いいパートナーでいます。君への恋心に蓋をして。

箱根ハコ

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01 現実は厳しい



 医者の発した音が耳に入り、脳によって言葉として形作られた時、高梨陸たかなしりくは理解するのを拒んだ。
 喉がひりひりと乾き、何度も瞬きをする。

「……つまり」

 声は震えていた。俯くと、ギプスに固定された右足が視界に入る。


「……つまり、俺はもう走れないってことですか?」








 それからはあまり覚えていない。
 気がついたら祖父である章介しょうすけが病室へと来てくれていて、陸の背中を優しく撫でてくれていた。
 陸に両親はいない。まだ陸が幼かった頃に事故で死に、祖父のもとに引き取られた。
 そんな祖父と一緒に見る箱根駅伝に憧れて陸上競技を始めた。

 陸は徐々に才能を発揮し、推薦で大学にも入ることが出来た。そうして必死に努力を重ねたが、三年の間は他の高校から集められた優秀なランナーの中に埋もれてしまっていた。ラストチャンスだと臨んだ四年生の時、陸はついに箱根駅伝のランナーとして選ばれた。

 その翌週に、車に跳ねられたのだった。

 必死にリハビリをしていたが、復帰は難しく、心が折れそうになっていたところを医者によりとどめを刺された。
 陸の右足は感染症を引き起こしており、二度と元のように走れないのだ、と。
 それから後は陸に変わって章介が話を聞いてくれていたから、己の体のことなのにあまり覚えていない。ただただ、もう二度と箱根を走ることが出来ないのだと、その希望すら抱けないのだと実感したのがひどく虚しく、涙が溢れて止まらなかった。

「……じいちゃん、ごめん」

 退院の日、病院の玄関で陸は章介に向かって呟いた。
 冬の寒い日、受付にはクリスマスツリーが飾ってあった。
 視線を移すと玄関前に大きな鏡が飾ってあり、そこに自分の姿が写っている。

 色素の薄い焦げ茶色の髪を短く切りそろえ、ほどよく日に焼けた肌だったが、今は青白くなっている。陸上を続けてきたおかげでほどよく筋肉がついていたが、松葉杖生活のおかげで足の筋肉は衰えつつあった。髪と同じ榛色の瞳には絶望が浮かび、涙のせいで鼻先が赤くなっていた。アーモンドアイと二重の瞼はよくマネージャーに可愛いと言われていたが、今や落ち窪んで見る影もない。
 駅伝まであとほんの数週間後に迫っている。

「……箱根、走るところ、見せてあげられなかった」

 嗚咽混じりの謝罪は、きっと何を言っているかもわからなかっただろう。章介は陸の隣に立って、彼の背中を優しく撫でた。

「生きていてくれただけでええよ」

 ぎゅう、と陸は両目を瞑る。涙が次から次に溢れ出してきた。
 章介は、陸が出場すると決まった時、陸以上に喜んでくれた。少ない生活費の中からすき焼きの具材を買ってきてくれて、陸にたくさん食べろと勧めてくれた。皺だらけの顔をさらにしわくちゃにして、幸せそうにビールを飲む姿を見て、自分の夢が叶ったんだと実感したのに。
 章介は陸の背中を優しく叩いて再び駐車場へ向かって歩き出す。陸もその後ろをのろのろとついていった。






 部屋に帰り着いた頃、スマホにラインの通知が届いた。
 パートナーの甲斐亮太かいりょうたからだった。
 パートナーといっても、恋人という意味のパートナーではない。

 この世界には男女の性の他にアルファ、ベータ、オメガという三つの第二性別がある。

 アルファは優れた知性や美しい容貌、強靭な肉体を持つことが多い優秀な性と言われている。事実、大学でもスポーツや研究の分野ではアルファが目立っていた。
 次がベータである。一番人口が多い性で、基本的には平凡な性と言われている。
 最後のオメガは繁殖をするための性と言われており、男であっても妊娠、出産が出来る。しかし、オメガは三ヶ月に一度、発情期と呼ばれる期間があり、その間には性行為のことしか考えられなくなり、誰彼構わず誘ってしまう。

 陸はオメガだった。

 発情期の間に発してしまうフェロモンを抑制するための薬をいつだって服用はしているものの、自分以外のほとんどがアルファという陸上競技部においてオメガである陸は厄介者とされがちである。
 そこで、国の機関を通じて仮のパートナーであるアルファと契約をして発情期をやり過ごしている。

 その相手が亮太なのだ。

 彼に抱いてもらえばいつもは一週間かかる発情期がたったの三日で終わる。だから、駅伝に打ち込んでいる間だけでも、と契約を願い出たのだった。
 男性オメガを抱ける相手として紹介された彼はバイセクシャルとのことだった。社会人で、今年で二十六歳になる。通った鼻筋に垂れた目尻はいわゆるイケメンの部類に属される。優しく、オメガである陸相手でも大切に扱ってくれていた。

 だからだろうか、陸は亮太に密かな片思いをしている。

 自分が男性を愛する側の人間だとは思いもよらなかったが、気がついた時には好きになっていた。抱いてもらうたびに愛していると言わないように必死に隠し、それでも溢れ出る思いはバレていただろう。

 彼からのライン通知に心が暖かくなる。
 開くと、陸の体調を気遣う言葉が書かれていて、気分が少し浮上した。
 前回の発情期からもう四ヶ月が経過している。
 いつもならば発情期を迎えていてもおかしくない期間だったが、今回はストレスで遅れているのだろう。未だに来る予兆はなかった。

『身体のこともあるし、心配だよ。早く元気になってまた会えればいいな』

 彼の率直な言葉に口角があがる。 

『ありがとうございます。俺も会いたいです』

 返信を終えると、陸は倒れ込むようにベッドに横になる。
 服、着替えてないな……、とか、じいちゃんにお休みも言っていない、とかそんなことが頭をよぎったが、緊張しきりだったこの数日間の疲れが押し寄せ、眠ってしまっていた。
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