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プロローグ - 第3巻:ダンジョンの影 Pt.2
第41章:脅威なる閃光
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その白く虚ろな瞳が、ふたりを見据えた瞬間――
見えない“圧”が、肩にのしかかってきた。
アリニアは、すぐにそれを見極めた。
「グラヴァローン……」
苛立ちを隠さず、低く唸るように呟いた。
あまりにも耐久力が高く、石のような身体を持つこの魔獣。
通常の攻撃ではほとんど傷一つつかない。
彼女はそれをよく知っていた。
「時間と体力の無駄ね……」
歯を食いしばりながら、アリニアは吐き捨てた。
だが、次の瞬間――
直感が鋭く警鐘を鳴らす。
暗闇の中、何かが動いた。
黒い閃光が、岩の間を駆け抜ける。
風のように――否、それよりも速く。
一瞬視界に映ったと思えば、次にはもう違う場所へと移っていた。
まるで、目の錯覚のような“存在”。
「……今の、何だ……?」
ヴェイルが緊張した声で呟く。
その影は音もなく跳躍し、ふたりの背後へと回り込んだ。
捕食者――その動きに迷いはなかった。
アリニアとヴェイルは同時に振り返る。
そこで動きを止めた“それ”は――
狼でも、猫でも、犬でもない。
だが、そのどれにも似ていた。
細身の身体としなやかな筋肉。
鋭さと力強さを併せ持つ、野生の象徴。
その被毛は厚く、光を浴びるとわずかに艶を放っていた。
背中は漆黒、腹と脚は茶褐色――
まるでこの闇の世界に溶け込むような色彩。
それが、奴の「狩り」のために最適化されていることを物語っていた。
長くしなやかな尾が、空気を切るように揺れる。
大きく尖った耳が、微細な音すら逃さず拾う。
広く力強い足裏には、鋭く湾曲した爪。
一度掴んだら、二度と逃がさない“狩人”の証。
だが――最も異様なのは、その顔だった。
どこか穏やかで、無害そうなその表情。
従順そうで、無垢ですらある。
まるで、人に慣れた大型の動物――
……だが、それは“仮面”だ。
「魔獣……? いや、ただの獣……?」
ヴェイルは、判断に迷いながら呟く。
だが、アリニアの目は鋭く光っていた。
その表情は一変し、冷たい緊張が瞳に宿る。
「……フリリスが、ここに?」
低く、刺すような声で言った。
その名を口にした瞬間、洞窟の空気がわずかに揺れる。
「フリ……何?」
ヴェイルは眉をひそめ、聞き返す。
アリニアは彼を見やり、冷ややかな目で静かに答えた。
「この場所にいるはずがない存在よ。」
言葉に感情はなかった。
ただ、冷たく、断定するように。
ヴェイルはその意図を測りかねていたが、何かを問おうとして口を開く。
だが、その前に――
アリニアが片手を上げた。
短く、だが絶対的な“制止”の動き。
「ここを生き延びたら、教えてやる。」
その言葉に、ヴェイルはそれ以上何も言えなかった。
今は、聞くべき時ではない。
それだけは、はっきりと分かった。
彼はわずかに後退し、視線をふたたび二体の魔物へ向ける。
石の怪物、グラヴァローン。
そして、異常なまでの速度を持つフリリス。
「……攻撃が効かないやつと、目で追えないやつ。
最悪の組み合わせじゃねぇか……」
息を呑みながら、ヴェイルは呟いた。
足元の空気すら張り詰めていく中、
二人は、静かに、確実に、戦いの刻を迎えようとしていた。
ヴェイルは短剣をしっかりと握り直し、アリニアの方へ視線を向けた。
「俺がグラヴァローンを引き受ける。」
迷いのない声だった。
アリニアは片眉を上げた。
「こいつが本当に“速い”っていうなら……
それを止められるのは、お前しかいないだろ?」
口元にわずかな笑みを浮かべながら、ヴェイルは続ける。
アリニアは即座に返事をしなかった。
だが、ヴェイルの判断には一理あった。
力任せのスタイルでは、あの影のような速さに対応できない。
追いつけず、翻弄されるだけだろう。
彼女は頷いた。
「……無茶だけはするな。」
低く、だが確かな声音でそう言った。
ヴェイルは口元を緩める。
「俺がヘマするように見えるか?」
「できるとは思ってる。
でも、“できる”ことと“安全”は、別よ。」
冷静に、しかし柔らかい芯を持った声だった。
ヴェイルはそれ以上何も言わず、静かに左へと動いた。
洞窟の空間を斜めに進みながら、グラヴァローンとの距離を詰める。
フリリスの視線がヴェイルを捉え、尾がゆっくりと揺れる。
だが、ヴェイルはそれに目を向けることはなかった。
集中するのは、石の巨体。
その構造、動き、反応――
隙を探るには、見極めるしかない。
……その時だった。
音もなく、空気を裂くように“それ”が動いた。
フリリスが――飛んだ。
全くの無音、そして無警告。
次の瞬間には、ヴェイルの目前に迫っていた。
「速っ――!?」
声にならない悲鳴が漏れた。
だが、その間に――
鋭い銀の閃きが、ヴェイルとフリリスの間に割り込んだ。
アリニアだった。
短剣を逆手に構えたまま、正面からその一撃を受け止める。
爪を振り下ろすフリリスの前足と、アリニアの刃が激突する。
ガキンッ!!
硬質な音が洞窟内に響く。
アリニアの筋肉が強く収縮し、足元の石を踏み割る勢いで衝撃を受け止める。
フリリスは彼女の眼を見た。
その目には、氷のように冷たい知性が宿っていた。
次の瞬間、身を引くように跳び退く。
一瞬の閃光のように、元の暗がりへと消える。
ヴェイルは息を吐いた。
肩に残る緊張が、じわじわと抜けていく。
《……遊ばれてる。完全に……》
それが悔しくてたまらなかった。
だが――次の異変が、それを遮った。
重く、鈍い音が背後から響く。
振り返ると、グラヴァローンが大きく息を吸い込んでいた。
牙の間から、熱い蒸気が漏れ出す。
洞窟の空気が一瞬にして熱を帯びる。
ゆっくりと、巨体が頭を下げる。
「……何を……しようとしてる……?」
全身が警戒で硬直する。
答えは、すぐに明らかになった。
グラヴァローンが、ゆっくりと巨大な前脚を持ち上げる。
地を裂くような重さ。
その爪が、わずかに床にめり込む。
《……来る!》
身構えた瞬間――
ズドォォン!!
凄まじい衝撃が洞窟を揺らす。
地面が割れた。
一瞬にして足元が崩れ、亀裂がヴェイルの足元を襲う。
身体が傾く。
バランスが崩れ、岩の上に倒れ込む。
「っ……クソッ!」
頭の中で警告が鳴り響く。
さっきの一撃は、ただの“踏みつけ”ではなかった。
大地ごと揺るがす、崩壊の咆哮――
必死に立ち上がろうとするヴェイル。
だが――
ドガアァァン!!
次の瞬間、グラヴァローンが突進してきた。
地響きと共に迫るその巨体に、反応が追いつかない――!
反応する間もなかった。
ヴェイルはとっさに身を投げ出し、ギリギリのタイミングで横へと転がる。
揺れでまだ足元がふらつく中、岩の上を滑るように回避する。
その直後――
グラヴァローンの巨体が、轟音と共に岩壁に激突した。
ズガアァァン!!
巨大な石が粉々に砕け、破片が四方に飛び散る。
ヴェイルは顔をしかめた。
《……あと一秒遅れてたら……》
身を起こしながら、息を切らせて立ち上がる。
その頃、アリニアもまた、熾烈な戦いの最中にあった。
フリリスは止まらない。
黒と茶の影が渦のように彼女の周囲を回り、次々と攻撃を繰り出してくる。
一撃を防いだ瞬間には、すでに次の爪が迫っている。
アリニアは爪を受け流し、すかさず後退して牙を避ける。
《……速すぎる。》
額に汗が滲む。
肺は熱を持ち、呼吸が荒くなる。
持久戦になれば、分が悪い。
視線を走らせるが、ヴェイルの様子までは確認できない。
《……このままじゃ、やるしか……》
頭に浮かんだ選択肢を、彼女は即座に振り払う。
《……今はまだ、ダメ。あれを使うには代償が大きすぎる。》
別の方法を探さなければ――
一方、ヴェイルの方も追い詰められていた。
グラヴァローンは遅い。
だが、その一撃一撃が“地震”そのものだった。
呼吸を整える余裕もなく、ただ避け続けるしかない。
そのたびに地が揺れ、岩が裂ける。
再び振り下ろされた前脚を、ギリギリでかわす。
が、その動きに限界が近づいていた。
その時だった。
グラヴァローンの動きが――止まった。
突進の勢いをそのままに、ピタリと足を止める。
「……え?」
ヴェイルも思わず足を止めた。
視線を下げる。
自分が立っているのは――湖の際だった。
グラヴァローンは、その水面を凝視していた。
異様な緊張をはらんだまま、微動だにしない。
《……水を、避けてる?》
ヴェイルの中で、閃きが走る。
息を整える暇もなく、両手を前に突き出した。
マナが腕を駆け抜け、掌に集まっていく。
湖の水が揺れ動き、ゆっくりと宙へと持ち上がる。
手のひらの上、赤い水が球となり、光を反射する。
可能な限り大きく――限界まで引き出す。
疲労が、体に重くのしかかる。
視界が揺れ、一瞬だけ意識が遠のきかける。
「……もう少し……持ってくれ……」
かすれた声で、自分に言い聞かせる。
巨大な水球が完成した。
ヴェイルは、思い切り腕を振った。
――シュバァッ!
