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惚れた病に薬なし
しおりを挟む「その化け狐と入った待合い茶屋ってのは何てぇ店だ?」
ふいにドス吉が訊ねた。
さっきから一人静かに小上がりの座敷に座っていたのだが、
「おっ?何でぇ、ドス吉も来てたのかい」
熊五郎は今初めてドス吉の存在に気が付いた。
(あれほどの大男なのに気配を消せるとは)
我蛇丸はドス吉の忍びの能力に唸る。
忍びの師匠だという虎也の父親はよほど優れた指導者に違いない。
「それがよ、初めて入った店だったし、よく覚えてねぇや」
「ふぅん、熊五郎はいつも玄武の店しか行かねぇしな」
そんな熊五郎とドス吉のやり取りに、錦庵の面々は一様に(ん?)(呼び捨て?)(何でぢゃ?)という顔になった。
熊五郎は蜜乃家の芸妓のご贔屓の客で、その蜜乃家の箱屋であるドス吉が熊五郎を呼び捨てとは、どうにも解せない。
「熊さんとドス吉はずいぶんと親しいようぢゃの?」
シメが訊ねる。
「ああ、あっしゃ小せぇ頃は蜜乃家でドス吉と一緒に育ったからよ。まあ、兄弟みてぇなもんだな」
熊五郎は自分が玄武の親分と熊蜂姐さんとの間の子で、醤油酢問屋の丸正屋へ養子に出されたと明かした。
「そいぢゃ、蜂蜜姐さんとは兄妹?」
「あっ、ってことは、熊さんは我蛇丸の叔父?」
シメとハトはポカンとする。
「そうぢゃったのか」
我蛇丸は(どうりで)と合点がいった。
ただの錦庵の常連客にしては妙に馴れ馴れしいと思っていたが、熊五郎のほうでは最初から自分を甥っ子として見ていたのだ。
「黙ってて悪かったな。けど、草さんは知らねぇこったよ。あっしが草さんを茶屋遊びへ誘って蜂蜜と引き合わせたのが何か玄武と猫魔に企みがあってしたことみてぇには思われたくねぇからよ」
熊五郎は幼馴染みの草之介の人柄を見込んで妹の蜂蜜を託したという。
そのせいで草之介はすっかり遊び好きの放蕩息子になってしまったのだが。
そんなこんなで、
物欲しげな顔で催促する熊五郎にも蕎麦を振る舞った。
承知のとおり百貫デブで暑がりの熊五郎は年がら年中、盛り蕎麦だ。
「スルスル、――ん?なんっか今日の蕎麦は舌触りがゴワゴワしてねぇかい?」
蕎麦を啜った熊五郎は顔をしかめて首を捻る。
大食いでも舌は肥えているようだ。
「へええ、分かるかえ?我蛇丸が腕を怪我したもんで今日はわしが蕎麦を打ったんぢゃわ」
シメは蕎麦屋に思い入れがないので自分の蕎麦が不評でも気にしない。
「ふぅん?俺ぁ、この蕎麦でも充分に美味いと思うがなぁ?」
ドス吉も盛り蕎麦を啜り、味を確かめるように咀嚼する。
そもそも普段から屋台の蕎麦くらいしか食べたことがなかった。
屋台の蕎麦は茹でておいた蕎麦を湯で温めて客に出すだけなので茹で立ての蕎麦とは比べるまでもない。
「やっぱし常連客には違いが分かるんぢゃのう。今日はやけに蕎麦が余った訳ぢゃ」
ハトは笑って余った蕎麦をすべて茹で上げる。
「まあ、我蛇丸さんの打った蕎麦とは大違いだが、そんじょそこらの店よりかは美味ぇからよ。――あ、そうそう、すまねぇが、ドス吉。ひとっ走り、湯屋へ行って、あっしの着物と履物を取ってきてくんな。大慌てで飛び出てきたもんで、この様よ」
こう見えて熊五郎も大店の若旦那、人通りの多い日本橋を襦袢に裸足で帰るのはみっともないと思うらしい。
蕎麦を十枚も平らげる間にドス吉が着物と履物を取ってくると、熊五郎は身支度し、すぐ近所の丸正屋へ帰っていった。
その熊五郎と入れ違いに、
「いやぁ、たまげた。今、そこで、頭領そっくりな男を見掛けてのう」
「うっかり、『なんぢゃ、頭領、キンキンにめかし込んで。江戸へ来るのは十五日のはずぢゃあ?』などと声を掛けてしもうた」
錦庵へ入ってきたのは雀太と雀次だ。
二人の表の稼業は富羅鳥の伝馬役所の人足で、富羅鳥から江戸まで荷を届けた晩は錦庵の裏長屋で一泊していくのだ。
「まあ、世の中には同じ顔が三人はいるというからのう」
「やたらに人が多い江戸ぢゃし、同じ顔に出逢う率も高いんぢゃろ。――ああ、お縞とおマメが出ていって、わし等の隣が空き部屋になったんぢゃ」
「そっちへ布団を運んどくれ」
シメとハトは二人を裏長屋へ連れていく。
店には我蛇丸とドス吉の二人だけになった。
(ええ機会ぢゃ)
(シメとハトがおるとこっ恥ずかしいからのう。今こそ、好機、至るぢゃ)
我蛇丸はドス吉に是非とも訊いてみたいことがあったのだ。
「のう?ドス吉は、その、竜胆に告白みたいなことはしとるんぢゃろうか?」
ハトとシメが戻らないうちにと焦るあまり唐突に訊ねる。
「え?何だ。だしぬけに。いや、どうだったかな?」
ドス吉はたちまち赤面して照れた。
「ト、トボケんでもええぢゃろうが?」
お互いに心は乙女のように清純なので慣れない恋話にドギマギしてしまう。
「ああ、告白と言えるかどうか、あれぁ猫魔の里に疎開していた頃だったが――」
ドス吉は遠い目をして語り出した。
明和の大火は七年前で、猫魔の里で二年ほど過ごした頃だ。
ドス吉は十四歳、竜胆は十二歳であった。
「その頃の竜胆は今と違って弱々しく泣き虫で、猫魔のガキ共によく『娘っ子みてぇだ』と虐められてメソメソ泣いてばかりいた」
竜胆が虐められて泣いているとドス吉が仕返しに猫魔のガキ共を袋叩きにしてやった。
「その時に、俺ぁ、竜胆に言ったんだ。『お前を泣かす奴は俺が地獄へ送ってやる』と――」
ドス吉はうっとりと当時を懐かしんでいる。
思えば、竜胆に頼られ、番犬のごとく護っていたあの頃が花だった。
竜胆がすっかり小狡くなった今では頼られているというよりは利用されているだけだ。
「ふぅん、そりゃあ、立派に告白ぢゃのう」
自分だって大切な人を泣かす奴は勇んで地獄へ送ってやるが、その大切な人はおそらく自分よりも心身ともに頑強だ。
(メソメソ泣いておるのはわしのほうぢゃ)
我蛇丸は切なげに吐息する。
「――」
ドス吉は同病相憐れむという目で我蛇丸を見ていた。
我蛇丸のやるせない気持ちをドス吉は痛いほど分かっていたのだ。
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