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推しを幸せにしたいだけなんです

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 寮の自習室のドアを開けると、彼女の姿はすぐに見つかった。
 さして人のいない自習室の一番隅は、彼女の指定席ともいえる場所だったから。

「少しよろしいかしら。エクルース様」

 本を広げ、勉学に励んでいた少女が、私の声にハッと顔を上げる。
 新緑の色の瞳、ほんの少し赤みがかった、豊かな金髪、抜けるように白い肌、バラ色の頬。
 彼女を見掛けるたび、美少女の見本のようだと感心する。美少女は美少女でも、人形めいてはいない。血の通った、優しい美貌だった。

 乙女ゲームのヒロインは、やはりこうでなくては。

「シュルヤヴァーラ様……、ご、ごきげんよう」

 慌てて立ち上がるヒロインことエリナ=エクルース男爵令嬢は、ぎこちなく淑女の礼を取った。
 今まで言葉を交わしたこともない公爵令嬢から突然声を掛けられて、緊張に青ざめている。もちろん、貴族の子女として、平静を取り繕おうとはしている。

 あれ、ちょっと予想してた反応と違うな。

 私は、悪意がない事を伝えるために、柔らかに微笑んで見せた。
 どこまで成功しているかは分からないけれど。
 何というか……悪女顔なのよ。表情を作る訓練とメイクで何とか誤魔化してはいるけれど、切れ長の目と薄い唇は冷たい印象しかもたらさない。
 この場面も、悪役令嬢がヒロインに「おぅ、ツラ貸せや」と因縁をつけているようにしか見えないだろう。悲しい。

「かしこまらなくて結構よ。邪魔をしてしまって申し訳ないけれど、少しお話をしたいの。お時間いただけるかしら」
「はい」
「カフェに参りましょう」
「はい……」



 私の名はヴィルヘルミーナ=ユリアナ=シュルヤヴァーラ。
 シュルヤヴァーラ公爵家の長女で、年齢は十六歳。
 主に貴族の子女が通う、ノキア王立学園の学生。
 そして、この世界――乙女ゲーム『煌めく星の花束をあなたに』の悪役令嬢に生まれた、一言でいえば転生者。

 まぁ、いわゆるアレです。ヒロインを虐めて(しかもその虐めがショボイ)、王子様に婚約破棄されて泣き崩れる役回り。
 泣き崩れるだけで処刑も修道院送りもないので暢気なものですが。

 そんなわけで、私の事はどうでもいい。
 問題は私の婚約者、ルーカス=アウリス=エイノ=ユーティライネン。この国の第三王子。ゲームではメインヒーローで、ある事情を抱えている。それを解決するには、ヒロインの力がどうしても必要なのだ。

 出会いのイベントは起こっている。
 なのに、ヒロインはそれきり、ルーカス様に一切近寄っていない。だから、ルーカス様もヒロイン――エリナの事を認識すらしていない。
 それとなく探ってみたけれど、他の攻略対象者に至っては出会いのイベントすら起こさず、彼女は淡々と学習の日々を送っているようだ。

 だから、てっきりエリナも転生者で、何か思うところあって(例えば、サブキャラクターが推しだとか)攻略対象者を避けているのかと思っていたのだけれど。

「殿下ですか……? はい、一度礼拝堂でお会いしましたが」

 首を傾げる姿には、嘘や演技は感じられない。
 それにしても可愛い。可憐だ。

「はい。とても親切にしてくださいました。その、威圧感のある方だと噂で聞いていたので、正直驚きましたが」
「そう。それで」
「それで、とは?」
「素敵な方だなと思わなかった? またお会いしたいとか」
「素敵な方だとはもちろん思いましたが、……! シュルヤヴァーラ様、もしかして、私を疑っていらっしゃいますか? 王子殿下に近づく良からぬ者だと」
「え、いえ、そういう訳では、ないのだけれど」

 良からぬ者って。
 この柔らかな翠の瞳からは、三百光年はかけ離れた単語だわ。

「誓って、王子殿下に近づいたりは致しません」
「いえ、それでは困るのよ!」

 しまった。素が出た。

「こま――る、のですか……?」

 学園内のカフェの特別個室で、防音は完璧なのだけれど、私は声を潜めた。

「あなたの力が必要なんです、エクルース様」
「どうぞエリナとお呼びください。……ですが、殿下や高位貴族の方々と関わるのは、義兄から禁じられています」
「サウル様、ですか?」

