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第一話
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座る間もなく、キッチンでバターロールを頬張っている時に覚えのない名前を聞いて、詩子はふいに視線を上げた。
視線の先には携帯をいじりながらコーヒーを飲む旦那、庸介とぼんやりした表情で目玉焼きを突いている鈴太郎(りんたろう)が座っている。
「庸介さん、誰かの名前呼んだ?」
詩子の呼びかけに、庸介は携帯に夢中で返事をしない。
ふうっと息を吐く。いつものことだ。バタバタしながら朝御飯の用意をして、洗濯物をまわして、ゴミ出し、子供たちを送り出すのだって詩子一人がやって自分は手伝おうの一言も口に出したことがない。
過去に、朝は忙しいから何か一つだけでもやって欲しいと頼んでみたが、そんな余裕がないんだったらもっと早く起きるか、パートを辞めれば?という心無い言葉を投げつけられて終わった。
(世の旦那さんたちもこんな感じなのかな、とは思ってたけど……)
怒りを通り越して呆然としてしまい、反論の言葉すらも出てこなかった。中学時代からの親友の薫にも相談してみたが、「それは離婚案件だわ」の一言で終わってしまった。薫は数年前に会社の後輩と結婚したが、尽くしすぎてダメ夫になってしまい、一年足らずで離婚した。昔から即断即決タイプの彼女で、色々と悩みしすぎて知恵熱を出してしまう自分とは正反対な性格だと思う。
だけど、ずばずばと意見を言ってくれる薫にいつも詩子は救われてきた。なあなあでその場凌ぎの意見を言う友人より、こうだと先を示してくれる彼女にいつも引っ張ってもらっていたし、言葉に言い表せないほどのものが心にストンと落ちて安心するのだった。
「ちょっとーおかーさん!あのエメラルドグリーンのTシャツがないんだけど!」
ばたばたと大きな足音を立てて、奏(かなで)が勢いよく降りてきた。
「あー女の子のキャラがついてる奴かな?あの服なら今洗濯機で回してるけど」
「はぁー!?あり得ないんだけど!今日、みーたんとりるりると同じ〈ジュエル・エンデ〉のコーデにしようねって昨日話してたんだよ!あれを着ていかないと、二人に白い目で見られちゃうじゃん」
くせっけの奏はぼわっとした髪を強く搔きむしった。
「この髪だって、ヘアアイロンかけなきゃいけないのにー!」
「もっと早く起きないからでしょう。早く朝御飯食べなさい」
「いらない!ご飯食べてる時間なんてないもん」
奏は泣きそうな声で洗面所に駆け込んだ。
詩子はふうーっと長くため息をついた。小学五年生の奏は仲良くしている子たちと同調しなくちゃならない強迫観念みたいなものに駆られている。
(まぁ、高学年にもなると、オシャレや何やらで線引きされて仲間に入れてもらえるか貰えないかで自分の立ち位置が決まってくるから、難儀よね)
近所のダイエーやイオンなどで母に適当に服を見繕って着ていた自分の時代とは違うのだ。
『―――今夜も琴美と会えるなら、溜まってる面倒な案件もたまには部下に押し付けないで自分で片すかぁ』
(……ん?)
