さないなら子爵家の財産を盗んだ者として投獄する」
「何ですって? 横暴です!」
「横暴ではない。盗人相応の対応だ」
淡々と宣言するマクリーン子爵をハンナは絶望を込めた目で睨んだ。
「……」
それを冷たい目でマクリーン子爵は見下ろした。
「こんなちっぽけな指輪一つで人生を棒に振りたくはないだろう? 私も投獄をチラつかせて説得するなど大人気ないのは分かっているが、そこはおまえの対応力次第だ。ぜひ大人な対応というのを見せてくれ。指輪など、なくても生きていけるものなのだから」
「……」
指輪など、なくても生きていける?
それはあなたの新しい奥様にも同じことが言えるのでは、と心の中で思ったが、ハンナは黙っていた。
自分都合で何でも相手を言いくるめようとするマクリーン子爵に、言い返そうったって無駄なのだ。
ハンナは指輪を抜き取ると、せめてもの不満を表明するように、マクリーン子爵に投げつけた。
マクリーン子爵は一瞬ムッとした顔をしたが、可愛い新妻のために指輪が手に入ったのだから良いかと気を静め、用件は済んだとばかりに出て行こうとした。最後に捨て台詞を吐いて。
「ふん。行き場のないおまえを我が領地に置いてやっているんだ。感謝しろ」
「ハンナ、入るぞ」
マクリーン子爵は、サラサラな金髪をきっちり整え、美しい顔に理知的な眼鏡をわざとらしく鼻にひっかけている。
マクリーン子爵が返事も待たずに家に入ると、もわっと不快な匂いが鼻をついた。
「くさい! なんだこの匂いは。まったく気持ち悪い女だな。離縁したのに領地から出ても行かずに留まり、変な香を焚き詰めているというのは。いったい何のまじないだ、これは!」
ハンナは元夫のいきなりの訪問に眉を顰めながら、
「別にまじないではありません。母から教えてもらった代々伝わる香を調合していたのです。それより何ですか。来るなら一言連絡いただけませんかね」
と苦言を漏らす。
しかし、マクリーン子爵はハンナの不平不満には何も答えず、
「指輪を返してくれ。再婚した新しい妻がおまえのその指輪を欲しがっていてね。なにせそれは由緒正しいものだから」
と単刀直入に用件を言った。
突然の申し出にハンナは固まった。
「は? これは皇帝陛下から私が賜ったものです」
「おまえが貰ったなら子爵家が貰ったも同然だ」
「でも私が日頃から身に着けていたものですよ。離婚時の財産分与では話題にも上らなかったはずですが?」
「忘れていただけだ。だがそもそも子爵家の財産なのだから、わざわざおまえに分与しなかった以上うちのものだ。どちらかというと話題にしなかったのはおまえの落ち度だな」
マクリーン子爵はそう正当性を主張した。
ハンナは、そんなことを言うのなら離縁のときに持って出たドレスやお気に入りの本や飼っていた猫だって、きちんと財産分与の契約書類を作ったわけではあるまいに、と心の中でツッコんだ。
そして、やんわりとした口調で丁寧に提案する。
「では皇帝陛下に、誰に贈ったものなのかはっきりさせていただきましょう」
「それはだめだ」
すかさずマクリーン子爵が拒否した。
ハンナは怪訝そうな顔をした。
「なぜです? 子爵家のものと言い張るのなら――」
「その提案はおまえに有利であり過ぎる。贈ったという形だけで見れば、皇帝陛下はおまえに着けてもらうことを想定しているはずなのだから。しかし財産という形なら、おまえは子爵家の妻だったのだから贈られたものは全て子爵家の財産になるはずだ」
「それは! あまりにも言い分が過ぎるのではありませんか?」
「物事そういうものだ。不満か?」
「そりゃ不満です。この指輪はかの大女帝の血をひく者として、私が賜ったのですから。私のルーツを証明するものとして大事にしております。そんな血筋の違うどこぞの令嬢に差し上げるようなものではありません」
ハンナは強く言い返した。
