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プロローグ - 第3巻:ダンジョンの影 Pt.2
第47章:呪われし回廊
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焚き火のパチパチという音だけが、会話の終わった空間に残っていた。
アリニアの荷物を乾かす火は、まだ静かに燃え続けている。
ゆっくりと、時間だけが過ぎていった。
ヴェイルは岩にもたれかかりながら、静けさの中で体力を回復させていた。
アリニアもまた、目を閉じていたが——
その耳は微かに震えており、完全に警戒を解いたわけではなかった。
やがて、彼女は静かに目を開け、ヴェイルの肩に軽く手を置いた。
「行くわよ。ここを早く抜けた方がいい。」
落ち着いた、けれど芯のある声。
アリニアは火で温められたタイツを穿き、ブーツを履き直す。
ヴェイルは焚き火を丁寧に消しながら、その様子を見ていたが——
彼女が立ち上がった瞬間、わずかなぐらつきに気づく。
制御された顔の奥に、抑え込んだ痛みの色がにじんでいた。
「……本当に大丈夫か?」
ヴェイルの声には、隠せないほどの心配が滲んでいた。
だがアリニアは、迷いもなく首を縦に振る。
「平気よ。」
短く、静かに。
けれど、その足取りは重かった。
変身の代償は、彼女が思っている以上に深く体を蝕んでいる。
ヴェイルは自然と彼女の隣に立つ。
何かあったとき、すぐ支えられるように——それは本能的な行動だった。
二人は周囲を見渡しながら、瓦礫の中に一つの“空間”を見つける。
無言で開いたような裂け目。音もなく、そこだけ岩が避けられていた。
「……こんなの、前からあったか?」
ヴェイルが眉をひそめながら問う。
アリニアはしばらく目を細めて観察した後、静かに答えた。
「……いいえ。見た覚えはない。」
それだけで、十分だった。
互いに交わした一瞥が、このダンジョンが“変化している”という確信を共有する。
言葉もなく、二人はその裂け目を通り抜ける。
現れたのは、螺旋階段だった。
降りていくたび、戦場の光は遠ざかり、暗闇が二人を包んでいく。
やがて、その先に一枚の大きな扉が現れる。
すでに開かれており、その先には——
まっすぐで、果ての見えない回廊が続いていた。
薄暗い煉瓦造りの壁は、年月に削られ色褪せている。
湿った石の匂いが空気に漂い、すべての音を吸い込むような静寂が支配していた。
アリニアは周囲を一瞥し、先へと歩き出す。
ヴェイルがその後を静かに追う。
「……気を抜かないで。」
低く、しかし鋭く響く警告。
ヴェイルは彼女を横目に見る。
気になるのは、この回廊よりも——アリニアその人だった。
彼女の歩幅は、ごくわずかに乱れていた。
必死に平静を装っているが、体には疲労の影が滲んでいる。
均衡を保つための動作が、どこかぎこちない。
やがて、回廊の両側に、奇妙な“異物”が見え始める。
壁に直接彫られた顔——
まるで生きた人間の表情を、そのまま石に写し取ったかのような精密さ。
閉じた目。綺麗に形取られた口元。どれも、個性を持っているようにすら感じられる。
ヴェイルの背筋を、ぞくりとした冷気が這い上がる。
だが、それだけでは終わらなかった。
回廊の途中から、両側に定間隔で空間が現れ始める。
奥の見えない暗い“くぼみ”。
まるで何かが、そこに潜んでいるかのように。
さらに歩みを進めようとしたとき——
アリニアが静かに手を伸ばし、ヴェイルの胸を押さえる。
「……見て。」
囁くような声。警戒の色が強く滲んでいた。
アリニアは指を差した。
床。天井。そして壁。
ヴェイルが目を細めて見つめると——そこにあったのは、
無数の穴だった。
細く、まっすぐに並んだ小さな孔。
位置があまりに正確すぎる。自然にできたとは思えない。
罠だ。
本能でそう察したヴェイルは、壁際に寄りながら慎重に進むアリニアの背を追う。
一歩、一歩。呼吸さえ抑えながら進んでいた、そのとき——
カチリ。
機械的な音が、静寂を裂く。
直後、空気が鋭く裂けた。
「っ、クソッ!!」
ヴェイルが叫び、反射的に身を投げる。
刹那、黒い矢が彼の横を通り抜け、壁に突き刺さる。
いや——
突き刺さったのは、“顔”だった。
あの石に刻まれた顔の一つに、矢が命中したのだ。
ヒビが走り、石が割れる。
次の瞬間——
「ギィィィィアアアアアアッ!!!」
耳を裂くような、異様な悲鳴が響き渡った。
それは、人間とは思えない叫び。
猛獣でもない。魔物ですらない。理解不能な、ねじれた声。
ヴェイルもアリニアも、思わず耳を塞ぐ。
だが——もう遅かった。
叫びは意識を掻き乱し、集中を打ち砕く。
ただの音ではない。“精神”を狙った攻撃のようだった。
混乱の中、第二の矢が飛来する。
気づけなかった。
それはヴェイルの脚をかすめ、鋭い痛みが彼の神経を走る。
「……ッ!」
呻き声を漏らしながら、アリニアの手を掴んで引き寄せる。
「逃げるぞッ!!」
躊躇なく駆け出す。
痛みを無視しながら、近くの凹みに飛び込む。
狭いが、あの異音から逃れるには十分だった。
やがて、叫びは遠ざかり、音が消える。
だが——
痛みだけは、消えなかった。
ヴェイルは顔をしかめ、脚に手をやる。
焼けるような感覚が、脈打つように襲ってくる。
アリニアがようやく耳から手を外し、彼の様子に目を向けた。
そして、視線は傷口へと移る。
しゃがみ込み、素早く確認。
「……ちっ。」
低く唸る声。
傷は浅かったが、そこから黒い煙が立ち上っていた。
ねっとりと、蛇のように蠢く瘴気。
これは——毒だ。しかも、尋常なものではない。
アリニアは迷わず腰のポーチから軟膏と包帯を取り出す。
素早く、しかしどこかぎこちない動きで手当を始めた。
包帯をしっかりと巻き終え、彼女は顔を上げる。
「……動ける?」
静かだが、明確な緊張が漂う声。
「……燃えるように痛いけど、まだ歩けるさ。」
ヴェイルは苦笑まじりに応じながら、彼女の手元に目を落とす。
違和感があった。
「……でも、それより……お前の方が大丈夫か?」
眉をひそめながら問いかける。
アリニアは一瞬、目を細めた。
「……震えてる。いつもなら、あんなに正確に動けるのに……今日は、手が鈍い。」
ヴェイルの言葉に、彼女はわずかに苦笑しながら包帯をもう一度締め直す。
返事はなかった。
だが、それこそが答えだった。
やがて、アリニアは立ち上がり、再び回廊の奥を見据える。
「……ちびオオカミ、ちょっと来て。」
低く、警戒に満ちた声。
ヴェイルも立ち上がり、彼女の視線の先を見る。
——変わっていた。
壁の“顔”たち。
すべての目が、開かれていた。
それだけじゃない。
口も動いていた。
音は出ていない。けれど、確かに何かを“喋っている”。
無音の囁きが、空間全体を支配していた。
まるで、生きているかのように。
ヴェイルの背筋を、冷たいものが這い上がった。
目の前の“顔”たちが、わずかに動いている。
石の硬さは、もはやそこにはなかった。
その輪郭は微かに揺れ、まるでゴムのように——
生きているかのように、変形していた。
「……これ、本当に“人間”だったりしないよな?」
動揺を隠せず、ヴェイルが呟く。
荒唐無稽な想像——だが、この光景を前にして、否定する理由もなかった。
「……わからない。でも、もしそうなら……気味が悪すぎる。」
アリニアは低く答えながら、腕を組む。
その視線は、なおも壁に張り付いていた。
「誰が……こんなことを……」
小さな声で、ぽつりと漏れる。
その響きには、人間としての本能的な拒絶と嫌悪が混ざっていた。
「こんなの、正気のやることじゃない……」
言葉の後に、沈黙が落ちた。
どちらも、ただじっとこの異様な空間を見つめていた。
ふと、アリニアが目を細める。
遠く、回廊の奥——
闇の先に、淡い光が浮かんでいた。
「……あれは……?」
そっと一歩、足を前に出す。
身体がほんの少し、アルコーヴから外へ——
その瞬間。
ズラリ。
全ての“顔”が、一斉に彼女へと視線を向けた。
「ッ……!」
血の気が引く。
アリニアは即座に足を引っ込め、全身を硬直させる。
その瞳に宿るのは、明確な“殺意”への警戒。
「……ダメ。今のは……完全にアウト。」
低く、鋭い声で言い捨てる。
ヴェイルも目を見開き、壁を見つめる。
そこにあるのは、動かぬ石の顔たち——
だが、そのすべてが、こちらを凝視していた。
「俺が行くよ。」
ヴェイルの声は静かだったが、迷いはなかった。
アリニアは振り向き、驚いたように彼を見つめる。
「……何言って——」
「風を使えば、一気に次のアルコーヴまで飛べる。
タイミングさえ合えば、当たらずに済むかもしれない。」
淡々とした口調。
だが、その内側には、確かな決意があった。
アリニアの直感が警鐘を鳴らしていた。
“やめておけ”と。
だが——彼女の足では、今の速度に耐えられない。
事実として、彼女はもう全力では動けないのだ。
その現実が、言葉を奪った。
アリニアは目を伏せ、そして静かに頷いた。
「……無理しないで。あんたの傷、普通じゃないわ。」
「心配すんなって。こんな状況でも、あんたと一緒にここまで来たんだ。
それだけで、俺はもう十分にタフだろ?」
ヴェイルの軽口に、アリニアはわずかに苦笑した。
そして——
彼は一歩下がり、深く息を吸い込む。
足元に力を込め、風の魔力を集中させた。
「行くぞ……!」
——ボンッ!!
足元から風が爆ぜ、ヴェイルの体が空中へと弾け飛ぶ。
即座に、壁のあちこちから矢の音。
——シュバッ!
空気が裂ける。
何本もの黒い矢が、一直線に彼を狙って放たれる。
「くっ……!」
空中で体をひねり、再び風を蹴る。
二度目の魔力解放で軌道をずらす。
すれすれで回避——
矢の一つがコートの端を裂き、小さな布片が宙を舞う。
——ドンッ!
次のアルコーヴに転がり込むように着地。
壁に体を預け、荒く息をつく。
「……っはぁ……はぁ……マジかよ……」
息を整えながら、ヴェイルは顔を上げる。
その視線の先には、まだ彼女がいた。
アリニアは、無言で彼を見つめていた。
分析するように、冷静に。そして、確実に。
この回廊は——
容易には、通してくれない。
アリニアの荷物を乾かす火は、まだ静かに燃え続けている。
ゆっくりと、時間だけが過ぎていった。
ヴェイルは岩にもたれかかりながら、静けさの中で体力を回復させていた。
アリニアもまた、目を閉じていたが——
その耳は微かに震えており、完全に警戒を解いたわけではなかった。
やがて、彼女は静かに目を開け、ヴェイルの肩に軽く手を置いた。
「行くわよ。ここを早く抜けた方がいい。」
落ち着いた、けれど芯のある声。
アリニアは火で温められたタイツを穿き、ブーツを履き直す。
ヴェイルは焚き火を丁寧に消しながら、その様子を見ていたが——
彼女が立ち上がった瞬間、わずかなぐらつきに気づく。
制御された顔の奥に、抑え込んだ痛みの色がにじんでいた。
「……本当に大丈夫か?」
ヴェイルの声には、隠せないほどの心配が滲んでいた。
だがアリニアは、迷いもなく首を縦に振る。
「平気よ。」
短く、静かに。
けれど、その足取りは重かった。
変身の代償は、彼女が思っている以上に深く体を蝕んでいる。
ヴェイルは自然と彼女の隣に立つ。
何かあったとき、すぐ支えられるように——それは本能的な行動だった。
二人は周囲を見渡しながら、瓦礫の中に一つの“空間”を見つける。
無言で開いたような裂け目。音もなく、そこだけ岩が避けられていた。
「……こんなの、前からあったか?」
ヴェイルが眉をひそめながら問う。
アリニアはしばらく目を細めて観察した後、静かに答えた。
「……いいえ。見た覚えはない。」
それだけで、十分だった。
互いに交わした一瞥が、このダンジョンが“変化している”という確信を共有する。
言葉もなく、二人はその裂け目を通り抜ける。
現れたのは、螺旋階段だった。
降りていくたび、戦場の光は遠ざかり、暗闇が二人を包んでいく。
やがて、その先に一枚の大きな扉が現れる。
すでに開かれており、その先には——
まっすぐで、果ての見えない回廊が続いていた。
薄暗い煉瓦造りの壁は、年月に削られ色褪せている。
湿った石の匂いが空気に漂い、すべての音を吸い込むような静寂が支配していた。
アリニアは周囲を一瞥し、先へと歩き出す。
ヴェイルがその後を静かに追う。
「……気を抜かないで。」
低く、しかし鋭く響く警告。
ヴェイルは彼女を横目に見る。
気になるのは、この回廊よりも——アリニアその人だった。
彼女の歩幅は、ごくわずかに乱れていた。
必死に平静を装っているが、体には疲労の影が滲んでいる。
均衡を保つための動作が、どこかぎこちない。
やがて、回廊の両側に、奇妙な“異物”が見え始める。
壁に直接彫られた顔——
まるで生きた人間の表情を、そのまま石に写し取ったかのような精密さ。
閉じた目。綺麗に形取られた口元。どれも、個性を持っているようにすら感じられる。
ヴェイルの背筋を、ぞくりとした冷気が這い上がる。
だが、それだけでは終わらなかった。
回廊の途中から、両側に定間隔で空間が現れ始める。
奥の見えない暗い“くぼみ”。
まるで何かが、そこに潜んでいるかのように。
さらに歩みを進めようとしたとき——
アリニアが静かに手を伸ばし、ヴェイルの胸を押さえる。
「……見て。」
囁くような声。警戒の色が強く滲んでいた。
アリニアは指を差した。
床。天井。そして壁。
ヴェイルが目を細めて見つめると——そこにあったのは、
無数の穴だった。
細く、まっすぐに並んだ小さな孔。
位置があまりに正確すぎる。自然にできたとは思えない。
罠だ。
本能でそう察したヴェイルは、壁際に寄りながら慎重に進むアリニアの背を追う。
一歩、一歩。呼吸さえ抑えながら進んでいた、そのとき——
カチリ。
機械的な音が、静寂を裂く。
直後、空気が鋭く裂けた。
「っ、クソッ!!」
ヴェイルが叫び、反射的に身を投げる。
刹那、黒い矢が彼の横を通り抜け、壁に突き刺さる。
いや——
突き刺さったのは、“顔”だった。
あの石に刻まれた顔の一つに、矢が命中したのだ。
ヒビが走り、石が割れる。
次の瞬間——
「ギィィィィアアアアアアッ!!!」
耳を裂くような、異様な悲鳴が響き渡った。
それは、人間とは思えない叫び。
猛獣でもない。魔物ですらない。理解不能な、ねじれた声。
ヴェイルもアリニアも、思わず耳を塞ぐ。
だが——もう遅かった。
叫びは意識を掻き乱し、集中を打ち砕く。
ただの音ではない。“精神”を狙った攻撃のようだった。
混乱の中、第二の矢が飛来する。
気づけなかった。
それはヴェイルの脚をかすめ、鋭い痛みが彼の神経を走る。
「……ッ!」
呻き声を漏らしながら、アリニアの手を掴んで引き寄せる。
「逃げるぞッ!!」
躊躇なく駆け出す。
痛みを無視しながら、近くの凹みに飛び込む。
狭いが、あの異音から逃れるには十分だった。
やがて、叫びは遠ざかり、音が消える。
だが——
痛みだけは、消えなかった。
ヴェイルは顔をしかめ、脚に手をやる。
焼けるような感覚が、脈打つように襲ってくる。
アリニアがようやく耳から手を外し、彼の様子に目を向けた。
そして、視線は傷口へと移る。
しゃがみ込み、素早く確認。
「……ちっ。」
低く唸る声。
傷は浅かったが、そこから黒い煙が立ち上っていた。
ねっとりと、蛇のように蠢く瘴気。
これは——毒だ。しかも、尋常なものではない。
アリニアは迷わず腰のポーチから軟膏と包帯を取り出す。
素早く、しかしどこかぎこちない動きで手当を始めた。
包帯をしっかりと巻き終え、彼女は顔を上げる。
「……動ける?」
静かだが、明確な緊張が漂う声。
「……燃えるように痛いけど、まだ歩けるさ。」
ヴェイルは苦笑まじりに応じながら、彼女の手元に目を落とす。
違和感があった。
「……でも、それより……お前の方が大丈夫か?」
眉をひそめながら問いかける。
アリニアは一瞬、目を細めた。
「……震えてる。いつもなら、あんなに正確に動けるのに……今日は、手が鈍い。」