聞き覚えのない名前に詩子は後ろを振り返った。そこにはにやにや笑みを浮かべながら携帯をいじっている庸介がいる。そして、目の前の鈴太郎の食事が遅々として食べ進められていない。
(これは、もしや、薫のいう離婚案件にあたる理由第一位の奴なんじゃ―――)
「お母さん!何かヘアアイロンの温度があんまり上がらないんだけど!」
洗面所から半泣き状態の奏がヘアアイロンを握りしめて叫んだ。
「えー?でも、今年の春にばあばに買ってもらったやつでしょう?そんな簡単に壊れないと思うけど……」
「でも、上がらないんだもん!」
娘がこんなにぎゃあぎゃあ叫んでいるのに、にやにやと携帯をいじっている庸介に強烈な殺意を抱く。目の前の息子がぼんやりと一向に朝食が進まないのに無関心を貫いていることにも。
15年ほど前に、入社した会社の教育係として庸介は詩子の前に現れた。詩子は他の同期と違って覚えが悪く、仕事も鈍かったのでほとんどの先輩社員はあからさまにため息をついていたが、庸介は詩子が理解できるまで根気強く教えてくれた。ランチにも積極的に誘ってくれて、励ましてくれた。
詩子は女子高、女子大と来ていたので、ほとんど同年代の男性と話したことすらなかった。なので、詩子にとっては庸介は初めて密接に付き合える異性だった。庸介は詩子の5つ上で、研修期間を終える頃に正式に付き合いたいと告白された。そのままとんとん拍子に進み、そのまま結婚した。
(付き合っている時には、浮気するそぶりはなかったんだけど……)
世間でいう、あれだろうか。子供を産んで、子供にばかり構っている妻に以前のような恋愛感情が湧かなくなって、違う女性に恋愛感情が向くようになってしまったっていう、ドラマでも漫画でもよく見られるあの現象なんだろうか。
なんで、こう感情的にいかないで理論的に冷静になってしまうのかというと、多分母の影響が強いのだと思う。
母の歌織はおっとりとした女性だが、父が浮気をした時に激高したりせずに淡々と過ごしていた。それを父は気づいていないと勘違いをし、何度も残業や出張と噓をついてやりたい放題を繰り返してきた。母は証拠を掴んで父と相手の女性に対して慰謝料や養育費をぶんどってやろう、といったことも考えていないようだった。ただ毎日を淡々と過ごしていた。だけど、母の中できちんと分析をしていたようだった。
ある日、小学校から家に帰ると家の中がすっきりと片付いていた。その頃から不登校気味だった兄の音哉(おとや)も手伝っていたようで、自慢げに家の中を案内してくれた。
「それじゃあ、行きましょうか」
母について行くと祖父母の住んでいる一軒家に近いアパートに到着した。母は父に黙って引っ越しをした。住民票は移したようだが、父に開示拒否の通達をしていたようだった。
母は手先が器用だったので自作のペンダントやイヤリングのネット通販をいつの間にか始めており、それなりの売り上げをあげているようだった。それ以外にも近くの運送会社の事務も始めて、忙しいながらも充実しているようだった。そして、家事全般は家にいる兄がすべてを行っていたので、ありがたいことに詩子は不自由なく過ごすことが出来た。
父はその一年後、げっそりと瘦せこけた姿でアパートに姿を現した。音哉は家に入るな、と父を追い返そうとしたが母は止めた。そして、父に
「まだ浮気を続けますか?」
と言い放った。
母のその姿を見て、詩子は浮気が分かっても冷静に対処していこうと悟った。
そして、今その事態に直面しているのだが、父のようにあからさまに浮気をしている証拠をつかんだわけではない。ただ、庸介の駄々洩れの心の声が詩子だけに聞こえてくるという、よく分からない状況下に陥っている。
『ねぇ?琴美って誰?会社の人?』
―――これは一番良くない。絶対に携帯を見たと庸介は疑ってくる。
悶々と悩んでいる内に、テレビに映る時刻が学校へ出発する時刻を表示していた。
「奏!もう7:45よ!鈴太郎、もうご飯食べなくていいから歯磨きして、トイレに行ってきなさい」
鈴太郎はそのままゆっくりと洗面所に向かった。そして、洗面所で格闘していた奏に何か大きな声でなじられている。
「庸介さん、時間大丈夫なの?あと今日はご飯は?」
「……んー今日は夕飯いらない。月末で忙しいし、どっかで部下と食べてくる」
相変わらずスマホから目を離さずに淡々と話す庸介に、詩子はそのまま顔面にスマホがめりこんでくっついちゃえばいいのにと強く願った。
子供たちと庸介が出掛けると、詩子は食器類を片付けて、ゴミをまとめて出してから自転車を出した。
「あら、廣道さんおはよう。今日も早いのねー」
近所の高田さんがポメラニアンのモモちゃんを連れて散歩をしていた。詩子が出掛けようとするとよく高田さんに出くわしてしまうので、時間を早めたり遅くしたりしているのだが、境遇率はあまり変わらない。どこかに監視カメラでもついているのかと勘繰ってしまう。
「あ、高田さん、おはようございます」
「あ、そうそう聞いた?今年の小学一年生の子の中に痣だらけの子がいるらしくって、片親だから虐待されてるんじゃないかって噂があるらしいのよー」
(そういうことをこういう往来で話すのってどうかと思うけど……)
あはは、と苦笑いをする詩子に高田さんは片眉をひそめた。
『ったく、無関心な人ね。自分の子供だってよく何時間も公園に放置させているくせに』
「―――え!?」
「え?」
詩子の声に、高田さんは驚いたようだった。
「え、いや、あはは。すみません、大声をあげて。遅刻しちゃうので、これで失礼しまーす」
高田さんの不可解な表情を見ないように、詩子はその場を離れるように勢いよくペダルを踏んだ。
(え、今の声、高田さんの心の声よね。高田さんのも聞こえる―――!)
