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僕の気持ち
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楽しかった旅行も終わり、平和な日常がかえってきた。
幸せになれたけど僕が死ぬことはなく、あれから黒いモヤも見ることはない。そしてルルも、傍にいてくれる……。
「思えば色々、衝撃的なことがあったよね」
「その一言ですべてを済ませ、ベッドへ寝転がりながらスナック菓子を食べるご主人様はさすがだと思います」
さすが、と言っているけど、声には呆れの色が濃い。
今まで従順だったのに、ルルはちょっとだけ口やかましくなった。
まあ確かに僕も、だらけすぎかなとは思わなくもないけど。いや、問題はそこじゃないか。人生ひっくりかえるような事実があったのに、僕があまりにもいつも通りだから。
僕としては……突拍子もなさすぎる話で実感がないし、ルルが隠してたことを話してくれたことのほうが嬉しいってレベルだしなあ。
「前の僕も、こんなふうにだらだらしてた?」
「……してましたよ。いつも、叱ってました」
「一緒に暮らしてたの?」
「貴方が小さな頃は」
前の僕のことを訊くと少し躊躇ってから、包み隠さず話してくれる。
元カレのことが気になるような感じとでもいえばいいのか。その元カレが記憶を失う前の自分とかいったら、むしろ気にならないほうが嘘でしょ?
でも訊かれたくなさそうにしてるのがわかるから、根掘り葉掘りはやめて話のおりになんでもない感じを装って訊くようにしてる。だからルルには余計に僕が通常運転に見えるのかもしれない。
「大人になってからは別々だったのかあ。勿体ないな。僕ならずっとルルと一緒に暮らしたのに」
スナック菓子を食べる手をとめてルルをじっと見上げると、ルルは視線に応えるように身体を屈めてちゅっとキスをしてくれた。
あの色事にはてんで鈍かったルルがこんな反応をしてくれるなんて。感慨深い。
「チョコ味ですね」
「チョコスナックだから」
「寝ながら食べるのは身体に悪いですよ。食べ過ぎると太りますし」
そういえば最近ちょっと腹が出てきたような気がする。旅行でもたくさん食べちゃったし。
思わず身体を起こして、服をめくりあげてみた。
「お腹、ぶにぶにしてる」
「食べているのに動いてないのだから当然です」
ルルが来る前は、ご飯をお菓子で済ませたり、1日食べなかったりとか、かなり不健康なことをしていた。
それに比べたら今はルルのおかげで3食きちんととっているし健康的だと思うんだけど、食べる量自体が増えているから太って当然なのかもしれない。
「僕さあ、引きこもってから健康診断とか、一切してないんだよね。ここが僕が創った世界ってことを知ったあとでも、僕は病気とかになるのかな?」
「貴方の意識の問題なので難しいですが……。肉体的には普通の人間と同じ可能性が高いので、なると思います」
「死に関わるような、病気とかでも……?」
「はい。だから、健康には気を遣ってください」
健康に気を遣えって悪魔に言われることになるとは。
正直、今までかなり自堕落な生活を送ってきたから自信がないことこの上ない。
それに……。病気になってもならなくても孤独に死んでいくんだろうと思ってたから、あまり健康がどうとか……考えたこともなかったし。
でも今はこうして、心配そうに僕を見るルルがいる。風邪を引いただけで死にそうになる僕を、きっと献身的に看病してくれる。
最期に手を握りながら看取ってくれる相手がいるなんて、きっと、とても幸せなことだ。
「頑張って健康的な生活を心がけないとね」
「ご主人様……」
「でも念のため訊いておくんだけど、その……ルルの血って、病気にも効いたりするのかな」
「ご主人様……」
今度は呆れたトーンで僕を呼ぶルル。
「いや、違うんだよ! ルルに傷をつけるなんて僕も嫌だし! 本当に念のためっていうか!!」
弁明するも、視線は依然として冷たい。
「私の血液はどちらかといえば、感覚を麻痺させるものです。ですから、もし……貴方に、何かあれば。この世界の中にいる以上、私の力ではどうすることもできません」
「そっか……」
僕の力も万能じゃないし、強く祈ったことがすべて叶っているわけじゃない。むしろままならないことばかり。ルルがサポートしてくれて初めてどうにかなってる感じ。僕自身が自分をヒトとしか思えないから、それで……力に制限がかかっちゃうのかもな。
……力が制限されてる、か。なんかカッコイイ響き。でも実際は、つまりそれってただの人間じゃね? っていうね。だから人としてなんとか頑張らないと。
運動。運動かあ。したくないわけじゃないんだけどぉ……。まあ、ちょっと。めんどい。
でもこのままいくとメタボまっしぐらな予感がするし、ルルの作ってくれるご飯を美味しく食べるためにもなんとかしなきゃ。あと、呆れているルルの信頼を取り戻さねば。
僕はパソコンですべてが解決しそうなアイテムをルルに見せた。
「ほら、これなんてどうかな? マッスルベルト。つけてるだけでムキムキに。凄いよ!」
ルルはパソコンが氷りそうな視線で画面を見ている。だめぽい。
僕は続けて健康器具を検索した。
「この、ステッパーとかルームランナーとかバーベル買ってさ、空き部屋もあるし、トレーニングルームにするとかどう?」
「買うだけ買って埃を被る様が目に浮かびます」
「僕もそう思う」
とかすんなり納得してる場合じゃない。少しはやる気見せろよ僕。
「初めは散歩をする、外に出掛ける程度でいいんじゃないでしょうか」
「ウォーキングかあ……」
「はい。私と一緒に……どうですか? 毎日買い物へ行くとか……」
「それって、歩くならなんでもいいんだよね?」
「はい」
「遊園地でデート、するとか」
「はい」
「旅に出るとか」
幸い僕は働いてない。まとまった休みがあるどころか、毎日お休みだ。家にいたらどうしたってだらだらしちゃうし、それならいっそって思ったんだけど。
「ふふっ……」
「な、何?」
「運動しましょうと言って、旅に出ようと返されたのが意外で」
「えっ、へんかな?」
「いえ……貴方らしくていいと思いますよ」
らしいって。ルルの中で僕はどんななんだ。
ルルの手を掴んでベッドへ引き寄せると引き寄せられるままベッドへ乗り上げて、特に抵抗することなく、すんなりと僕の腕の中におさまった。
僕はルルの長い後ろ髪を数回すいてから、平たい胸に顔を埋める。
「はー……」
「どうしましたか?」
「ルル、ずいぶん感情を見せるようになったよねぇ」
笑ったり、悲しそうにしたり。僕を愛しそうに見たり……。
「前は感情をあまり出さないようにしていたというのもあります」
「そうなの?」
「はい」
ルル、嘘が下手って言ってたし、にこやかに近づいて誑かすとか、そういうの苦手なんだろうなあ。前はほんと事務的だったもの。
「……貴方に対してどういう表情をしていいのか、わからなかったんです」
「いや、表情に関しては割りと今もないよ」
「そうですか?」
「うん」
まさか自覚がなかったのか。
でもまあ、確かに表情も前よりはわかりやすくなったとは思う。表情筋は死んでるけど、笑ってそうとか感じるとドキッとするし、胸が熱いもので満たされていく。
「おそらく、ここは貴方の世界なので異物である私には上手く表情が出せないのでしょう」
「じゃあ、ルルは外の世界ではもっと表情豊かだったってこと?」
「はい」
前の僕は……ルルの笑顔、見放題だったのかな。
どうして覚えてないんだろう。見たら絶対に忘れないと思うのに。羨ましい。僕も見たい。
だってルルの……。ルルの……? あれ……?
「ご主人様!」
「えっ?」
視界が揺れて、僕は慌ててルルにしがみついた。
「大丈夫ですか?」
「何? あれ……? 今、なんの話してた?」
「私が表情豊かだという話をしていました」
「えっ。嘘でしょ?」
ほんとにそんな話、してた?
僕は怖くなって、しがみつく腕に力を込めた。
さっき一瞬、意識が飛んだ。深呼吸して会話の切れ端を拾い集める。
「あ……。えっと。そうだよ、今だって無表情な自覚がなかったんだから、信憑性はあんまりないよね」
笑ってみせたけれど、ルルはとても心配そうな、不安そうな顔をしていた。
僕はゆっくりとルルの身体から手を離して、かわりに両頬を挟み込んでそっとキスをする。
「ほんとだ」
「え……」
「表情豊かだったね、今」
笑顔が見たかったはずなのに、そんな顔をさせちゃってごめんね。
「やっぱり、ちょっと運動不足みたい。散歩しにいこっか」
記憶が混濁した理由は他にあったけど、気まずくてそう言った。
「……ちょっとではないですよ。かなり、運動不足です」
ルルは僕の下手くそな嘘に、ごまかされてくれた。
まあ、言ってることは本音だろうけども。
目眩と共に、全てが溶け消えてしまいそうなあの感覚……。思い出すとゾッとする。死ぬ時っていうのは、きっとあんな感じ。闇に飲まれた状態で、どうしたら自分の意識を保つことができるだろう。
僕が昔の僕を羨ましいと思ったから。戻ってルルの笑顔を見たいって思ったから? そんな些細なことで揺らぐほど、この世界は不安定なのか。
ルルの言う過去の僕については『それ前世の話?』レベルで他人事に思えていたんだけど、今はっきりと自覚した。この世界はやっぱり僕が創りあげたんだ。
ルルの言う通り、目が醒めたら僕は本当にすべてを忘れてしまうかもしれない。怖いし叫び出しそうなくらいなのに、どこか冷静でいられるのはどうしてだろう。目が醒めるだけだって、本能的に感じ取っているからだろうか。
でも……覚えていたいな、ルルのこと。忘れたくない。ずっと一緒にいたい。
「じゃあ、今日は軽いストレッチでもしようかな。で、明日は街まで出てデートしない?」
「ご主人様は大丈夫なんですか? 人混みもそうですが、あまり具合が良くなさそうですから」
「うん、へいき。明日には治るよ」
できるだけ色んなことをルルとしておきたいんだ。なんて言ったら、また心配そうな顔をされちゃいそうだな。
それに実際、外出することへの恐怖はもうない。……問題といえば歩くのが面倒なのと、体力が足りないくらい。
「わかりました。それでは女性の姿で行きますね」
「え。どうして?」
「そのほうが、デートらしいとは思いませんか?」
「まあ……」
「それとも、私が女性の姿ですとまだ緊張します?」
「ううん……へ、平気だと思うけど」
僕は俯いて自分の指先を見た。この緊張は、ルルが女性の姿でくるって言ったからじゃなくて。ちょっと前、デートに誘った時のこと、思い出したから。
……訊いて、みようかな。
身体がじわじわ熱くなって、手のひらには少し汗が滲んでる。
多分、今ならルルは嬉しいお返事をしてくれるとは思うのだけれど。
「あの、あのね、ルル」
「はい」
「僕とデート、したい?」
「……はい」
熱くなった指先を、きゅっと掴まれる。心臓まで一緒に握られた気がした。
感無量ってこういう時に使う言葉? そんなことくらいでって言われそうだけど、今涙が出そうなくらい嬉しい。
相変わらずひんやりしているルルの手のひらとは裏腹に、はいと答えたその声にはどこか熱がこもっていた。
今が幸せなほど、ルルを失うことへの恐怖が大きくなる。前向きになった途端にすべてを失った過去は、想像よりも僕の心に深い傷を残していたらしい。
悲しむ暇も考える暇もなく訪れる保険金を目的とした親戚や自称慈善事業団体の群れが、両親を失くした悲しみを恐怖にすりかえた。両親が亡くなったショックを上書きするように、僕は大人が怖くなった。いや、多分……その恐怖に浸ることで、本当の傷を隠していたんだと思う。
たとえ『創られた』過去だとしても、今の僕にはそれが現実。
置いて逝かれるのはもう嫌だから、ルルが傍からいなくなるくらいなら先に死んでしまいたいと願った。でもルルはそんな僕の傍にずっといてくれると言った。命を奪うこともしないと。
この世界の外で寝ている僕のことがどうでもよくなったわけじゃないだろうけど……今の僕を選んでくれたんだ。
ずっとずっと、一緒にいたい。でも、僕は……笑顔すら作れないようなこの世界に、ルルを置いていてもいいのか? 一生、笑顔が見られなくてもいい? それをルルが望んでいるとして、僕もそれを望んでるのか?
何より、僕が寿命とか病気で死んだあと……ルルはどうなるんだろう。僕以外の僕がいるなんて、やっぱり実感がわかないけど……。だけど。だからこそ、僕は僕のまま目を醒ますことができるんじゃないかって楽観的な希望もあったりして。
「きっと、大丈夫。うん」
「何がですか?」
ベッドの中でついもらした呟きはルルにしっかり聞かれていて、僕はピンと背中を伸ばした。
「あ、明日のデート、上手くいくかなって」
ついた小さな嘘はことのほかルルのお気に召したらしく、ぎゅうっと抱きしめられた。
「楽しみですね」
「……ん」
暖かい腕の中に潜り込んで、そっと目を閉じる。見たことのない笑顔が、浮かんで消えた気がした。
幸せになれたけど僕が死ぬことはなく、あれから黒いモヤも見ることはない。そしてルルも、傍にいてくれる……。
「思えば色々、衝撃的なことがあったよね」
「その一言ですべてを済ませ、ベッドへ寝転がりながらスナック菓子を食べるご主人様はさすがだと思います」
さすが、と言っているけど、声には呆れの色が濃い。
今まで従順だったのに、ルルはちょっとだけ口やかましくなった。
まあ確かに僕も、だらけすぎかなとは思わなくもないけど。いや、問題はそこじゃないか。人生ひっくりかえるような事実があったのに、僕があまりにもいつも通りだから。
僕としては……突拍子もなさすぎる話で実感がないし、ルルが隠してたことを話してくれたことのほうが嬉しいってレベルだしなあ。
「前の僕も、こんなふうにだらだらしてた?」
「……してましたよ。いつも、叱ってました」
「一緒に暮らしてたの?」
「貴方が小さな頃は」
前の僕のことを訊くと少し躊躇ってから、包み隠さず話してくれる。
元カレのことが気になるような感じとでもいえばいいのか。その元カレが記憶を失う前の自分とかいったら、むしろ気にならないほうが嘘でしょ?
でも訊かれたくなさそうにしてるのがわかるから、根掘り葉掘りはやめて話のおりになんでもない感じを装って訊くようにしてる。だからルルには余計に僕が通常運転に見えるのかもしれない。
「大人になってからは別々だったのかあ。勿体ないな。僕ならずっとルルと一緒に暮らしたのに」
スナック菓子を食べる手をとめてルルをじっと見上げると、ルルは視線に応えるように身体を屈めてちゅっとキスをしてくれた。
あの色事にはてんで鈍かったルルがこんな反応をしてくれるなんて。感慨深い。
「チョコ味ですね」
「チョコスナックだから」
「寝ながら食べるのは身体に悪いですよ。食べ過ぎると太りますし」
そういえば最近ちょっと腹が出てきたような気がする。旅行でもたくさん食べちゃったし。
思わず身体を起こして、服をめくりあげてみた。
「お腹、ぶにぶにしてる」
「食べているのに動いてないのだから当然です」
ルルが来る前は、ご飯をお菓子で済ませたり、1日食べなかったりとか、かなり不健康なことをしていた。
それに比べたら今はルルのおかげで3食きちんととっているし健康的だと思うんだけど、食べる量自体が増えているから太って当然なのかもしれない。
「僕さあ、引きこもってから健康診断とか、一切してないんだよね。ここが僕が創った世界ってことを知ったあとでも、僕は病気とかになるのかな?」
「貴方の意識の問題なので難しいですが……。肉体的には普通の人間と同じ可能性が高いので、なると思います」
「死に関わるような、病気とかでも……?」
「はい。だから、健康には気を遣ってください」
健康に気を遣えって悪魔に言われることになるとは。
正直、今までかなり自堕落な生活を送ってきたから自信がないことこの上ない。
それに……。病気になってもならなくても孤独に死んでいくんだろうと思ってたから、あまり健康がどうとか……考えたこともなかったし。
でも今はこうして、心配そうに僕を見るルルがいる。風邪を引いただけで死にそうになる僕を、きっと献身的に看病してくれる。
最期に手を握りながら看取ってくれる相手がいるなんて、きっと、とても幸せなことだ。
「頑張って健康的な生活を心がけないとね」
「ご主人様……」
「でも念のため訊いておくんだけど、その……ルルの血って、病気にも効いたりするのかな」
