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第1話「婚約破棄、その日、私は悪役にされた」
しおりを挟むその日、私は悪役令嬢になった。
青天の霹靂とは、こういう瞬間を指すのだろう。王立学園の卒業を目前に控えた春の日、私は王太子アルベルト殿下より、婚約の破棄を言い渡されたのだ。
「リシェル・ヴァレンティーナ。お前との婚約は、これをもって破棄する」
その言葉が放たれた瞬間、学園中の注目が一斉に私に向けられた。
鮮やかな金糸を編んだマントを勢いよく翻すと、王太子アルベルト殿下はまっすぐ私の前に歩み出た。そして、舞台の主役を引き寄せるように、背後に控えていた一人の少女──アリシア・ミルフォードの白い手を取る。その仕草は、王家の威光をまとう者にふさわしく堂々とし、周囲の視線をひとつ残らずさらい取った。
私の方には目もくれず、彼はそのまま誇らしげに高らかに告げる。
「我が新たな婚約者は、アリシア・ミルフォード侯爵令嬢である」
アリシアは、王太子の隣で静かに裾を摘み、完璧な所作で一礼してみせた。伏せられた睫毛の影からは、まるで慈悲に満ちた聖女のような微笑みがこぼれる。
その瞬間、まるで魔法でもかかったかのように、周囲の空気がぴたりと凍りついた。
誰もが言葉を失い、ある者は感嘆の吐息を漏らし、ある者は戸惑いの色を押し殺すように視線をそらす。
「なんて美しい方なの……」「さすが、殿下のお相手にふさわしい」そんな囁きが、意図的に漏れるようにして耳に届く。
だが私は、その背後にある違和感を、どうしても拭い去れなかった。
あの笑顔は、誰に向けられたものなのか。この場で勝利者として立つ彼女が、まるで慈愛に満ちた被害者のように振る舞うその姿に、寒気すら覚える。
──これは偶然ではない。準備された舞台、選ばれた台詞、完璧な演出。そして私は、その筋書きに嵌められた悪役という名の小道具。
(どうして、こんな茶番を誰も疑わないの……?)
喉元までこみ上げた言葉を、私はかろうじて飲み込んだ。
怒鳴っても、泣き叫んでも、それはきっと悪役令嬢が取り乱したという新たな証拠として、記憶されるだけ。
だったら、私にできることは一つ。
「──謹んで、承知いたしました。婚約の破棄、確かにお受けいたします」
はっきりと、澄んだ声でそう告げると、私はゆっくりと頭を下げた。
そこに込めたのは、屈服ではない。王家に対する最低限の礼節と、己の誇り。
目の前の演者たちの思惑通りに壊れてやるほど、私は無様ではない。
一歩、また一歩と歩き出す私に向けられたのは、冷たい視線と、憐れみ、そして、ほんのわずかな、戸惑いを孕んだ眼差しだった。
そう、気づいている者はいるのだ。
この場に漂う違和感を、誰かの作為の匂いを。それでも誰も声に出せない。ただ、黙って見ているだけ。
ならば――私が、証明してやる。
私は悪役なんかじゃない。
この身に浴びせられた罵声のすべてが、誤解と虚構の果てであることを。
たとえ、それにどれだけの時間がかかろうとも。
「……お姉様、そんなはずありません!」
帰宅後、唯一かばってくれたのは妹のシャルロッテだけだった。だが父は冷たく告げた。
「リシェル、明朝には屋敷を出なさい。王命には逆らえん。家の名に泥を塗った責任、償いなさい」
ああ、そうだ。
これが、私に与えられた罰なのだ。
悪役令嬢の烙印。すべてを壊す呪いのような言葉。誰が最初に囁いたのかは、もう思い出せない。
けれど私は、忘れない。
アリシア・ミルフォード――
あの聖女のような微笑みの裏にある、冷たい瞳だけは。
私の立場は、一瞬にして瓦解した。
同時に、社交界での居場所も、家族からの信頼も、すべて音を立てて崩れ落ちた。
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