異世界宿屋の小さな相談役

月森野菊

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継ぎ火の記憶と、選ばれし器

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「君たちは、“記憶の間”で何を見てきた?」

 王都より訪れた編纂官アレイスは、双子の前でゆっくりと問うた。

「椅子。声。忘れられた願い。それから……“セレスティアの意志”」

 トウマはまっすぐに答えた。

 ユウマは少し戸惑いながらも言葉をつなぐ。

「でも……ぜんぶが“ゆうれい”じゃない。こえなのに、かたちじゃない。きおくなのに、きえない。……あれって、なんなんですか?」

 アレイスは静かに、深く頷いた。

「それこそが、セレスティアの残した術だ。
 “記憶の依代(よりしろ)”と呼ばれる、禁じられた錬金術」

「肉体が滅んでも、“記憶”が宿り続ければ、魂はこの世界にとどまり続ける。
 ただし、それは“生きる”ことではなく、“在り続ける”ことだ」

 

 王都の錬金院では、その術式は「死者蘇生に近い危険なもの」とされ、封印された。
 だがセレスティアは、その術を「癒やし」に転じようとした。

「人の声が消えない世界。
 愛した者の想いが、誰かの灯火になれる世界。
 ――それを、彼女は“宿り木”に託した」

 

 しかし、その術には継承条件がある。

 それは、“記憶を記憶のまま受け入れることができる者”であること。
 そしてもう一つ――“忘れられても、立っていられる心”を持つこと。

「記憶の重さに飲まれてはいけない。
 悲しみに囚われず、過去を過去として見届けられる者――
 君たちのうち、片方がそれに近づいている」

 アレイスはトウマを見た。

「君は“記憶を見る”力がある。
 宿の声、祠の残響、記録されなかった魂の言葉……
 すべてを“物語”として受け取っている」

 
 トウマは言葉を失う。

 心の中に浮かぶのは、あの名もなき魂の「ありがとう」
 セレスティアの記憶がささやいた「次の灯を、どうか」
 そして、誰もいない記憶の椅子に、自分がそっと手を添えた瞬間の温もり。

「継ぎますか?」

 アレイスの問いは静かだった。

「セレスティアの術を。
 記憶の守人として、この宿を“未来に繋ぐ器”となりますか?」

 トウマは、なかなか答えを返せなかった。
 ユウマは隣で彼の手を握る。

「トウマ……きめなくていいよ。まだいまは。
 でも、ぼくらは、どんなふうにでも“宿り木”をまもっていくでしょ。
 なまえがのこらなくても、きおくにのらなくても、みててくれるこえがここにあるからね」

 


 その晩、トウマは夢を見た。

 夢の中――
 白い霧の中に立つセレスティアは、静かに手を差し出していた。

 その手は、どこか哀しみをまとっていて、けれど温かかった。
 誰かを拒むのではなく、誰かを“未来へ送り出す”ための手。

 トウマは、ほんの少し躊躇した。

「僕なんかで、いいのかな……?」

 心の奥にあった不安が顔を覗かせる。

 前世を覚えているとはいえ、まだ五歳の子ども。
 この世界に来て、たった数年しか経っていない。

 誰かを救ったことも、世界を変えたこともない。

 “記録に残るような存在じゃない”。

 でも――

 宿り木に来てから、たくさんの声に出会った。

 怒っていた声。
 泣いていた声。
 忘れられてしまった声。
 帰りたかっただけの声。

 そのひとつひとつを、自分の中で“忘れたくなかった”。

「僕は、“英雄”になれない。
 でも、“忘れない人”には、なれるかもしれない」

「誰かが残した言葉を、ちゃんと受け止めて、
 次の誰かに渡せるなら――それが、僕の役目だと思う」

 

 そう声に出したとき、トウマの手は、自然とセレスティアの手に伸びていた。

 そっと、指先が触れ合う。

 その瞬間、彼の胸の奥に――まるで灯火がともるような感覚が広がった。

 あたたかくて、やさしくて、でも確かに“重み”のある何か。

 それは、過去を守ってきた人たちの願い。
 言葉にならなかった思い出の集積。
 そして、忘れられた全ての人たちが、ほんの一瞬だけでも“思い出してもらえること”を祈った光。

 それを、トウマは――自分の中に、迎え入れた。

 

 目の前のセレスティアが、ほほえんだ。

「ありがとう。私の術を、“生きた物語”にしてくれて」

 そして彼女の姿は、風の中にほどけるように消えていった。

 

 夢から目覚めたトウマの手には、ひとつの黒鉄のペンダントが握られていた。

 中には、白紙の紙片。

 でもトウマにはわかっていた。

 これから書く言葉が、宿り木の新しい“記憶”になっていくのだということを。

 

「僕は、記録する。忘れない。
 名前がなくても、顔が見えなくても、
 “生きてた”ってことを、誰かが知ってるってことを書き残すんだ」

 トウマは、もう“選ばれた子ども”ではなかった。

 彼は――継ぐことを選んだ、語り部(ストーリーテラー)となったのだった。

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