 彼女が義兄と呼ぶのは、サウル=ミカ=エクルースだろう。
 ルーカス殿下と同じく、私たちの一学年上の十七歳。エクルース男爵家の長男だ。
 身分差もあり、私は交流する機会があまりなく、数回挨拶を交わした程度だが、彼も攻略対象者の一人だ。けれど、ゲーム開始直後は突然引き取られた遠縁のエリナとは、あまり良い関係性ではなかった筈。

「はい。ご存じかもしれませんが、私は半分は庶民です。男爵家に引き取られて一年も経ちません。学園入学にあたり、一通り教育は受けましたが、礼儀作法も基礎学習も、十分に身に着いているとはとても言えません。卒業、つまりデビュタントまでに、それらを習得しなくてはいけないのです」

 彼女が寮の自習室と学園の図書室の常連であるのは、このためらしい。
 真面目。すさまじく真面目だわ。

 それにしても、ゲームでは開始直後、ほとんどヒロインに口を開かないサウルが、彼女に自由なふるまいを禁じたとは。彼が転生者なのか、そもそもこの世界がゲームとは少し異なるのか、どちらだろう。

「それはともかく、何故私の力が必要なのでしょう」
「……。エリナ様は、ルーカス殿下の噂は、ご存じ?」

 知っているんだろう、エリナの表情が目に見えて強張った。

「シュルヤヴァーラ様、わたし、は」
「陛下の御子ではない。そう言われているわね」

 その頃、国王陛下と王妃殿下の仲が今一つしっくり来ていなかった――いや、そんな言葉で濁しても仕方がない。ルーカス様誕生の一年ほど前は、陛下は迎えたばかりの愛妾を寵愛して、王妃殿下をあまり顧みなくなっていた。義務として最低限お渡りはあったらしいのだけど。

 そして、生まれたルーカス様は、王妃殿下にはそっくりだったけれど、陛下にはあまり似ていなかった。あえて言うなら、耳の形が似ているのだけれど、この時代、耳の形とか爪の形とか、親子の証としてはあまり重要視されていないせいか、不義の子ではないかという噂が面白おかしく囁かれた。
 王妃殿下に愛人がいるという話は一切ないにも関わらず、だ。

 もっとも、護衛騎士や執事など、王妃殿下の周りには当然男性もおり、間違いが絶対にないと保証できはしないのも確かだけれど。

 そのせいで、ルーカス様は不遇な子供時代を過ごした。
 公式な場にはまず呼ばれなかったし、兄王子二人からは顔を合わせるたびにあからさまに嘲笑され、召使たちは彼の世話を最低限しかせずに放置した。

 王妃殿下は元々、大人しく口数の少ない方だったけれど、末の息子を庇わなかった。いや、庇う事ができなかった。
 出産時に多量の出血があったとかで、体を壊した妃殿下は、長らく床を離れられなかったせいだ。
 ほとんど離宮に隔離された状態では、おそらく、ルーカス殿下が不義の子と言われていることさえご存じなかったのだろう。

 妃殿下が回復され、公務に復帰した頃には、その噂は事実として宮廷に定着してしまっていた。
 どう手を尽くしても、撤回できない程に。

 そう悟った妃殿下は、生家の伝手をたどり、我がシュルヤヴァーラ公爵家に縁談を打診した。
 ルーカス殿下にしっかりとした後ろ盾が欲しかったのだろう。三代辿れば王家に連なるシュルヤヴァーラ公爵家だが、権力争いを好まず、領地経営に心血を注ぐ姿勢も好ましかったかもしれない。
 父公爵は少々渋ったらしいが、最終的には条件を一つつけ、婚約を受け入れた。

 結婚式を挙げる前に娘の意思を確認する。もし娘がルーカス殿下との婚姻を望まない場合は解消する、と。

 何とも親馬鹿な、貴族らしからぬ言い分だと思う。
 でも、この場合、その条件はとても有難かった。
 私では、ルーカス殿下の出生の噂を打ち砕くことはできない。幼少時から色々な事を試してみた。ルーカスとの関係を良好に保つ努力もしたし、王や兄王子たちと交流を持って橋渡しの努力をしてみたりしたものの、まったく状況は変わらなかった。

 それはそうだろう。
 ルーカスの婚約者が何を言っても、「あらあら、婚約者を庇っていらっしゃるのね、いじらしいこと」で済まされてしまう。相手にもされない。

 ヒロインが現れてくれたら。
 彼女がルーカス殿下と出会い、仲を深めていく中で発現する特殊能力、『真実の瞳』があれば。
 ルーカス様の名誉は一気に回復する。

 それが叶ったら、私は父に言えばいい。ルーカス様との婚約を解消したい、と。
 あの方は、幸せになれる。

 多分、私はそのためにこの世界に転生したんだと思う。
 何を隠そう、ルーカスは前世からの推しです。絶対的推しです。あんなにゲームにはまったのは煌星だけ、ルーカスだけ。
 真面目で、ぶっきらぼうで、優しくて、はにかむような笑顔が素敵で。不遇な立場にいながら、まっすぐに努力ができる、美しい人。
 はっきり言って、ルーカス推しじゃない人々はちょっとおかしいと思うの。全人類はルーカスの幸せのためにルーカスルートをやりこむべきだ。バッドエンド? ノーマルエンド? 絶対に認めません。