「ご主人様……」
今度は呆れたトーンで僕を呼ぶルル。
「いや、違うんだよ! ルルに傷をつけるなんて僕も嫌だし! 本当に念のためっていうか!!」
弁明するも、視線は依然として冷たい。
「私の血液はどちらかといえば、感覚を麻痺させるものです。ですから、もし……貴方に、何かあれば。この世界の中にいる以上、私の力ではどうすることもできません」
「そっか……」
僕の力も万能じゃないし、強く祈ったことがすべて叶っているわけじゃない。むしろままならないことばかり。ルルがサポートしてくれて初めてどうにかなってる感じ。僕自身が自分をヒトとしか思えないから、それで……力に制限がかかっちゃうのかもな。
……力が制限されてる、か。なんかカッコイイ響き。でも実際は、つまりそれってただの人間じゃね? っていうね。だから人としてなんとか頑張らないと。
運動。運動かあ。したくないわけじゃないんだけどぉ……。まあ、ちょっと。めんどい。
でもこのままいくとメタボまっしぐらな予感がするし、ルルの作ってくれるご飯を美味しく食べるためにもなんとかしなきゃ。あと、呆れているルルの信頼を取り戻さねば。
僕はパソコンですべてが解決しそうなアイテムをルルに見せた。
「ほら、これなんてどうかな? マッスルベルト。つけてるだけでムキムキに。凄いよ!」
ルルはパソコンが氷りそうな視線で画面を見ている。だめぽい。
僕は続けて健康器具を検索した。
「この、ステッパーとかルームランナーとかバーベル買ってさ、空き部屋もあるし、トレーニングルームにするとかどう?」
「買うだけ買って埃を被る様が目に浮かびます」
「僕もそう思う」
とかすんなり納得してる場合じゃない。少しはやる気見せろよ僕。
「初めは散歩をする、外に出掛ける程度でいいんじゃないでしょうか」
「ウォーキングかあ……」
「はい。私と一緒に……どうですか? 毎日買い物へ行くとか……」
「それって、歩くならなんでもいいんだよね?」
「はい」
「遊園地でデート、するとか」
「はい」
「旅に出るとか」
幸い僕は働いてない。まとまった休みがあるどころか、毎日お休みだ。家にいたらどうしたってだらだらしちゃうし、それならいっそって思ったんだけど。
「ふふっ……」
「な、何?」
「運動しましょうと言って、旅に出ようと返されたのが意外で」
「えっ、へんかな?」
「いえ……貴方らしくていいと思いますよ」
らしいって。ルルの中で僕はどんななんだ。
ルルの手を掴んでベッドへ引き寄せると引き寄せられるままベッドへ乗り上げて、特に抵抗することなく、すんなりと僕の腕の中におさまった。
僕はルルの長い後ろ髪を数回すいてから、平たい胸に顔を埋める。
「はー……」
「どうしましたか?」
「ルル、ずいぶん感情を見せるようになったよねぇ」
笑ったり、悲しそうにしたり。僕を愛しそうに見たり……。
「前は感情をあまり出さないようにしていたというのもあります」
「そうなの?」
「はい」
ルル、嘘が下手って言ってたし、にこやかに近づいて誑かすとか、そういうの苦手なんだろうなあ。前はほんと事務的だったもの。
「……貴方に対してどういう表情をしていいのか、わからなかったんです」
「いや、表情に関しては割りと今もないよ」
「そうですか?」
「うん」
まさか自覚がなかったのか。
でもまあ、確かに表情も前よりはわかりやすくなったとは思う。表情筋は死んでるけど、笑ってそうとか感じるとドキッとするし、胸が熱いもので満たされていく。
「おそらく、ここは貴方の世界なので異物である私には上手く表情が出せないのでしょう」
「じゃあ、ルルは外の世界ではもっと表情豊かだったってこと?」
「はい」
前の僕は……ルルの笑顔、見放題だったのかな。
どうして覚えてないんだろう。見たら絶対に忘れないと思うのに。羨ましい。僕も見たい。
だってルルの……。ルルの……? あれ……?
「ご主人様!」
「えっ?」
視界が揺れて、僕は慌ててルルにしがみついた。
「大丈夫ですか?」
「何? あれ……? 今、なんの話してた?」
「私が表情豊かだという話をしていました」
「えっ。嘘でしょ?」
ほんとにそんな話、してた?
僕は怖くなって、しがみつく腕に力を込めた。
さっき一瞬、意識が飛んだ。深呼吸して会話の切れ端を拾い集める。
「あ……。えっと。そうだよ、今だって無表情な自覚がなかったんだから、信憑性はあんまりないよね」
笑ってみせたけれど、ルルはとても心配そうな、不安そうな顔をしていた。
僕はゆっくりとルルの身体から手を離して、かわりに両頬を挟み込んでそっとキスをする。
「ほんとだ」
「え……」
「表情豊かだったね、今」
笑顔が見たかったはずなのに、そんな顔をさせちゃってごめんね。
「やっぱり、ちょっと運動不足みたい。散歩しにいこっか」
記憶が混濁した理由は他にあったけど、気まずくてそう言った。
「……ちょっとではないですよ。かなり、運動不足です」
ルルは僕の下手くそな嘘に、ごまかされてくれた。
まあ、言ってることは本音だろうけども。
目眩と共に、全てが溶け消えてしまいそうなあの感覚……。思い出すとゾッとする。死ぬ時っていうのは、きっとあんな感じ。闇に飲まれた状態で、どうしたら自分の意識を保つことができるだろう。
僕が昔の僕を羨ましいと思ったから。戻ってルルの笑顔を見たいって思ったから? そんな些細なことで揺らぐほど、この世界は不安定なのか。
ルルの言う過去の僕については『それ前世の話?』レベルで他人事に思えていたんだけど、今はっきりと自覚した。この世界はやっぱり僕が創りあげたんだ。
ルルの言う通り、目が醒めたら僕は本当にすべてを忘れてしまうかもしれない。怖いし叫び出しそうなくらいなのに、どこか冷静でいられるのはどうしてだろう。目が醒めるだけだって、本能的に感じ取っているからだろうか。
でも……覚えていたいな、ルルのこと。忘れたくない。ずっと一緒にいたい。
「じゃあ、今日は軽いストレッチでもしようかな。で、明日は街まで出てデートしない?」
「ご主人様は大丈夫なんですか? 人混みもそうですが、あまり具合が良くなさそうですから」
「うん、へいき。明日には治るよ」
できるだけ色んなことをルルとしておきたいんだ。なんて言ったら、また心配そうな顔をされちゃいそうだな。
それに実際、外出することへの恐怖はもうない。……問題といえば歩くのが面倒なのと、体力が足りないくらい。
「わかりました。それでは女性の姿で行きますね」
「え。どうして?」
「そのほうが、デートらしいとは思いませんか?」
「まあ……」
「それとも、私が女性の姿ですとまだ緊張します?」
「ううん……へ、平気だと思うけど」
僕は俯いて自分の指先を見た。この緊張は、ルルが女性の姿でくるって言ったからじゃなくて。ちょっと前、デートに誘った時のこと、思い出したから。
……訊いて、みようかな。
身体がじわじわ熱くなって、手のひらには少し汗が滲んでる。
多分、今ならルルは嬉しいお返事をしてくれるとは思うのだけれど。
「あの、あのね、ルル」
「はい」
「僕とデート、したい?」
「……はい」
熱くなった指先を、きゅっと掴まれる。心臓まで一緒に握られた気がした。
感無量ってこういう時に使う言葉? そんなことくらいでって言われそうだけど、今涙が出そうなくらい嬉しい。
相変わらずひんやりしているルルの手のひらとは裏腹に、はいと答えたその声にはどこか熱がこもっていた。
今が幸せなほど、ルルを失うことへの恐怖が大きくなる。前向きになった途端にすべてを失った過去は、想像よりも僕の心に深い傷を残していたらしい。
悲しむ暇も考える暇もなく訪れる保険金を目的とした親戚や自称慈善事業団体の群れが、両親を失くした悲しみを恐怖にすりかえた。両親が亡くなったショックを上書きするように、僕は大人が怖くなった。いや、多分……その恐怖に浸ることで、本当の傷を隠していたんだと思う。
たとえ『創られた』過去だとしても、今の僕にはそれが現実。
置いて逝かれるのはもう嫌だから、ルルが傍からいなくなるくらいなら先に死んでしまいたいと願った。でもルルはそんな僕の傍にずっといてくれると言った。命を奪うこともしないと。
この世界の外で寝ている僕のことがどうでもよくなったわけじゃないだろうけど……今の僕を選んでくれたんだ。
ずっとずっと、一緒にいたい。でも、僕は……笑顔すら作れないようなこの世界に、ルルを置いていてもいいのか? 一生、笑顔が見られなくてもいい? それをルルが望んでいるとして、僕もそれを望んでるのか?
何より、僕が寿命とか病気で死んだあと……ルルはどうなるんだろう。僕以外の僕がいるなんて、やっぱり実感がわかないけど……。だけど。だからこそ、僕は僕のまま目を醒ますことができるんじゃないかって楽観的な希望もあったりして。
「きっと、大丈夫。うん」
「何がですか?」
ベッドの中でついもらした呟きはルルにしっかり聞かれていて、僕はピンと背中を伸ばした。
「あ、明日のデート、上手くいくかなって」
ついた小さな嘘はことのほかルルのお気に召したらしく、ぎゅうっと抱きしめられた。
「楽しみですね」
「……ん」
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