そう、この指輪はかつて女帝として君臨した曾祖母が気に入っており、肌身離さず付けていたものだと聞く。
南の地方の鉱山でとれた希少な色付き宝石らしい。専門家たちには、この種の宝石はこんな色になるはずがない、不純物が凄いと、たいして評価しなかった。これは正当な純正品ではありません、価値はほとんどありませんよ、と。
しかし、女帝は気に入ったのだ。価値は私が決める、不純物でも結構、私は気に入った!と気にせず愛用した。
もちろん、専門的に言えば価値はなかった。
しかしハンナはこの話を気に入ってた。
それは、女帝が常識にとらわれず、自分の価値で行動したことを端的に表す逸話として、今も残っていた。女帝は、人材を発掘し、産業を整備し、いくつかの有力貴族の自治によってばらばらになりかけていた国を一つにまとめ上げた。彼女の才覚によるものだった。
ハンナにとってこの指輪はそんな指輪なのである。
親族でもない令嬢に「はいどうぞ」と気軽に差し出せるものではないのだ。
しかし、マクリーン子爵はどこ吹く風だった。
「エマが言うんだよ。この名高い女帝の指輪は子爵家のものだというのに、元妻が持っているなんておかしいとね。別れた元妻は他人なのに、と。血筋とか形見とか、そのようなことは私たちには関係ないのでね」
「でも!」
「渡さないなら子爵家の財産を盗んだ者として投獄する」
「何ですって? 横暴です!」
「横暴ではない。盗人相応の対応だ」
淡々と宣言するマクリーン子爵をハンナは絶望を込めた目で睨んだ。
「……」
それを冷たい目でマクリーン子爵は見下ろした。
「こんなちっぽけな指輪一つで人生を棒に振りたくはないだろう? 私も投獄をチラつかせて説得するなど大人気ないのは分かっているが、そこはおまえの対応力次第だ。ぜひ大人な対応というのを見せてくれ。指輪など、なくても生きていけるものなのだから」
「……」
指輪など、なくても生きていける?
それはあなたの新しい奥様にも同じことが言えるのでは、と心の中で思ったが、ハンナは黙っていた。
自分都合で何でも相手を言いくるめようとするマクリーン子爵に、言い返そうったって無駄なのだ。
ハンナは指輪を抜き取ると、せめてもの不満を表明するように、マクリーン子爵に投げつけた。
マクリーン子爵は一瞬ムッとした顔をしたが、可愛い新妻のために指輪が手に入ったのだから良いかと気を静め、用件は済んだとばかりに出て行こうとした。最後に捨て台詞を吐いて。
「ふん。行き場のないおまえを我が領地に置いてやっているんだ。感謝しろ」
45
あなたにおすすめの小説
悪役令嬢として断罪? 残念、全員が私を庇うので処刑されませんでした
ゆっこ
恋愛
豪奢な大広間の中心で、私はただひとり立たされていた。
玉座の上には婚約者である王太子・レオンハルト殿下。その隣には、涙を浮かべながら震えている聖女――いえ、平民出身の婚約者候補、ミリア嬢。
そして取り巻くように並ぶ廷臣や貴族たちの視線は、一斉に私へと向けられていた。
そう、これは断罪劇。
「アリシア・フォン・ヴァレンシュタイン! お前は聖女ミリアを虐げ、幾度も侮辱し、王宮の秩序を乱した。その罪により、婚約破棄を宣告し、さらには……」
殿下が声を張り上げた。
「――処刑とする!」
広間がざわめいた。
けれど私は、ただ静かに微笑んだ。
(あぁ……やっぱり、来たわね。この展開)
私が、全てにおいて完璧な幼なじみの婚約をわざと台無しにした悪女……?そんなこと知りません。ただ、誤解されたくない人がいるだけです
珠宮さくら
恋愛
ルチア・ヴァーリは、勘違いされがちな幼なじみと仲良くしていた。周りが悪く言うような令嬢ではないと心から思っていた。
そんな幼なじみが婚約をしそうだとわかったのは、いいなと思っている子息に巻き込まれてアクセサリーショップで贈り物を選んでほしいと言われた時だった。