はあはあと息を切らしながら詩子はペダルをこぎ続けた。
(庸介さんだけじゃないんだ。でも、奏や鈴太郎のは聞こえなかった。もしかして大人だけ……?)
勢いよく漕ぐあまり、会社を通過していることに30メートル離れているところで気づき、あわてて自転車の向きを変えた。
俯きがちに駐輪場に自転車を停めていると、後方からちりんちりんと鈴の音が聞こえた。
「おっはよー朝から表情が暗いじゃない。ちゃんとご飯食べてるの?」
「牧絵さん……」
「うたちゃん、貧血気味なんだから朝からちゃんと食べなきゃダメよ。プルーンとか。一粒だけでも大分違うから」
「そうですね……」
田淵牧絵は詩子がパートで入った時に一緒に入った人だ。奏や鈴太郎よりも大きな中学生と高校生の姉妹がいる。
(田淵さんの、心の声は聞きたくない。こっちからシャットアウトって出来ないのかな……)
ずりずりと段々と距離をはかろうとする詩子に、牧絵は不思議そうに首をかしげている。
「ごめんなさい、牧絵さん。先週、やり残した仕事があったから、早めに行きますね。また後で!」
牧絵の言葉を聞く前に、脱兎のごとく玄関へ向かった。
(どうしようどうしよう。何でこんな急に心の声が聞こえてくるようになっちゃったんだろう。こんなんじゃ、周りの声が気になって、仕事にならない―――)
『真島さんとの旅行、楽しかったなぁー奥さんに内緒で行っちゃったけど、多分バレないよね』
同じ事務の畑中さんがおしりを揺らしながらこちらに向かってくる。
真島―――総務部の部長だ。
(もう、本当にどいつもこいつも不倫ばっかり!)
庸介のこともあってか、いつの間にか畑中さんを見る目が厳しくなっていたようで、彼女はびくっと表情を強張らせた。
「え、何、廣道さん。何で杏璃のこと睨むの?」
「―――え、いや、ごめんなさい。そんなつもりじゃなくて」
『ふざけんなよ、四十路のばばあが』
―――ああ、もう、心が折れそう。
視線の先には携帯をいじりながらコーヒーを飲む旦那、庸介とぼんやりした表情で目玉焼きを突いている鈴太郎(りんたろう)が座っている。
「庸介さん、誰かの名前呼んだ?」
詩子の呼びかけに、庸介は携帯に夢中で返事をしない。
ふうっと息を吐く。いつものことだ。バタバタしながら朝御飯の用意をして、洗濯物をまわして、ゴミ出し、子供たちを送り出すのだって詩子一人がやって自分は手伝おうの一言も口に出したことがない。
過去に、朝は忙しいから何か一つだけでもやって欲しいと頼んでみたが、そんな余裕がないんだったらもっと早く起きるか、パートを辞めれば?という心無い言葉を投げつけられて終わった。
(世の旦那さんたちもこんな感じなのかな、とは思ってたけど……)
怒りを通り越して呆然としてしまい、反論の言葉すらも出てこなかった。中学時代からの親友の薫にも相談してみたが、「それは離婚案件だわ」の一言で終わってしまった。薫は数年前に会社の後輩と結婚したが、尽くしすぎてダメ夫になってしまい、一年足らずで離婚した。昔から即断即決タイプの彼女で、色々と悩みしすぎて知恵熱を出してしまう自分とは正反対な性格だと思う。
だけど、ずばずばと意見を言ってくれる薫にいつも詩子は救われてきた。なあなあでその場凌ぎの意見を言う友人より、こうだと先を示してくれる彼女にいつも引っ張ってもらっていたし、言葉に言い表せないほどのものが心にストンと落ちて安心するのだった。
「ちょっとーおかーさん!あのエメラルドグリーンのTシャツがないんだけど!」
ばたばたと大きな足音を立てて、奏(かなで)が勢いよく降りてきた。
「あー女の子のキャラがついてる奴かな?あの服なら今洗濯機で回してるけど」
「はぁー!?あり得ないんだけど!今日、みーたんとりるりると同じ〈ジュエル・エンデ〉のコーデにしようねって昨日話してたんだよ!あれを着ていかないと、二人に白い目で見られちゃうじゃん」
くせっけの奏はぼわっとした髪を強く搔きむしった。
「この髪だって、ヘアアイロンかけなきゃいけないのにー!」
「もっと早く起きないからでしょう。早く朝御飯食べなさい」
「いらない!ご飯食べてる時間なんてないもん」
奏は泣きそうな声で洗面所に駆け込んだ。
詩子はふうーっと長くため息をついた。小学五年生の奏は仲良くしている子たちと同調しなくちゃならない強迫観念みたいなものに駆られている。
(まぁ、高学年にもなると、オシャレや何やらで線引きされて仲間に入れてもらえるか貰えないかで自分の立ち位置が決まってくるから、難儀よね)
近所のダイエーやイオンなどで母に適当に服を見繕って着ていた自分の時代とは違うのだ。
『―――今夜も琴美と会えるなら、溜まってる面倒な案件もたまには部下に押し付けないで自分で片すかぁ』
(……ん?)
聞き覚えのない名前に詩子は後ろを振り返った。そこにはにやにや笑みを浮かべながら携帯をいじっている庸介がいる。そして、目の前の鈴太郎の食事が遅々として食べ進められていない。
(これは、もしや、薫のいう離婚案件にあたる理由第一位の奴なんじゃ―――)
「お母さん!何かヘアアイロンの温度があんまり上がらないんだけど!」
洗面所から半泣き状態の奏がヘアアイロンを握りしめて叫んだ。
「えー?でも、今年の春にばあばに買ってもらったやつでしょう?そんな簡単に壊れないと思うけど……」
「でも、上がらないんだもん!」
娘がこんなにぎゃあぎゃあ叫んでいるのに、にやにやと携帯をいじっている庸介に強烈な殺意を抱く。目の前の息子がぼんやりと一向に朝食が進まないのに無関心を貫いていることにも。
15年ほど前に、入社した会社の教育係として庸介は詩子の前に現れた。詩子は他の同期と違って覚えが悪く、仕事も鈍かったのでほとんどの先輩社員はあからさまにため息をついていたが、庸介は詩子が理解できるまで根気強く教えてくれた。ランチにも積極的に誘ってくれて、励ましてくれた。
詩子は女子高、女子大と来ていたので、ほとんど同年代の男性と話したことすらなかった。なので、詩子にとっては庸介は初めて密接に付き合える異性だった。庸介は詩子の5つ上で、研修期間を終える頃に正式に付き合いたいと告白された。そのままとんとん拍子に進み、そのまま結婚した。
(付き合っている時には、浮気するそぶりはなかったんだけど……)
世間でいう、あれだろうか。子供を産んで、子供にばかり構っている妻に以前のような恋愛感情が湧かなくなって、違う女性に恋愛感情が向くようになってしまったっていう、ドラマでも漫画でもよく見られるあの現象なんだろうか。
なんで、こう感情的にいかないで理論的に冷静になってしまうのかというと、多分母の影響が強いのだと思う。
母の歌織はおっとりとした女性だが、父が浮気をした時に激高したりせずに淡々と過ごしていた。それを父は気づいていないと勘違いをし、何度も残業や出張と噓をついてやりたい放題を繰り返してきた。母は証拠を掴んで父と相手の女性に対して慰謝料や養育費をぶんどってやろう、といったことも考えていないようだった。ただ毎日を淡々と過ごしていた。だけど、母の中できちんと分析をしていたようだった。
ある日、小学校から家に帰ると家の中がすっきりと片付いていた。その頃から不登校気味だった兄の音哉(おとや)も手伝っていたようで、自慢げに家の中を案内してくれた。
「それじゃあ、行きましょうか」
母について行くと祖父母の住んでいる一軒家に近いアパートに到着した。母は父に黙って引っ越しをした。住民票は移したようだが、父に開示拒否の通達をしていたようだった。
母は手先が器用だったので自作のペンダントやイヤリングのネット通販をいつの間にか始めており、それなりの売り上げをあげているようだった。それ以外にも近くの運送会社の事務も始めて、忙しいながらも充実しているようだった。そして、家事全般は家にいる兄がすべてを行っていたので、ありがたいことに詩子は不自由なく過ごすことが出来た。
父はその一年後、げっそりと瘦せこけた姿でアパートに姿を現した。音哉は家に入るな、と父を追い返そうとしたが母は止めた。そして、父に
「まだ浮気を続けますか?」
と言い放った。
母のその姿を見て、詩子は浮気が分かっても冷静に対処していこうと悟った。
そして、今その事態に直面しているのだが、父のようにあからさまに浮気をしている証拠をつかんだわけではない。ただ、庸介の駄々洩れの心の声が詩子だけに聞こえてくるという、よく分からない状況下に陥っている。
『ねぇ?琴美って誰?会社の人?』
―――これは一番良くない。絶対に携帯を見たと庸介は疑ってくる。
