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いかさま
しおりを挟むやがて、
気もそぞろなうちに日が暮れて、
いよいよ夜五つ半(午後九時頃)が近付き、
我蛇丸だけが湯屋へでも行くかのように手拭いをブラブラと提げて出掛けていった。
「よしっ。そろそろ、わし等も出掛けるかの?」
サギは丸めた蚊帳を抱えて裏長屋の貸本屋の文次の一軒に上がり込んだ。
「――わし等も?」
文次はイヤな予感がした。
「そうぢゃ。名案を思い付いたんぢゃっ。わしはこの中に入って文次が担いでいけば兄様にバレんぢゃろ?」
サギは得意満面で言うと、貸本の木箱から書物をバサバサと出して、自分が木箱の中に膝を抱えて潜り込んだ。
サギは小柄なのでピッタリと木箱に収まる。
文次が貸本屋の姿で神社へ出掛け、サギは木箱の中という、まさしく、おんぶに抱っこな作戦だ。
ちょうど木箱の側面には手を差し込んで持つための手掛穴があるので、そこから外も見える。
「うん?蓋は閉まるか?」
文次が木箱の蓋を閉めようとしたが、
「う~ん、これ以上、縮まれんっ」
木箱の奥行きはサギの肩幅より狭く、蓋は閉まらぬではないか。
「まあ、蓋をせんで風呂敷で包めばいいか」
文次はサギ入りの木箱を風呂敷に包んでヨッコラサと持ち上げる。
「おおっ、ええ感じぢゃあ」
サギはユラユラと揺れる木箱の中で「うひゃうひゃ」と笑った。
「荷物がしゃべるな。笑うな」
文次はサギ入りの風呂敷を背負って縁側から裏庭へ下りる。
「おや?文次さん?こんな時分から仕事かえ?」
小唄のお師匠さんと娘のおマメは湯屋から帰ってきたところだ。
「ああ、そいぢゃ」
文次は二人と入れ違いに裏木戸を出た。
さすがに風呂敷の中がサギ入りの木箱だとは誰も思わぬようだ。
文次は普段と変わらぬ足取りで日本橋の通りを歩いていく。
夜でも外の人通りは多い。
今夜は三日月だ。
家の中より外のほうが明るいので、むしろ夜になるほど人が表へ出てくる。
「お、我蛇丸ぢゃ」
文次が角を曲がると、前方にお葉と我蛇丸が神社へ向かって歩いている。
我蛇丸は桔梗屋の紋入りの提灯を持って、手代かのように見える。
お葉は風呂敷包みを大事に胸元で抱えている。
風呂敷包みは無論のこと玉手箱であろう。
「……?」
背後の気配に我蛇丸が振り返る。
後方から歩いてくる貸本屋の文次を見て(何をやっとる)という呆れ顔をした。
我蛇丸は文次の背負っている風呂敷包みがサギ入りの木箱だと瞬時に察したようだ。
だてにサギが生まれた時から面倒を見てきた訳ではない。
サギの思い付くことなどお見通しなのだ。
文次は半笑いして(まあまあ)と押さえる手付きで我蛇丸をいなす。
我蛇丸とお葉は暗く人気のない神社へと入っていった。
「……」
文次は神社へ入ると植え込みの陰にササッと身を潜め、サギ入りの風呂敷包みを桜木の根元に下ろした。
植え込みの後ろは神社に寄進した人の氏名を彫り込んだ石造りの玉垣である。
桔梗屋弁十郎の名を刻んだ玉垣もある。
文次は木箱の側面を拝殿のほうへ向けて置いた。
「文次ぃ?風呂敷、ずらしとくれ。外が見えん」
サギは小声で囁いて木箱の手掛穴から指でツンツンと風呂敷を突っつく。
「ほれ」
文次は風呂敷を少しずらして手掛穴を出した。
「うん、こっから拝殿が見える」
サギが手掛穴から指を出してピラピラと振る。
ここで風呂敷包みになって『金鳥』の玉手箱を取りに現れるであろう人攫いを待ち伏せするのだ。
「誰もおらぬようだわなあ?」
お葉は緊張の面持ちでソワソワと辺りを見渡す。
「奥様、わしが拝殿へ置いて参りましょう」
我蛇丸はお葉から風呂敷包みを受け取ると参道を進んで拝殿の前に立った。
風呂敷を開いて玉手箱を置く。
すると、
我蛇丸はハッとした様子でお葉の元へ戻ってきた。
「奥様、拝殿に文がっ」
文はまた草之介のミミズがのた打ち廻ったような字だ。
「草之介は何と?」
お葉にはあまりに汚い字で読めない。
「今夜、船で帰して貰うので心配なさらぬようにと」
我蛇丸が文を読んだ。
「船でっ?では、わしゃ、すぐに船着き場へっ」
お葉は草之介の帰りを待ち切れぬようにバタバタと神社を駆け出ていく。
「奥様、わしも一緒にっ」
我蛇丸も桔梗屋の紋入りの提灯を翳し、お葉の後を追っていく。
二人の慌ただしい足音があっという間に遠のいていった。
「――へ?何ぢゃ?兄様は出ていってしもうたのか?人攫いは捕まえんでええのか?」
サギは木箱の中でジタバタとした。
「サギぃ、わし等も帰らんか?」
文次が木箱の手掛穴を覗き込む。
「文次、どけっ。拝殿が見えんぢゃろうがっ」
サギは蓋をしないで開いている脇の風呂敷の隙間から手を出し、シッシッと文次を追い払う。
「荷物が手を出すな」
文次はケタケタと笑った。
この男はサギの相手をして遊んでいるだけである。
「おっ、蚊がおるの。ほれ、ええ具合にこれが役立つぞ」
文次は足に止まった蚊をペチンと叩いて、持ってきた蚊帳を木の枝に引っ掛けてかぶった。
「あっ、そりゃ、人攫いを一網打尽に引っ捕らえる捕獲網ぢゃぞっ」
サギが風呂敷の隙間から顔を出して怒鳴る。
「荷物が顔を出すな」
文次は悠々閑々として木の幹を背凭れに座った。
リーン、
リーン、
神社も虫の音ばかりが騒がしい。
リーン、
リーン、
待てど暮らせど人っ子一人、犬の子一匹すらも来やしない。
「人攫いめ。約束の時刻も守らんとは、何と無礼な奴等ぢゃっ」
サギはジレジレして木箱の手掛穴から拝殿を睨み続けた。
やがて、とっぷりと夜は更けた。
「おおい?サギぃ?もう帰ろうぞ」
文次が風呂敷の隙間を覗き込む。
「くかぁ」
サギは抱えた膝を枕に寝息を立てていた。
人攫いを待っているうちに待ちくたびれて眠ってしまったのだ。
「他愛ないのう」
文次はヨッコラサとサギ入りの風呂敷包みを背負った。
「すぴぃ」
サギはフワフワと揺りかごのように気持ち良く揺られながら眠っていた。
今夜は三日月。
月がまっぴかりだ。
そこへ、
パタパタした足音と桔梗屋の紋入りの提灯の灯りが近付き、神社に小さな人影が現れた。
「……?」
文次はササッと木の陰に隠れて訝しげに人影に目を凝らす。
小さな人影は参道をおそるおそる進んで拝殿の前に立つとキョロキョロと周囲を窺った。
そして、玉手箱を風呂敷に包むと小脇に抱えて後も見ずに一目散に神社を駆け出ていった。
「誰だ?ありゃあ?」
文次はポカンとした。
桔梗屋の家族も奉公人もよく知っているが、あんな童に見覚えはない。
そう、小さな人影は九歳ほどの樹三郎である。
まさか、樹三郎は土壇場になって『金鳥』を手離すのが惜しくなったのであろうか?
何を目論んでいるのか九歳ほどの樹三郎は玉手箱を持ち去ってしまった。
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