それを拒んで、証言者まで確保したというのにルチアが幼なじみの婚約を台無しにわざとした悪女のようにされてしまい、幼なじみに勘違いされたのではないかと思って、心を痛めることになるのだが……。
悪役令嬢、辞めます。——全ての才能を捨てた私が最強だった件
ニャーゴ
恋愛
「婚約破棄だ、リリアナ!」
王太子エドワードがそう宣言すると、貴族たちは歓声を上げた。 公爵令嬢リリアナ・フォン・クラウスは、乙女ゲームの悪役令嬢として転生したことを理解していた。 だが、彼女は「悪役令嬢らしく生きる」ことに飽きていた。
「そうですか。では、私は悪役令嬢を辞めます」
そして、リリアナは一切の才能を捨てることを決意する。 魔法、剣術、政治力——全てを手放し、田舎へ引きこもる……はずだった。 だが、何故か才能を捨てたはずの彼女が、最強の存在として覚醒してしまう。
「どうして私、こんなに強いの?」
無自覚のままチート能力を発揮するリリアナのもとに、かつて彼女を陥れた者たちがひれ伏しにくる。
元婚約者エドワードは涙ながらに許しを請い、ヒロインのはずの少女は黒幕だったことが判明し、処刑。
だが、そんなことよりリリアナは思う。
「平穏に暮らしたいんだけどなぁ……」
果たして、彼女の望む静かな生活は訪れるのか? それとも、新たな陰謀と戦乱が待ち受けているのか——!?
姉が年々面倒になっていくのを弟と押し付けあっていたのですが、手に負えない厄介者は他にいたようです
珠宮さくら
恋愛
伯爵家に生まれたシュリティ・アガルワルには、姉と弟がいた。両親は、3人の子供たちに興味がなく、自分たちの好きなことをしているような人たちだった。
そんな両親と違い、姉は弟妹たちに何かと外の話をしてくれていたのだが、それがこんなことになるとは思いもしなかった。
【短編】花婿殿に姻族でサプライズしようと隠れていたら「愛することはない」って聞いたんだが。可愛い妹はあげません!
月野槐樹
ファンタジー
妹の結婚式前にサプライズをしようと姻族みんなで隠れていたら、
花婿殿が、「君を愛することはない!」と宣言してしまった。
姻族全員大騒ぎとなった
今さら泣きついても遅いので、どうかお静かに。
有賀冬馬
恋愛
「平民のくせに」「トロくて邪魔だ」──そう言われ続けてきた王宮の雑用係。地味で目立たない私のことなんて、誰も気にかけなかった。
特に伯爵令嬢のルナは、私の幸せを邪魔することばかり考えていた。
けれど、ある夜、怪我をした青年を助けたことで、私の運命は大きく動き出す。
彼の正体は、なんとこの国の若き国王陛下!
「君は私の光だ」と、陛下は私を誰よりも大切にしてくれる。
私を虐げ、利用した貴族たちは、今、悔し涙を流している。
わたくしがお父様に疎まれている?いいえ、目に入れても痛くない程溺愛されております。
織り子
ファンタジー
王国貴族院の卒業記念パーティーの場で、大公家の令嬢ルクレツィア・アーヴェントは王太子エドワードから突然の婚約破棄を告げられる。
父であるアーヴェント大公に疎まれている――
噂を知った王太子は、彼女を公衆の面前で侮辱する。
あなたが「いらない」と言った私ですが、溺愛される妻になりました
有賀冬馬
恋愛
「君みたいな女は、俺の隣にいる価値がない!」冷酷な元婚約者に突き放され、すべてを失った私。
けれど、旅の途中で出会った辺境伯エリオット様は、私の凍った心をゆっくりと溶かしてくれた。
彼の領地で、私は初めて「必要とされる」喜びを知り、やがて彼の妻として迎えられる。
一方、王都では元婚約者の不実が暴かれ、彼の破滅への道が始まる。
かつて私を軽んじた彼が、今、私に助けを求めてくるけれど、もう私の目に映るのはあなたじゃない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる