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プロローグ 〜魔王の娘とモンスター育成〜

魔王の娘、かく語りき1

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「――――――あれ?」

「どうしたんだ? そんな血相を変えて」
「魔物にとって名前はとても重要なものなので、与えられるだけで恩恵があったりするのですが」
「そうなのか? ちょうどいいか、モンスター鑑定(アナライズ)!」

 これが試しておきたいことの一つである。家畜鑑定を使ってはいたが、モンスターの場合でも同じような感じで使えるのか、確かめておきたいのだ。

 おそらくセーラが鑑定を使ったときのように、俺の瞳にも魔法陣が浮かび上がっているのだろう。そして、それを通してモンスターを見ることで、俺の頭に直接的に情報が慣れこんでくる。

――――――――――――
『ゴブたろう』<牧場ゴブリンリーダー:Lv.15>
・スキル畜産の強化によって産まれたモンスター。ゴーレムを依り代としているため、使役者を倒さない限り、何度でも復活する。また、依り代の能力を引き継いでいるために牧場ゴーレムと同程度の作業以上のことを行うことができる。使役者のレベルによってその力や可能な技能が増える。そのために普通のゴブリン同様、警戒しておかなければ痛いことになるだろう。

HP:120/120
SP:30/30
ATK:30
DEF:30
SPD:30
INT:30
LUK:30

スキル<畜産作業>
習得技能
・魔物調教
・牧場施設建築
・雑務
・ゴブリン念話
ここから先はレベルにより制限されている

――――――――――――

 家畜と違うのは、能力値やスキルによる技能が出ているところか。
 だが、おおむねできることが理解できた。

「何も変わった様子はないな、名前は反映されているが、ゴブたろうは強化された感覚とかあるか?」
「特にありませんぞ」
「おかしいですわね……、なるほど」

 またもや彼女が首をひねる、と同時に俺のほうをじろりと見た。その瞳にはいまだ魔法陣が展開されており、ずっと見ていると、心の奥まで見透かされているような感覚に陥る。
 セーラがこちらを見て、なるほどと呟いたとなると、名づけによっての強化が起こらないのは俺に問題があるらしいな。

「なにかわかったのか?」
「少し、考える必要がありますわね、まとまり次第お話いたします」

 そう答えた彼女の表情は重く、何やら深刻そうに見えた。
 だけれども、俺はそれを深く問い詰めない。セーラの事情を俺はまだ知らないのだ。
 なぜ、魔王を目指すのか。彼女がどんな人なのか。
 婚約者となったとはいえ、俺たちはあまりにお互いのことを知らなさ過ぎた。

「さーて兄さん、ご飯が冷めてしまいますよ。私は冷めませんけどね」

 誰も話さなくなった部屋の中、ラビーニャの明るい声が響く。空気なんておかまいなしのそんな彼女に救われたような気分になる。
 そして、考え事をしていた俺は突然の出来事に反応できず、ついにはラビーニャの腕の中につかまってしまうのだった。

 柔らかな体、特に胸部。家族以外の男であれば一撃で落とすことのできるその凶悪さに加えて、自分とはあまり似ていない美貌。血色がよくなったこともあり、その可愛さは増したように思えた。

 前までは病弱なお嬢様って感じだったからな。兄としては今の街で一番の看板娘、みたいな感じのほうが嬉しい。
 それよりもだ――――――
「抱き着くな、ご飯の用意、ありがとうな」
「いえいえ、兄さんのためを思えば」

 その過剰なスキンシップまで元気になってしまうと困るので、少しは控えてほしいところである。
 セーラがこちらを見て微妙な顔をしているし……。

「少しくっつきすぎではありませんかね、この兄妹」
「嫉妬ですか?」
「そんなことあるわけないだろ、セーラと俺は契約相手なだけだ」

 隣で変なことを妹が言い始めるので、俺はすぐに否定する。
 勘違いをされていたら、セーラに何をしでかすかわからんからなラビーニャは……。
 そんな気を利かせた否定のつもりだったのだが、セーラの反応は違っていた。

「そう、ですわ」

 さらに微妙そうな顔で、今度は目をそらしているのである。
 その表情の内側を、俺は想像すらできないのである。

 なにしろ、ウォレン・ボタロウ十九歳、女の人と付き合ったことは、まだないのである……。

  気を取り直し、妹のお手製ご飯を食べ、俺たちは談笑する。そしていい時間になったので、それぞれ床に就くことになった。ドタバタでみんな疲れているのだ。
 元気になったラビーニャはよほど嬉しいのかはしゃいでいて、それに疲れたのかすぐに寝てしまっていた。
 セーラも病み上がりで体力が戻っていないのだろう。すぐに眠りに落ちたようだった。

 そして、俺はなんだか寝付けなかった。
 少し、気分を変えるべく、俺は家の外へと出る。そして、目の前の切り株に腰を下ろすのだ。不安で寝付けない時、寝ずの番をしているとき、俺はよくここに来る。


 いつの時だってそう、星を眺めていた。
 森に囲まれた俺の家は、月明かり以外の明かりがなかった。
 そのために家からすぐ出たところの切り株からは、空の煌めきが街にいる時よりもよく見えるのだ。
 森の中から木々のこすれる音に、虫や鳥の鳴く声が時折に聞こえてくる。
 風は涼しく、俺の頬を撫でた。少し高ぶっていた頭が冷たくなっていく。
 彼女――セーラを助けたことで、俺を取り巻く環境は一辺に変わってしまった。 

 妹を救ってくれた。そして、 どん詰まりになりそうだった、俺を救ってくれた。
 少なくとも、まだ前を向いて歩けるのだ。それがありがたかった。
 セーラが何を目指しているのか、それはまだわからない。
 だけれども、それはきっと人間にとってもいいものだろうと、なぜか俺は確信していた。
 
 根拠も何もないそれはまるで夢みたいなことだと、俺は一人で笑う。

「何を笑っているのですか?」

 不意に、そんな声が返られる。
 後ろを振り返るともう寝たと思っていたセーラが立っていた。
 夜の中でも彼女には存在感がある。トレードマークである赤の髪と瞳、そして白磁器のように滑らかで白い肌。街を歩けば男たちがこぞって振り返ってしまうようなそんな風貌。
 俺もまた、振り返って目を奪われたのは言うまでもなかった。

 俺は隣に腰かけた彼女に向かって笑いかける。

「セーラがいい奴そうだなってことに笑ってた」
「それの何がおかしいのですか! 私は誰にだって優しいと自負しておりますわ」

 軽口の押収。そんなやり取りをしながらも、彼女もまた、俺と同じように星を見上げた。
 ルビーの瞳に星が落ちて、いつもより煌めきが増して見えた。

 薄暗闇の中でもその灼熱色した髪の毛は明るい。寝る前だからか、上でお団子にして結んでいない。そのせいか、風が吹くたびに、夜に彩りを与える。

「わたくし、実を言うと魔王城を出たことがなかったの。外は危ないからってお父様に禁止されて、ずっと退屈でしたわ」

 空を見上げながら、彼女は思い出すように語り始める。
 俺は彼女の横顔を見ていた。しかし、喉から何か声が出るわけではない。今日にいたるまでの境遇を思うと、何も言葉が見つからなかったのだ。
 だから、黙って頷いて見せる。
 彼女はつづけた。

「でもある日、わたくしはそこから追い出されることになりましたわ。お父様が殺されて、そして勇者たちに追いかけられて。わたくしは絶望の淵にいましたの。外がこんなに怖いところだなんて思いませんでしたわ」

 絶望、セーラが言うその言葉は自身にも覚えがあった。
 それはもちろん、ギルドを出禁になった時で、どうやってラビーニャの治療代を稼ぐか途方に暮れている時だった。
 だから、彼女の気持ちがわかるとは言わないが、それでも救えてよかったと、そう思うのだ。 


「でも、ウォレン。 わたくしは貴方に出会えた。 助けてもらった。 そして思うのです――――」
「俺も、お前に出会って運命が変わった気がするよ。 俺も絶望していたところだった。 だから――――――」

 星を見ていたセーラの瞳が、こちらの方を向いていた。
 長い睫が、水晶体に移った俺を挟んでいた。

 その吸い込まれそうな赤に、俺は思うのだ。

「「出会えてよかった」」
 
 そんな声が重なり合う。そして、その驚きに、俺たちは軽く噴き出してしまった。さらに、その動きで肩と肩が触れあう。

「わたくし、こんなきれいな星空があるのを知りませんでしたわ」
「魔王城のほうが空気が澄んでるだろう? ここよりも北に位置しているんだし」
「いいえ、違いますわ。 誰かと一緒に見る星空は、一人の時よりも美しく見えますの」

 孤独は人生の楽しさを半減する。人の間に立っているから人間なのだ。
 この世はつながりあってできている。
 それを彼女が発見できたというのならこんなにも喜ばしいことはない。

「そうか、それはよかった」

 風がそよいでいた。虫の声もついには止み、木の葉の擦れる音と、火のはぜるぱちぱちという音だけが、ここにはあった。
 俺は彼女のほうへと向き直り、ずっと抱いていた疑念をぶつけたいと思った。
 だが、切り出し方がわからないのである。

 そんな俺に気づいてか、セーラはふっと微笑んだ。

「どういたしましたの?」
「なぁ、一つ、聞いていいか?」
「なんでも聞いてくださいまし、隠し事はなしですわ」

 ずっと聞きたかったこと。それは、理由であった。



「何で魔王を目指すんだ?」
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