22 / 24
ユウマと、言葉を話さない旅人
しおりを挟む初夏の午後。
宿にやってきたのは、ひとりの青年旅人だった。
身なりは清潔だが質素で、背には大きな荷物。
だが何より目を引いたのは――彼がまったく言葉を話さないことだった。
宿帳に名前は記されていた。ラセルという名だけ。
しかし話しかけても、彼は黙って首を振るか、わずかにうなずくだけ。
「声が出ないのかしら」
「それとも、話したくないだけ?」
宿の客たちも気にしていたが、彼自身は誰にも迷惑をかけず、ただ静かに過ごしていた。
その様子を、ユウマはじっと観察していた。
話せない人は、決して「感じていない」わけじゃない。
言葉がないからこそ、心の中にはたくさんの“沈黙の声”がある――
ユウマはそういう人を、どこか動物と似ていると感じていた。
ある夕方。
ラセルが庭のベンチでひとり本を読んでいるとき、ユウマはそっと彼の隣にクロミを連れて座った。
何も言わずに。
ただ、座った。
しばらくして、クロミがふわっと立ち上がり、ラセルの膝に前足を乗せて、じっと彼の目を見つめた。
そのときだった。
ラセルの目に、ぽたりと涙が落ちた。
ユウマは、声をかけずに、ただクロミを撫でて、彼に一言だけ言った。
「ないてもいいんだよ」
──ペン先が紙に触れたとき、ラセルの頭に、遠い日々の風景がふと差し込んだ。
街のはずれにあった、あの家。
寒い石畳。
怒鳴り声。
何かを言い返した瞬間に、崩れていった家族の表情。
「なぜそんな言い方をしたんだ」と言われた。
何も悪気はなかった。
ただ、正しいと思ったことを言っただけだった。
でもその言葉で、大切な人が泣いた。
離れていった。
そして戻ってこなかった。
それ以来、ラセルは話すことが怖くなった。
誰かと目を合わせるのも、笑うのも、「ありがとう」と言うのも。
心のなかにはいつも、“誤解の破片”が棘のように刺さっていた。
けれど――
宿り木で出会った少年は、何も言わなかった。
ただ隣に座り、猫を膝に乗せて、「泣いてもいいんだよ」とだけ言った。
それだけだったのに、どうしてあんなにも、言葉より深く伝わってきたのだろう。
あの目は、問いかけてこなかった。
理由を聞かなかった。
ただ、「今のままでも、ここにいていい」って……初めて思えた。
ラセルは、言葉を選ぶことに時間がかかった。
手紙を書くことは話すよりもっと難しかった。
でも――この宿では、不器用な文字でも“ちゃんと届く”気がした。
声にできなくても、ここでは心の音が聴こえていた。
あなたが笑ったとき、世界がほんの少し、やわらかくなった気がした。
もう一度くらい、「話してみようかな」と思えた。
もしまた言葉を間違えたとしても、ここでの思い出が、きっと守ってくれる。
そう信じられる場所が、この宿だった。
ペンを置くと、ラセルは少しだけ息を吐いて、そっと笑った。
それは、声にならない「ありがとう」だった。
次の日。ラセルは手紙を置いていった。
それは、字も拙く震えていたが、確かに“彼の言葉”だった。
《ありがとう。話せなかったんじゃなくて、話すのがこわかった。
ことばは、いちど間違えると、ひとをこわしてしまうから。
でも、動物と、あなたの目は、こわくなかった。
この宿でだけは、ちゃんと“ことばにならない声”が聴こえました。》
手紙の横には、小さな布包みがあった。
中には、手作りの革細工の首輪がひとつ。
金具には、小さな刻印がある。
《やどりぎの しずく》
クロミの首につけると、まるで前からずっとそこにあったように、しっくりとなじんだ。
ミーナは微笑みながら言った。
「ラセルさん、たぶん“声じゃなくても伝わる場所”を探してたのね」
アベルは肩をすくめながらも、小さく頷いた。
「見つけたってことだ。宿り木で、ようやく」
その夜、ユウマはふと天井を見上げて、クロミにそっと聞いた。
「……ぼく、ちゃんとつたえられてた?」
クロミはにゃあと小さく鳴き、ベッドに丸くなって答えた。
「……うん。ぼくも、がんばったよね」
ユウマは言葉で戦わない。
でも彼の静かな“感受”は、誰かの心に灯をともす。
彼の声なき声は、
今日もまた、宿り木のどこかで、誰かの記憶と響き合っている。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】異世界リメイク日和〜おじいさん村で第二の人生はじめます〜
天音蝶子(あまねちょうこ)
ファンタジー
壊れた椅子も、傷ついた心も。
手を動かせば、もう一度やり直せる。
——おじいさん村で始まる、“優しさ”を紡ぐ異世界スローライフ。
不器用な鍛冶師と転生ヒロインが、手仕事で未来をリメイクしていく癒しの日々。
今日も風の吹く丘で、桜は“ここで生きていく”。
異世界転生ファミリー
くろねこ教授
ファンタジー
辺境のとある家族。その一家には秘密があった?!