悶々と悩んでいる内に、テレビに映る時刻が学校へ出発する時刻を表示していた。
「奏!もう7:45よ!鈴太郎、もうご飯食べなくていいから歯磨きして、トイレに行ってきなさい」
鈴太郎はそのままゆっくりと洗面所に向かった。そして、洗面所で格闘していた奏に何か大きな声でなじられている。
「庸介さん、時間大丈夫なの?あと今日はご飯は?」
「……んー今日は夕飯いらない。月末で忙しいし、どっかで部下と食べてくる」
相変わらずスマホから目を離さずに淡々と話す庸介に、詩子はそのまま顔面にスマホがめりこんでくっついちゃえばいいのにと強く願った。
子供たちと庸介が出掛けると、詩子は食器類を片付けて、ゴミをまとめて出してから自転車を出した。
「あら、廣道さんおはよう。今日も早いのねー」
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「あ、高田さん、おはようございます」
「あ、そうそう聞いた?今年の小学一年生の子の中に痣だらけの子がいるらしくって、片親だから虐待されてるんじゃないかって噂があるらしいのよー」
(そういうことをこういう往来で話すのってどうかと思うけど……)
あはは、と苦笑いをする詩子に高田さんは片眉をひそめた。
『ったく、無関心な人ね。自分の子供だってよく何時間も公園に放置させているくせに』
「―――え!?」
「え?」
詩子の声に、高田さんは驚いたようだった。
「え、いや、あはは。すみません、大声をあげて。遅刻しちゃうので、これで失礼しまーす」
高田さんの不可解な表情を見ないように、詩子はその場を離れるように勢いよくペダルを踏んだ。
(え、今の声、高田さんの心の声よね。高田さんのも聞こえる―――!)
はあはあと息を切らしながら詩子はペダルをこぎ続けた。
(庸介さんだけじゃないんだ。でも、奏や鈴太郎のは聞こえなかった。もしかして大人だけ……?)
勢いよく漕ぐあまり、会社を通過していることに30メートル離れているところで気づき、あわてて自転車の向きを変えた。
俯きがちに駐輪場に自転車を停めていると、後方からちりんちりんと鈴の音が聞こえた。
「おっはよー朝から表情が暗いじゃない。ちゃんとご飯食べてるの?」
「牧絵さん……」
「うたちゃん、貧血気味なんだから朝からちゃんと食べなきゃダメよ。プルーンとか。一粒だけでも大分違うから」
「そうですね……」
田淵牧絵は詩子がパートで入った時に一緒に入った人だ。奏や鈴太郎よりも大きな中学生と高校生の姉妹がいる。
(田淵さんの、心の声は聞きたくない。こっちからシャットアウトって出来ないのかな……)
ずりずりと段々と距離をはかろうとする詩子に、牧絵は不思議そうに首をかしげている。
「ごめんなさい、牧絵さん。先週、やり残した仕事があったから、早めに行きますね。また後で!」
牧絵の言葉を聞く前に、脱兎のごとく玄関へ向かった。
(どうしようどうしよう。何でこんな急に心の声が聞こえてくるようになっちゃったんだろう。こんなんじゃ、周りの声が気になって、仕事にならない―――)
『真島さんとの旅行、楽しかったなぁー奥さんに内緒で行っちゃったけど、多分バレないよね』
同じ事務の畑中さんがおしりを揺らしながらこちらに向かってくる。
真島―――総務部の部長だ。
(もう、本当にどいつもこいつも不倫ばっかり!)
庸介のこともあってか、いつの間にか畑中さんを見る目が厳しくなっていたようで、彼女はびくっと表情を強張らせた。
「え、何、廣道さん。何で杏璃のこと睨むの?」
「―――え、いや、ごめんなさい。そんなつもりじゃなくて」
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