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火消の虎也
しおりを挟む「あれ?」
ふと、屋根の上から路地の中ほどを見ると、左右を水溜まりに挟まれた地面で半玉の小梅がい組の半纏を着た火消と話している。
(小梅ぢゃ)
何故、火消を好かぬはずの小梅が?
火消は後ろ姿でも虎也だとサギはすぐに分かった。
虎也の長い竿も塀に立て掛けてある。
(――虎也、猫魔の忍び――)
(小梅が虎也と何を――?)
サギは怪しんだ。
同じ日本橋に住まう半玉と火消が知り合いでも何もおかしくはないのだが、サギは忍びの者の勘で怪しんだ。
「あれ?サギぢゃないかえ」
小梅が屋根の上のサギに気付いて声を掛ける。
サギはピョンピョンと屋根、塀、地べたの順に飛び下りた。
「小梅、火消と何の話ぢゃ?」
サギは敵意剥き出しにジロッと虎也を睨み付ける。
何も虎也に対して恨みはないのだが、富羅鳥と猫魔は戦国の世からの敵同士と聞いているので睨んだだけである。
「ああ、こないだの舟遊びで若旦那と船頭がいなくなっちまっただろ?その時のことを訊かれてただけさ」
小梅はケロッとして言った。
「あ、そうか」
そう言われてみれば、あの時は川涼みの見廻りの虎也が文字通りに飛んできたのだから、草之介の屋根船にいた小梅に話を訊くのも当然かと思える。
「ああ、屋形船のほうにいた娘か?」
虎也は改めてサギを見た。
「……?」
にわかに疑惑の目だ。
「――む、す、め――?」
虎也は片眉を上げて、いかにも怪しむようにサギをまじまじと見る。
(――う、ヤバい)
サギは自分のほうが怪しまれるとは予想だにしていなかった。
「小梅、そいぢゃなっ」
サギは虎也の疑惑の目から逃れるようにピョンピョンとまた塀から屋根に飛び上がった。
「サギ、また明日も蕎麦、食べに行くからさ」
小梅は屋根の上のサギに向かって笑顔で手を振る。
まるで屋根から屋根へと飛んで帰るくらい珍しくもないという顔だ。
「うんっ」
サギも手を振ってピョンピョンと屋根を飛んでいく。
「ふうん」
虎也はニヤニヤと顎を撫でながら、飛んでいくサギの姿が見えなくなるまで眺めていた。
「ねえ?虎ちゃん、さっきの話の続きだけどさ」
サギがいなくなると小梅はまた虎也に話し出した。
「虎ちゃんはよせ」
虎也は顔をしかめて他人に聞かれていないか横目でチラッと左右を窺う。
通りを行き来する人々はみな水溜まりの路地を避けて遠廻りしていく。
「玄武一家は桔梗屋とは手を切るつもりだよ。若旦那と蜂蜜姐さんの縁組みもご破算なんだって。蜂蜜姐さんはお座敷を休んで泣きっぱなしさ。ホントに若旦那に惚れてんだから。あんまりだよ」
小梅はプンプンと怒り口調だ。
「ああ、あの桔梗屋の間抜けな旦那が調子こいて金をバラまきまくったせいで『金鳥』のことが富羅鳥の忍びにバレちまったんぢゃ仕方ねぇやな」
虎也はどうでもいいという顔で路地の塀に寄り掛かる。
「けどよ、小梅、おめえ、桔梗屋の旦那に手込めにされそうになったって大騒ぎして水揚げの旦那を替えさせたそうぢゃねえか?」
虎也は解せぬように訊ねる。
「うん。だってさ、あたしゃ、お花様とちょいと遊んで仲良くしちまったら、その父親が水揚げの旦那なんて気持ち悪くなっちまったんだもん」
小梅はウエッと下唇を突き出した。
「案外、おめえは良心のある娘だよな。まあ、だから猫魔は甘く見られるのさ」
虎也は吐息する。
「あたしゃ、猫魔とは関係ない。そりゃ、おっ母さんは猫魔の娘だけど、あたしは猫魔とは関係ないよ」
小梅はキッパリと言った。
実は小梅の母はお三毛という猫魔の頭領の娘である。
猫魔には美しい娘がいたので、お三毛は諜報のために江戸へ出てきて芸妓になったのであった。
「あたしゃ、お花様が可哀想でさ。サギだって何にも知らずに桔梗屋と仲良くしてんのにさ。我蛇丸の奴、桔梗屋から『金鳥』を取り上げて不幸に陥れようなんてホント鬼だね。富羅鳥の忍びって血も涙もない連中なのさ」
小梅はお花にもサギにも同情する。
「ああ、その通りさ。我蛇丸の父親の大膳は猫魔の貴重な猫使いのお玉様をかどわかし、子を産ませ、死に追いやった張本人だ。そのうえ、お玉様の連れていた忍びの猫まで富羅鳥が奪いやがった。とことん邪悪な性質は我蛇丸も父親譲りに違いねえ」
虎也は憎々しげに吐き捨てる。
貴重な猫使いなのでお玉様と敬って呼んでいるが虎也にとってはお玉は叔母にあたる。
つまり、敵とはいえ我蛇丸と虎也は従兄弟同士なのである。
虎也の母のお虎、我蛇丸の母のお玉、小梅の母のお三毛は猫魔の美人三姉妹であったのだ。
三姉妹の中で貴重な猫使いはお玉だけであった。
「猫魔は猫使いがいなけりゃ猫魔ぢゃねえ。ちっくしょう、忍びの猫、返せっ」
ジャボッ。
虎也は憤懣やるかたなく石を蹴る。
「――猫頼みかよ」
小梅は鼻で笑った。
「小梅ぇ?そろそろ箱屋が来る頃だから帰るよぉ」
小梅が背にしている塀の内側から松千代の呼ぶ声がする。
箱屋というのは芸妓のお座敷着の着付けをして三味線の箱を持ってお座敷のある料理茶屋まで芸妓を送り迎えする仕事である。
この商家は小梅と松千代が雨やどりに寄った玄武一家が営む料理茶屋の一軒であった。
玄武一家は日本橋芳町に料理茶屋、待合い茶屋、陰間茶屋、矢場などを持って勢力を伸ばしている。
それというのも今をときめく老中の田貫兼次と懇意だからであった。
「小梅ぇ?」
松千代がまた呼ぶ。
「そいぢゃね、虎ちゃん」
小梅は背後の塀の裏木戸を開けてスルリと中へ入っていく。
「虎ちゃんはよせ」
虎也は顔をしかめたが小梅は妹のようなもので江戸では一番、気が置けない相手だ。
トンッ。
虎也は塀を蹴って反動を付け、長い竿を地面に突いてビヨンと路地の水溜まりを飛び越えていった。
「おや?虎也ぢゃないかえ?」
松千代は塀の向こうを竿で高く飛んでいった虎也に目ざとく気付いた。
「うん、何でか知らんけど、たまたま路地にアイツがいたんだよ」
小梅は不自然なほど適当にトボける。
「ふうん、やっぱり虎也も男前だよねえ。我蛇丸さんとどっちも大差なく男前だから迷っちまうよ」
虎也と我蛇丸は見た目が似ているので松千代の男の好みは一貫しているのだ。
「もお、松千代姐さん、早く帰るんだろ?」
小梅はいつまでも虎也の飛び去った塀の向こうを眺めている松千代の袖を引っ張っていった。
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