水球が一直線に飛ぶ。
グラヴァローンの身体に直撃する。
バシャアアアッ!!
水が爆ぜ、無数の粒が石の隙間に染み込む。
岩の裂け目を伝い、内部へと浸透していく。
その瞬間――
「――ギアアアアアァァア!!」
洞窟中に、地を割くような絶叫が響き渡った。
グラヴァローンの動きが止まる。
そして、天井まで揺るがすような咆哮がこだまする。
あまりの衝撃に、フリリスですら動きを止めた。
静寂の中、ただその一声が響き渡る――
アリニアは再び襲いかかるフリリスの一撃を受け止めていた。
だが、その連続攻撃の中に――
わずかな“隙”が生まれた。
それは、一瞬。
だが、彼女にとっては十分だった。
――チャンス。
そう確信すると同時に、アリニアは重心を外す。
あえて避けず、攻撃の流れに身を任せる。
「……今!」
低く呟いた瞬間、身体が回転する。
刃が弧を描くように閃いた。
――ズバッ!
鋭く振るわれた短剣は、一直線にフリリスの左眼を裂いた。
「ギャアアアッ!!」
地を裂くような咆哮が洞窟中に響く。
フリリスは跳ねるように後退した。
激痛に暴れながら、左目からは黒い体液が流れ出す。
毛並みに染み込むその液体。
呼吸が荒くなり、残された一つの瞳が怒りに燃える。
だが――アリニアはすでに後退し、姿勢を立て直していた。
息は上がっていたが、動きは鋭さを失っていない。
同じ頃、ヴェイルもまた限界に近づいていた。
《……使いすぎた……》
マナを消耗しすぎた代償は、想像以上に重い。
視界が揺れ、全身が重い。
それでも、目を閉じ、呼吸を整える。
洞窟の天井の裂け目から、冷たい風が流れ込んでくる。
《……もう一度だけ……》
心の中で叫ぶように、残された力をかき集めた。
その手の中に、小さな風の球が生まれる。
回転し、唸りを上げながら膨れ上がる。
視界が歪みかける。
だが、踏みとどまる。
――放つ!
風球が一直線に飛ぶ。
グラヴァローンの前足――すでに水で濡れた関節部へと命中する。
ヒュバァァン!!
一瞬で、石が凍りつく。
「……ッ!」
グラヴァローンが再び叫び声を上げた。
凍結と痛みによって、その巨体が一瞬硬直する。
「……今しか、ない……!」
最後の力を脚に込める。
全身のマナを下肢に集中させ、地を蹴った。
ダガーを構え、一直線に跳躍。
――ガキィン!
刃が凍りついた関節を貫いた。
パキン……バキン……!
重たい音と共に、脚が砕け落ちる。
「グアアアァァア!!」
獣の咆哮が洞窟中に響き渡る。
バランスを失ったグラヴァローンの身体が、ゆっくりと、そして重く――
――ドシャアアァン!!
地響きと共に倒れ伏す。
砕けた石が飛び散り、砂塵が舞う。
ヴェイルは一歩退き、肩で息をする。
鼓動が耳を打つ。
呼吸が追いつかない。
その時――
「……ヴェイル、後ろ。」
低く、鋭く、アリニアの声が届いた。
一瞬で全身が凍りつく。
背後から――鈍い音。
《……まだ、終わってない……!》
ぎゅっと短剣を握り直す。
次なる脅威が、すぐそこに――
見えない“圧”が、肩にのしかかってきた。
アリニアは、すぐにそれを見極めた。
「グラヴァローン……」
苛立ちを隠さず、低く唸るように呟いた。
あまりにも耐久力が高く、石のような身体を持つこの魔獣。
通常の攻撃ではほとんど傷一つつかない。
彼女はそれをよく知っていた。
「時間と体力の無駄ね……」
歯を食いしばりながら、アリニアは吐き捨てた。
だが、次の瞬間――
直感が鋭く警鐘を鳴らす。
暗闇の中、何かが動いた。
黒い閃光が、岩の間を駆け抜ける。
風のように――否、それよりも速く。
一瞬視界に映ったと思えば、次にはもう違う場所へと移っていた。
まるで、目の錯覚のような“存在”。
「……今の、何だ……?」
ヴェイルが緊張した声で呟く。
その影は音もなく跳躍し、ふたりの背後へと回り込んだ。
捕食者――その動きに迷いはなかった。
アリニアとヴェイルは同時に振り返る。
そこで動きを止めた“それ”は――
狼でも、猫でも、犬でもない。
だが、そのどれにも似ていた。
細身の身体としなやかな筋肉。
鋭さと力強さを併せ持つ、野生の象徴。
その被毛は厚く、光を浴びるとわずかに艶を放っていた。
背中は漆黒、腹と脚は茶褐色――
まるでこの闇の世界に溶け込むような色彩。
それが、奴の「狩り」のために最適化されていることを物語っていた。
長くしなやかな尾が、空気を切るように揺れる。
大きく尖った耳が、微細な音すら逃さず拾う。
広く力強い足裏には、鋭く湾曲した爪。
一度掴んだら、二度と逃がさない“狩人”の証。
だが――最も異様なのは、その顔だった。
どこか穏やかで、無害そうなその表情。
従順そうで、無垢ですらある。
まるで、人に慣れた大型の動物――
……だが、それは“仮面”だ。
「魔獣……? いや、ただの獣……?」
ヴェイルは、判断に迷いながら呟く。
だが、アリニアの目は鋭く光っていた。
その表情は一変し、冷たい緊張が瞳に宿る。
「……フリリスが、ここに?」
低く、刺すような声で言った。
その名を口にした瞬間、洞窟の空気がわずかに揺れる。
「フリ……何?」
ヴェイルは眉をひそめ、聞き返す。
アリニアは彼を見やり、冷ややかな目で静かに答えた。
「この場所にいるはずがない存在よ。」
言葉に感情はなかった。
ただ、冷たく、断定するように。
ヴェイルはその意図を測りかねていたが、何かを問おうとして口を開く。
だが、その前に――
アリニアが片手を上げた。
短く、だが絶対的な“制止”の動き。
「ここを生き延びたら、教えてやる。」
その言葉に、ヴェイルはそれ以上何も言えなかった。
今は、聞くべき時ではない。
それだけは、はっきりと分かった。
彼はわずかに後退し、視線をふたたび二体の魔物へ向ける。
石の怪物、グラヴァローン。
そして、異常なまでの速度を持つフリリス。
「……攻撃が効かないやつと、目で追えないやつ。
最悪の組み合わせじゃねぇか……」
息を呑みながら、ヴェイルは呟いた。
足元の空気すら張り詰めていく中、
二人は、静かに、確実に、戦いの刻を迎えようとしていた。
ヴェイルは短剣をしっかりと握り直し、アリニアの方へ視線を向けた。
「俺がグラヴァローンを引き受ける。」
迷いのない声だった。
アリニアは片眉を上げた。
「こいつが本当に“速い”っていうなら……
それを止められるのは、お前しかいないだろ?」
口元にわずかな笑みを浮かべながら、ヴェイルは続ける。
アリニアは即座に返事をしなかった。
だが、ヴェイルの判断には一理あった。
力任せのスタイルでは、あの影のような速さに対応できない。
追いつけず、翻弄されるだけだろう。
彼女は頷いた。
「……無茶だけはするな。」
低く、だが確かな声音でそう言った。
ヴェイルは口元を緩める。
「俺がヘマするように見えるか?」
「できるとは思ってる。
でも、“できる”ことと“安全”は、別よ。」
冷静に、しかし柔らかい芯を持った声だった。
ヴェイルはそれ以上何も言わず、静かに左へと動いた。
洞窟の空間を斜めに進みながら、グラヴァローンとの距離を詰める。
フリリスの視線がヴェイルを捉え、尾がゆっくりと揺れる。
だが、ヴェイルはそれに目を向けることはなかった。
集中するのは、石の巨体。
その構造、動き、反応――
隙を探るには、見極めるしかない。
……その時だった。
音もなく、空気を裂くように“それ”が動いた。
フリリスが――飛んだ。
全くの無音、そして無警告。
次の瞬間には、ヴェイルの目前に迫っていた。
「速っ――!?」
声にならない悲鳴が漏れた。
だが、その間に――
鋭い銀の閃きが、ヴェイルとフリリスの間に割り込んだ。
アリニアだった。
短剣を逆手に構えたまま、正面からその一撃を受け止める。
爪を振り下ろすフリリスの前足と、アリニアの刃が激突する。
ガキンッ!!
硬質な音が洞窟内に響く。
アリニアの筋肉が強く収縮し、足元の石を踏み割る勢いで衝撃を受け止める。
フリリスは彼女の眼を見た。
その目には、氷のように冷たい知性が宿っていた。
次の瞬間、身を引くように跳び退く。
一瞬の閃光のように、元の暗がりへと消える。
ヴェイルは息を吐いた。
肩に残る緊張が、じわじわと抜けていく。
《……遊ばれてる。完全に……》
それが悔しくてたまらなかった。
だが――次の異変が、それを遮った。
重く、鈍い音が背後から響く。
振り返ると、グラヴァローンが大きく息を吸い込んでいた。
牙の間から、熱い蒸気が漏れ出す。
洞窟の空気が一瞬にして熱を帯びる。
ゆっくりと、巨体が頭を下げる。
「……何を……しようとしてる……?」
全身が警戒で硬直する。
答えは、すぐに明らかになった。
グラヴァローンが、ゆっくりと巨大な前脚を持ち上げる。
地を裂くような重さ。
その爪が、わずかに床にめり込む。
《……来る!》
身構えた瞬間――
ズドォォン!!
凄まじい衝撃が洞窟を揺らす。
地面が割れた。
一瞬にして足元が崩れ、亀裂がヴェイルの足元を襲う。
身体が傾く。
バランスが崩れ、岩の上に倒れ込む。
「っ……クソッ!」
頭の中で警告が鳴り響く。
さっきの一撃は、ただの“踏みつけ”ではなかった。
大地ごと揺るがす、崩壊の咆哮――
必死に立ち上がろうとするヴェイル。
だが――
ドガアァァン!!
次の瞬間、グラヴァローンが突進してきた。
地響きと共に迫るその巨体に、反応が追いつかない――!
反応する間もなかった。
ヴェイルはとっさに身を投げ出し、ギリギリのタイミングで横へと転がる。
揺れでまだ足元がふらつく中、岩の上を滑るように回避する。
その直後――
グラヴァローンの巨体が、轟音と共に岩壁に激突した。
ズガアァァン!!
巨大な石が粉々に砕け、破片が四方に飛び散る。
ヴェイルは顔をしかめた。
《……あと一秒遅れてたら……》
身を起こしながら、息を切らせて立ち上がる。
その頃、アリニアもまた、熾烈な戦いの最中にあった。
フリリスは止まらない。
黒と茶の影が渦のように彼女の周囲を回り、次々と攻撃を繰り出してくる。
一撃を防いだ瞬間には、すでに次の爪が迫っている。
アリニアは爪を受け流し、すかさず後退して牙を避ける。
《……速すぎる。》
額に汗が滲む。
肺は熱を持ち、呼吸が荒くなる。
持久戦になれば、分が悪い。
視線を走らせるが、ヴェイルの様子までは確認できない。
《……このままじゃ、やるしか……》
頭に浮かんだ選択肢を、彼女は即座に振り払う。
《……今はまだ、ダメ。あれを使うには代償が大きすぎる。》
別の方法を探さなければ――
一方、ヴェイルの方も追い詰められていた。
グラヴァローンは遅い。
だが、その一撃一撃が“地震”そのものだった。
呼吸を整える余裕もなく、ただ避け続けるしかない。
そのたびに地が揺れ、岩が裂ける。
再び振り下ろされた前脚を、ギリギリでかわす。
が、その動きに限界が近づいていた。
その時だった。
グラヴァローンの動きが――止まった。
突進の勢いをそのままに、ピタリと足を止める。
「……え?」
ヴェイルも思わず足を止めた。
視線を下げる。
自分が立っているのは――湖の際だった。
グラヴァローンは、その水面を凝視していた。
異様な緊張をはらんだまま、微動だにしない。
《……水を、避けてる?》
ヴェイルの中で、閃きが走る。
息を整える暇もなく、両手を前に突き出した。
マナが腕を駆け抜け、掌に集まっていく。
湖の水が揺れ動き、ゆっくりと宙へと持ち上がる。
手のひらの上、赤い水が球となり、光を反射する。
可能な限り大きく――限界まで引き出す。
疲労が、体に重くのしかかる。
視界が揺れ、一瞬だけ意識が遠のきかける。
「……もう少し……持ってくれ……」
かすれた声で、自分に言い聞かせる。
巨大な水球が完成した。
ヴェイルは、思い切り腕を振った。
――シュバァッ!
水球が一直線に飛ぶ。
グラヴァローンの身体に直撃する。
バシャアアアッ!!
水が爆ぜ、無数の粒が石の隙間に染み込む。
岩の裂け目を伝い、内部へと浸透していく。
その瞬間――
「――ギアアアアアァァア!!」
洞窟中に、地を割くような絶叫が響き渡った。
グラヴァローンの動きが止まる。
そして、天井まで揺るがすような咆哮がこだまする。
あまりの衝撃に、フリリスですら動きを止めた。
静寂の中、ただその一声が響き渡る――
アリニアは再び襲いかかるフリリスの一撃を受け止めていた。
だが、その連続攻撃の中に――
わずかな“隙”が生まれた。
それは、一瞬。
だが、彼女にとっては十分だった。
――チャンス。
そう確信すると同時に、アリニアは重心を外す。
あえて避けず、攻撃の流れに身を任せる。
「……今!」
低く呟いた瞬間、身体が回転する。
刃が弧を描くように閃いた。
――ズバッ!
鋭く振るわれた短剣は、一直線にフリリスの左眼を裂いた。
「ギャアアアッ!!」
地を裂くような咆哮が洞窟中に響く。
フリリスは跳ねるように後退した。
激痛に暴れながら、左目からは黒い体液が流れ出す。
毛並みに染み込むその液体。
呼吸が荒くなり、残された一つの瞳が怒りに燃える。
だが――アリニアはすでに後退し、姿勢を立て直していた。
息は上がっていたが、動きは鋭さを失っていない。
同じ頃、ヴェイルもまた限界に近づいていた。
《……使いすぎた……》
マナを消耗しすぎた代償は、想像以上に重い。
視界が揺れ、全身が重い。
それでも、目を閉じ、呼吸を整える。
洞窟の天井の裂け目から、冷たい風が流れ込んでくる。
《……もう一度だけ……》
心の中で叫ぶように、残された力をかき集めた。
その手の中に、小さな風の球が生まれる。
回転し、唸りを上げながら膨れ上がる。
視界が歪みかける。
だが、踏みとどまる。
――放つ!
風球が一直線に飛ぶ。
グラヴァローンの前足――すでに水で濡れた関節部へと命中する。
ヒュバァァン!!
一瞬で、石が凍りつく。
「……ッ!」
グラヴァローンが再び叫び声を上げた。
凍結と痛みによって、その巨体が一瞬硬直する。
「……今しか、ない……!」
最後の力を脚に込める。
全身のマナを下肢に集中させ、地を蹴った。
ダガーを構え、一直線に跳躍。
――ガキィン!
刃が凍りついた関節を貫いた。
パキン……バキン……!
重たい音と共に、脚が砕け落ちる。
「グアアアァァア!!」
獣の咆哮が洞窟中に響き渡る。
バランスを失ったグラヴァローンの身体が、ゆっくりと、そして重く――
――ドシャアアァン!!
地響きと共に倒れ伏す。
砕けた石が飛び散り、砂塵が舞う。
ヴェイルは一歩退き、肩で息をする。
鼓動が耳を打つ。
呼吸が追いつかない。
その時――
「……ヴェイル、後ろ。」
低く、鋭く、アリニアの声が届いた。
一瞬で全身が凍りつく。
背後から――鈍い音。
《……まだ、終わってない……!》
ぎゅっと短剣を握り直す。
次なる脅威が、すぐそこに――
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