「だから、お願い。ルーカス様を助けて差し上げてほしいの。あなたにしかできない。聖女の力を秘めたあなたにしか」
「……私の力をご存じでしたか」

 エリナの瞳が揺れる。
 厳重に秘されている筈の、聖女の力。
 彼女の亡くなったお母様から受け継いだ力だ。

「申し訳ありません、シュルヤヴァーラ様。私は、王子殿下と恋に落ちるなんてとてもできません。もしも義兄が許可し、殿下が望まれるのであれば、『真実の瞳』を使いましょう。ですが……シュルヤヴァーラ様、まずは王子殿下が何をもって幸せだと思うのか、それを確認するべきではないでしょうか」
「何をもって……?」

 そんなの、決まっている。王子として正式に周囲に認められ、愛するヒロインを娶ることだ。
 身分的には男爵令嬢、それも養女であるエリナだけれど、聖女としての力を認められれば、その地位は王族に次ぐものになる。婚姻を許されるどころか、王家から婚約の打診が来るだろう。

 二人の愛のスパイスになるなら、あまり自信はないけど、あのショボい虐めイベントも私が起こしてみせる。

「そうでしょうか? この状況で私を望むとしたら、相当なクズ男な気がするのですが」
「え」

 淑女の口から出てはいけない単語を聞いたような気がする。
 ……まぁ、私の口から出たのも、淑女としては失格も失格な声なのだけれど。

 私の間の抜けた顔が面白かったのか、エリナはくすくすと笑った。
 笑い声まで完璧に可愛い。

「幸い、義兄のサウルは王子殿下と同じクラスです。一度探りを入れてもらう事にしましょう」





 エリナと話した翌々日、私とエリナは同じカフェにいた。違うのは、そこにサウルが加わった事だ。
 サウル=ミカ=エクルース。
 すらりとした細身長身の男性で、いかにも貴公子という見た目だ。褐色の髪と、澄んだ青の瞳。常に冷静で、それほど人当たりは良くないけれど、ずば抜けた頭の良さを誇る。
 ……の、筈なのだけれど。

「お久しぶりです、ヴィルヘルミーナ嬢。相変わらず薔薇のようにお美しい」
「お久しぶりです。サウル様」

 至ってにこやかに、サウルは切り出した。本来は身分が上の者、つまり私から口を開かなければならないのだが、一切気にした風はない。学園内は建前上は生徒はすべて平等、どちらから声を掛けても構わないという事にはなっているけれども。

 私は淑女の微笑を浮かべる。
 この人は、身分は男爵令息だが、芯まで貴族だ。
 この、不文律マナー破りも彼の策の内のような気がする。真意が読めない。

「さて。遠回しな会話に時間を費やすのは難しい状況ですので、失礼ですが手短に参ります。義妹から大体の話は聞きました。まず、ルーカス殿下が望むのでしたら、宮廷でエリナの『真実の瞳』を使ってもいいでしょう。ですが、それには条件があります。エリナを聖女と認定させない事。ルーカス殿下の妃になど絶対に許しません」
「……」

 一転して切り込まれ、私は黙り込んだ。
 名誉を回復するだけで、ヒロインと恋に落ちないで、ルーカス殿下は幸せになれるのだろうか。
 あの柔らかな笑みを浮かべることができるのだろうか。

 ルーカス殿下は、ほとんど笑わない。
 仲が悪いとは思わないけれど、二人でお茶をしても、私の話に相槌を打つくらいで、あまり口を開くこともない。
 王侯貴族にとって、婚約とは、結婚とはそういうものだとは分かっているけれど、私は彼に幸せになって欲しい。誰よりも愛している人と手を取り合ってほしい。

 私は……。

「聖女認定阻止については、あらかじめ根回ししておきますので大丈夫です。それに、ルーカス殿下がエリナを望むことはないでしょう。ところで、確認したいのですが、ヴィルヘルミーナ嬢。あなたはルーカス殿下との婚約を解消するおつもりなのですか?」
「そ、れは、……はい」
「面倒な第三王子との婚約は解消して、自由になりたいからですか?」
「違います!」

 サウルは薄っすらと笑った。貴族の笑みじゃない、心の底から私の反応を面白がるような、底意地の悪い男の笑み。

「ええ、ええ。分かりますよ。面倒ですもん、ルーカス殿下は。素直じゃないし、口下手だし、気の利いたプレゼントなんて夢のまた夢だし、花束一つ貴女に贈ったことがない、王侯貴族失格の朴念仁だし」

 カッチーン。
 喧嘩売ってる? 売ってるよね?
 言い値で買うぞコラ!

「ですから違います! ルーカス様は世界一素敵な方です!」
「でも婚約解消したいくらいには嫌いなんでしょう?」
「そんな訳ないでしょう!」

 テーブルを両手で叩いて、私は立ち上がった。
 淑女教育など、青空の彼方に儚く消えた。いや、室内だけど。
 ぐっと身を乗り出すと、サウルは逆にちょっと身を引いた。背後の壁にぶつかったけど。

「いいですか、サウル様。ルーカス様は、全人類で一番尊い存在です。全人類はルーカス様の素晴らしさを称え、彼の幸せのために粉骨砕身するべきなのです。すべてはルーカス様の幸せ、ルーカス様の笑顔のために。もちろんあなたにも、ルーカス様に平伏する権利がありますよ」
「え、ちょっと待って。宗教染みてきた。何でそっちへ行くの」
「そっちとは?」
「俺の会話術も大したことないな……。とりあえず、ルーカスを大事に思ってるってことは(ちょっとヤバ目だけど)伝わらなくもない……かな。うん。で、君は、ルーカスが好きなの、嫌いなの? 神様じゃなくて、一人の男性としてさ。恋愛感情はあるの、ないの」

 はす向かいの席で、エリナがドン引きしている気配。
 どうやら私は語ってはならないことを語ってしまったようだ。いつも考えている事だから、つい。

 そのせいなのか何なのか、サウルの口調ががらりと変わった。

「……」
「そこで黙らないでほしいんだけど。言っておくけど、エリナは俺の恋人だから、ルーカスに差し出したりはしないよ」
「兄さまっ!」
「ここが重要なんだから仕方ないだろう、エリナ」

 サウルルート完了していたのか。
 いや、時系列がおかしすぎる。まだ入学して二か月なのに。
 これは、ヒロインがサウルを攻略したんじゃなくて、サウルがエリナを攻略したんだ。絶対にそう。
 この男は――

「で? 俺が話したんだから、君も話してくれないと俺ばかり暴露損なんだけど、どうなの? 恋愛感情はあるの、ないの?」

「あ……」

 推しっていうのは、恋愛対象とはちょっと違う。
 前世の時は、そう思ってた。
 自分の恋愛相手って訳じゃなくて、ヒロインが推しを幸せにしてくれるのを眺めていたいの。
 ただひたすらに愛しい、そういう存在。

 だから、だから、私は。

「ないのかー。嫌いなんだ。可哀想に、ルーカス」
「そんな訳……、ないと申し上げました……っ」
「好き?」
「お慕い……しております……」

 椅子に崩れ落ちた私は、両手で顔を覆った。

 好きだった。好きになってしまった。
 本当は誰にも渡したくなんてない。

 でも、どうしても私の力では救ってあげられないから。

 もし、ルーカスがエリナと結ばれたら、国外に出ようと思っていた。
 誰よりも幸せになってほしい。
 でも、それを見るのは辛い。

 情けないけど、それが本心だ。

「ねぇ、兄さま。こんな美しい人に一途に想われていて、幸せでない男性なんて存在するんでしょうか。私、理解できません」
「俺だって理解できないね。……君は分かる? ルーカス」
「……泣かせるなと言った筈だぞ、サウル」

「!?」

 聞き覚えのある、低い艶のある声。振り向こうとした私の肩に、男性の手が置かれる。それだけで動けなくなった。
 大きな、美しい手。

「ル、」
「感情的に追い込んで問い詰めないと言わないんだもん、仕方ないだろう。申し訳ありません、ヴィルヘルミーナ嬢。あなたを罠にかけた事、謝罪申し上げます。ま、感謝もしてほしいけど」

 サウルは身軽に立ち上がり、エリナに手を差し伸べた。

「名誉回復を望むかどうかは、ルーカスに確認してね。じゃ、俺たちはこれで。後は任せた、ルーカス」
「早く行け、邪魔だ。ああ、エリナ嬢、感謝する」
「いえ。ではごきげんよう」

 二人が去ってしまった個室で、私はどうやってここを逃げようかと頭を巡らせていた。肩に置かれた手を振り払い、背後に立っているルーカス殿下の横をすり抜け、走る――残念ながら、私は生まれながらにして公爵令嬢。カーテシーのための筋肉はあるけれど、走る筋肉がない。多分三歩で追いつかれる。
 では、逃走は諦め、聞かなかったことにしてくれと平伏すべきか。

「ミナ」
「……はい」
「君に平伏されても困るのだが」
「申し訳ありません」

 心の声が駄々洩れなのかと思ったけれど、先ほどサウルに語ったルーカス至上主義宣言の事らしい。
 あれを推し本人に聞かれるとか。死にたい。

「ミナ」
「申し訳……、ありません」
「何に対する謝罪だ? ここの所ずっと私を避けていた事か。エリナ嬢に私を譲ろうとしていた事か。それとも、私に隠れてサウルと会っていた事か?」
「え、えぇ?」

 最後のは凄まじく語弊があるのですが。語弊しかないのですが。だって、学園内でサウルと会うのは初めてだし、サウルを呼び出したのはそもそエリナだし、この部屋には三人いた訳で……。

 そ、それよりもたった今、密室に二人きりなのですが。婚約者同士といえど、これはまずいのでは?

 頭上で、深いため息が吐かれた。
 肩に置かれていた大きな手が、私の鎖骨を包むように回され、え、え、ちょっと待って、何これ?

 抱きしめ、られ、……えぇえ!?

「る、ルーカス様っ」
「分かっている。婚約解消はミナの権利だ。私が覆すことはできない。だが」

 待って、耳元で話さないで。無理、本当に無理、オタク用語じゃなくて本来の意味で無理。
 いい声すぎて心臓が壊れる!

 何で? 何が起こっているの?
 だって、私ヴィルヘルミーナよ? 悪役令嬢なのよ?
 何がどうしたら、メインヒーローが悪役令嬢バックハグするのよ。そんなイベント聞いたこともないわ。
 間違い――よね。何かの間違い。

 夢、かも。
 けど、耳にかかる吐息が熱い。発火してしまいそう。

「君に婚約を破棄されたら、私は一生、幸せにはならない」
「待って、何を仰っているのか……っ」
「ミナ。分かるだろう? 分かってくれ」

 もどかしげに声を振り絞り、ルーカス様は私の肩に顔を伏せた。
 眩いほどの黄金の髪が、頬に触れる。

「わたし、」
「君が好きだ。ずっと昔から、出会った頃から。私の幸せは、君が握っている。……ああ、サウルに笑われる訳だ。まとめてきた筈なのに、うまく言えない」

 まとめてきたとは? と疑問に思い問い返すと、サウルから私の本心を聞き出してやるから、今まで何も言わなかった分、口説き文句と告白の言葉を考えてこい、と宿題を出され、昨晩机に向かって書き出していたのだという。
 ……真面目! そんな真面目でちょっと不器用で一生懸命なルーカスも素敵。素敵すぎる!

「ミナ」

 抱擁が解かれ、椅子に腰かけたまま動けない私の傍に、ルーカス殿下が跪いた。
 この世で一番美しい、蒼の瞳が私をまっすぐに見上げる。

「君も知っての通り、私は美辞麗句の一つも言えないつまらない男だ。察しも悪い、退屈な男だと思う。だが、どうか、この気持ちだけは疑わないでほしい。君が――、君だけが私の幸い、私のすべてだ」
「ルカ、様……っ」

 ふっとルーカス様が笑った。はにかむように、解けるように。

「やっとルカ、と呼んでくれたな、ミナ」

 自分ではルーカス様を幸せにできないと思い知った日に封印した、愛称。
 ……ああ、まさか、この呼び名が、ルーカスのこの笑顔のキーワードだったなんて。

「ルカ様、私、わたし……っ」
「うん?」
「お慕い、しています。ずっとずっと、あなただけを」
「……私もだ、ミナ。愛しているよ、私の光」

 そして、ルーカス様は、私の手を取り、指先にくちづけを落とした。







「すまない、ヴィルヘルミーナ嬢。あなたがそんなに悩んでいたとは知らなかった。……ルカは、ひいおじい様によく似ているんだよ。父上にはあまり似ていないが、王家の血筋なのは間違いない。誰も疑ってはいないんだよ」

「幼少時、確かにルカをいじめたが、それは……、その、ヴィルヘルミーナ嬢があまりにも一生懸命ルカを慕うから、妬ましくて……すまない!」

 後日、王族内では、とっくにルーカスの出生の秘密などないと認められていたと知って、私は膝から崩れ落ちた。
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