ヴェイルの言葉に、彼女はわずかに苦笑しながら包帯をもう一度締め直す。
返事はなかった。
だが、それこそが答えだった。
やがて、アリニアは立ち上がり、再び回廊の奥を見据える。
「……ちびオオカミ、ちょっと来て。」
低く、警戒に満ちた声。
ヴェイルも立ち上がり、彼女の視線の先を見る。
——変わっていた。
壁の“顔”たち。
すべての目が、開かれていた。
それだけじゃない。
口も動いていた。
音は出ていない。けれど、確かに何かを“喋っている”。
無音の囁きが、空間全体を支配していた。
まるで、生きているかのように。
ヴェイルの背筋を、冷たいものが這い上がった。
目の前の“顔”たちが、わずかに動いている。
石の硬さは、もはやそこにはなかった。
その輪郭は微かに揺れ、まるでゴムのように——
生きているかのように、変形していた。
「……これ、本当に“人間”だったりしないよな?」
動揺を隠せず、ヴェイルが呟く。
荒唐無稽な想像——だが、この光景を前にして、否定する理由もなかった。
「……わからない。でも、もしそうなら……気味が悪すぎる。」
アリニアは低く答えながら、腕を組む。
その視線は、なおも壁に張り付いていた。
「誰が……こんなことを……」
小さな声で、ぽつりと漏れる。
その響きには、人間としての本能的な拒絶と嫌悪が混ざっていた。
「こんなの、正気のやることじゃない……」
言葉の後に、沈黙が落ちた。
どちらも、ただじっとこの異様な空間を見つめていた。
ふと、アリニアが目を細める。
遠く、回廊の奥——
闇の先に、淡い光が浮かんでいた。
「……あれは……?」
そっと一歩、足を前に出す。
身体がほんの少し、アルコーヴから外へ——
その瞬間。
ズラリ。
全ての“顔”が、一斉に彼女へと視線を向けた。
「ッ……!」
血の気が引く。
アリニアは即座に足を引っ込め、全身を硬直させる。
その瞳に宿るのは、明確な“殺意”への警戒。
「……ダメ。今のは……完全にアウト。」
低く、鋭い声で言い捨てる。
ヴェイルも目を見開き、壁を見つめる。
そこにあるのは、動かぬ石の顔たち——
だが、そのすべてが、こちらを凝視していた。
「俺が行くよ。」
ヴェイルの声は静かだったが、迷いはなかった。
アリニアは振り向き、驚いたように彼を見つめる。
「……何言って——」
「風を使えば、一気に次のアルコーヴまで飛べる。
タイミングさえ合えば、当たらずに済むかもしれない。」
淡々とした口調。
だが、その内側には、確かな決意があった。
アリニアの直感が警鐘を鳴らしていた。
“やめておけ”と。
だが——彼女の足では、今の速度に耐えられない。
事実として、彼女はもう全力では動けないのだ。
その現実が、言葉を奪った。
アリニアは目を伏せ、そして静かに頷いた。
「……無理しないで。あんたの傷、普通じゃないわ。」
「心配すんなって。こんな状況でも、あんたと一緒にここまで来たんだ。
それだけで、俺はもう十分にタフだろ?」
ヴェイルの軽口に、アリニアはわずかに苦笑した。
そして——
彼は一歩下がり、深く息を吸い込む。
足元に力を込め、風の魔力を集中させた。
「行くぞ……!」
——ボンッ!!
足元から風が爆ぜ、ヴェイルの体が空中へと弾け飛ぶ。
即座に、壁のあちこちから矢の音。
——シュバッ!
空気が裂ける。
何本もの黒い矢が、一直線に彼を狙って放たれる。
「くっ……!」
空中で体をひねり、再び風を蹴る。
二度目の魔力解放で軌道をずらす。
すれすれで回避——
矢の一つがコートの端を裂き、小さな布片が宙を舞う。
——ドンッ!
次のアルコーヴに転がり込むように着地。
壁に体を預け、荒く息をつく。
「……っはぁ……はぁ……マジかよ……」
息を整えながら、ヴェイルは顔を上げる。
その視線の先には、まだ彼女がいた。
アリニアは、無言で彼を見つめていた。
分析するように、冷静に。そして、確実に。
この回廊は——
容易には、通してくれない。
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