辺境の村に住む何の変哲もないマーティン一家。
アリス・マーティンは美人で料理が旨い主婦。
アーサーは元腕利きの冒険者、村の自警団のリーダー格で頼れる男。
長男のナイトはクールで賢い美少年。
ソフィアは産まれて一年の赤ん坊。
何の不思議もない家族と思われたが……
彼等には実は他人に知られる訳にはいかない秘密があったのだ。
神様の忘れ物
mizuno sei
ファンタジー
仕事中に急死した三十二歳の独身OLが、前世の記憶を持ったまま異世界に転生した。
わりとお気楽で、ポジティブな主人公が、異世界で懸命に生きる中で巻き起こされる、笑いあり、涙あり(?)の珍騒動記。
【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました
佐倉穂波
恋愛
転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。
確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。
(そんな……死にたくないっ!)
乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。
2023.9.3 投稿分の改稿終了。
2023.9.4 表紙を作ってみました。
2023.9.15 完結。
2023.9.23 後日談を投稿しました。
一緒に異世界転生した飼い猫のもらったチートがやばすぎた。もしかして、メインは猫の方ですか、女神様!?
たまご
ファンタジー
アラサーの相田つかさは事故により命を落とす。
最期の瞬間に頭に浮かんだのが「猫達のごはん、これからどうしよう……」だったせいか、飼っていた8匹の猫と共に異世界転生をしてしまう。
だが、つかさが目を覚ます前に女神様からとんでもチートを授かった猫達は新しい世界へと自由に飛び出して行ってしまう。
女神様に泣きつかれ、つかさは猫達を回収するために旅に出た。
猫達が、世界を滅ぼしてしまう前に!!
「私はスローライフ希望なんですけど……」
この作品は「小説家になろう」さん、「エブリスタ」さんで完結済みです。
表紙の写真は、モデルになったうちの猫様です。
転生した子供部屋悪役令嬢は、悠々快適溺愛ライフを満喫したい!
木風
恋愛
婚約者に裏切られ、成金伯爵令嬢の仕掛けに嵌められた私は、あっけなく「悪役令嬢」として婚約を破棄された。
胸に広がるのは、悔しさと戸惑いと、まるで物語の中に迷い込んだような不思議な感覚。
けれど、この身に宿るのは、かつて過労に倒れた29歳の女医の記憶。
勉強も社交も面倒で、ただ静かに部屋に籠もっていたかったのに……
『神に愛された強運チート』という名の不思議な加護が、私を思いもよらぬ未来へと連れ出していく。
子供部屋の安らぎを夢見たはずが、待っていたのは次期国王……王太子殿下のまなざし。
逃れられない運命と、抗いようのない溺愛に、私の物語は静かに色を変えていく。
時に笑い、時に泣き、時に振り回されながらも、私は今日を生きている。
これは、婚約破棄から始まる、転生令嬢のちぐはぐで胸の騒がしい物語。
※本作は「小説家になろう」「アルファポリス」にて同時掲載しております。
表紙イラストは、Wednesday (Xアカウント:@wednesday1029)さんに描いていただきました。
※イラストは描き下ろし作品です。無断転載・無断使用・AI学習等は一切禁止しております。
©︎子供部屋悪役令嬢 / 木風 Wednesday
第5皇子に転生した俺は前世の医学と知識や魔法を使い世界を変える。
黒ハット
ファンタジー
前世は予防医学の専門の医者が飛行機事故で結婚したばかりの妻と亡くなり異世界の帝国の皇帝の5番目の子供に転生する。子供の生存率50%という文明の遅れた世界に転生した主人公が前世の知識と魔法を使い乱世の世界を戦いながら前世の奥さんと巡り合い世界を変えて行く。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる