富羅鳥城の陰謀

薔薇美

文字の大きさ
112 / 368

武士は相見互い

しおりを挟む

 一方、

「江戸ぢゃあぁぁあ」

 サギは小松川から江戸へ戻ってきた。

 まだ昼飯を食べる前から薪割りだの木登りだのと、ほどほどに身体を動かしたので人一倍すぐに減るサギの腹はペコペコだ。

「いと空腹になりにけりぢゃあ」

 前方には食べ物の屋台がゴチャゴチャと並んでいる。

 橋のたもと周辺は火災に備えて火除け地になっている広場であるが、それを良いことに勝手にみなが屋台を出しているのだ。

 幕府おかみはこの非合法の屋台も黙認していた。

「んふぃ、醤油の焦げるええニオイぢゃあ」

 サギは香ばしいニオイをヒコヒコと辿っていく。

 ニオイの元は醤油を付けて焼いている団子の屋台だ。

 焼き目の付いた団子が四つずつ串に刺さっている。

「美味そうぢゃあ。十本くれっ」

 サギは団子をせっせとひっくり返している爺さんに注文して屋台の横の縁台にドスンと腰を下ろした。

 その時、

 ビタンッ。

 うっかりとサギの馬の尻尾のような長い髪がブンッと跳ねて背中合わせに座って団子を食べている若侍の頭にぶつかった。

「こりゃ申し訳ない。――あ、あれっ?」

 サギが後ろを見やると見覚えのある若侍。

 お庭番の八木明之丞であった。

「いえ」

 八木は団子をモグモグと咀嚼しながら膝の上に広げた草紙から目を離さない。

 まだサギに気付かぬようだ。

(うん?八木のメエさんは何を熱心に読んどるんぢゃ?)

 サギは顎を八木の肩にくっ付けるようにして草紙を覗き込んだ。

「――小町娘恋風涙雨こまちむすめこいかぜなみだあめ?――恋山春村こいやま はるむら?」

 陳腐な題名と筆者名を声に出して読み上げる。

「えっ?わわっ、サギ殿ぉぉっ?」

 八木は背後のサギに気付くと慌てふためきバサバサと草紙を膝から落とした。


「じ、実はぁ、戯作げさくを書いてみようとぉ。その、人気の恋川春町のような戯作者を目指そうとぉぉ」

 八木は相変わらずの震え声で照れ臭そうに打ち明けた。

「恋川春町っ?『金々先生栄花夢きんきんせんせいえいがのゆめ』の作者ぢゃなっ?わしも金々先生、読んだんぢゃっ」

 サギは得意げに言うが主人公の金兵衛が目黒不動尊の粟餅屋へ来たところまでしか読んでいない。

 江戸では黄表紙などの戯作者のほとんどが武士だ。

 恋川春町は駿河小島藩、朋誠堂喜三二は秋田佐竹藩の藩士である。

 春町は戯作だけでなく挿絵も自分で描くが、仲良しの喜三二の戯作の挿絵まで描いている。

 これから春町と喜三二が黄表紙の両横綱となるのである。

 なにしろ武士は仕事がなく閑暇をもて余しているので戯作に費やす時間はたっぷりあるのだ。

「ほお、そいで、八木殿が書いとるのはどんな話なんぢゃ?」

 サギは焼き立ての団子を両手に持って、モリモリと頬張りながら訊ねた。

「い、いやぁぁ、それはぁぁ――」

 八木はモジモジとはにかむ。

『小町娘恋風涙雨』は若侍と小町娘との恋物語という八木の熱い願望と激しい欲求とあらぬ妄想とをグツグツと胸の内で煮詰めて出来上がったモテない男の夢と希望の佃煮のような戯作であった。

「むむう――」

 サギは八木が熱情のまま勢いに任せて書き殴ったらしき草紙の文字を見つめて唸った。

 最初の題名と筆者名は丁寧な達筆で書かれているので八木は決して悪筆ではないのだが、本文の文字は徐々に走り書きのグチャグチャになっている。

「筆がのってくるとどうしても勢いが止まらずにぃぃ」

 八木は困ったように頭を掻く。

「版元へ見せる前にきちんと清書せねば人には読めぬのでなかろうかと考えておったのでござるぅぅ」

「ふうん、わしには読めるがのう」

「えっ?読める?それにサギ殿は忍びの習いで達筆のはず、されば、一つお頼う申し上げまするぅぅ」

 八木は両手で草紙を差し出してガバッと頭を下げた。

 やはり頼みとは戯作の清書であった。

 八木は清書する間があれば早く物語の続きを書きたいのだ。

「一枚二十文でいかがにござろうかぁぁ?」

「えっ?清書して代金をくれるのかっ?二十文というたら団子五本分ぢゃぞっ」

 サギは喜んで引き受けた。

「では、戯作は五枚ござるので締めて百文、前金で――」

 八木は百文束をサギに手渡した。

「清書する前に失くしたら大変ぢゃな」

 サギは草紙のつづひもから抜いた五枚を四つ折りにして懐に仕舞う。

「なに、それがしもお庭番のはしくれ、おのれで書いた文章くらい一言一句、たがえずに頭に収まっておるのでご安心下されぇぇ」

 八木は見くびってくれるなという顔をする。

 そういえばヌ~ボ~としていても八木は将軍様の直属の密偵であるお庭番なのだ。

 お庭番は代々世襲なので中には素質のない者もいるであろうが八木のお庭番としての能力はまだ明らかではない。

「そうぢゃ。みんなにもオヤツに団子を買うて帰ろうっ。ええと、台所の小母おばさんの子等の七人分も忘れちゃいかん。――爺さん、土産の団子、四十三本くれっ」

「四十三本っ?まいどっ」

 団子屋の爺さんは大量の注文に大喜びだ。

 サギはもう最初の十本で四十文、土産の四十三本で百七十二文、合わせて二百十二文も団子に使ってしまった。


「ところで、ここからは本業の話でござるが――」

 八木は唐突にキリッと顔を引き締めた。

 しかも、震え声になっていない。

(――へっ?メエさん、震え声でなく話せるんぢゃっ?)

 サギは肩透かしを食った気になる。

「サギ殿が桔梗屋に潜入して早や四日が経ちまするが、捜査に進展のほどは?桔梗屋の奉公人の中におるという密偵の正体は掴めたのでござろうか?」

「み、密偵?桔梗屋に?」

 サギは寝耳に水でポカンとした。

 どうやら八木はサギが密偵の正体を掴もうと桔梗屋に潜入したと思っているらしい。

 だが、サギはそんな話は何も聞いていない。

 そもそも潜入捜査するために桔梗屋に入った覚えもない。

「富羅鳥城から盗まれた『アレ』を何者かが桔梗屋弁十郎に預けたのが十四年前の暮れ、ならば、その翌年に奉公に上がった人物が何者かが桔梗屋へ差し向けた密偵でなかろうかと――」

「へえ?奉公人はみな十歳とおから奉公に上がっとるんぢゃろ?」

「十四年前の翌年、つまり、十三年前に十歳で奉公に上がった人物でござる」

「ということは、今、二十三歳ぢゃのう。う~ん?」

 サギは団子をくわえたまま首を捻る。

 なんということか、

 あれだけ二十三歳の人物の年齢について前振りしたというのにサギはまるっきり無関心であった。

 あの時、サギはご飯のおかわりで頭がいっぱいだったのだ。

「無論のこと、我蛇丸殿も密偵の正体はとっくに突き止めておられようが、いかんせん確たる証拠がない。敵もさるもの、なかなか尻尾を出さぬのでござる」

 八木は腕組みして難しい顔をする。

「よしっ、とにかく密偵の尻尾を掴めばええんぢゃなっ」

 サギは縁台からバッと立ち上がると団子を天に突き上げ、

「わしに任せとけっ。うりゃあっ」

 自信たっぷりに気炎を上げた。

 それはそうと、密偵である証拠とは何ぞや?

 よく分からぬが気合いだけは充分なサギであった。


 そうして、本業の話が済むと、

しからば、サギ殿、いずれまたぁぁ」

 八木は普段のヌ~ボ~とした顔付きと震え声に戻って縁台から腰を上げた。

 今までどこにいたのかお供二人がササーッと八木の背後に走り寄る。

 武士は一人で外出してはならぬ決まりなので八木にも必ずお供が付き従っている。

(八木のメエさん、なかなかあなどれん男ぢゃ――)

 サギは去っていく八木の後ろ姿をじっと見つめた。

 まったく身体が上下左右に揺れず、重心の定まった姿勢。

 歩く姿を見れば剣術をしっかり稽古している侍だということは分かる。

 
 ゴォン。

 昼八つの鐘が鳴った。

(あっ、オヤツの時分ぢゃ。早よ帰らんとっ)

 サギが土産の団子の風呂敷包みを背負しょって日本橋の通りまで戻ってくると、

「おや?」

 浮世小路から岡持ちを下げて出てきた我蛇丸の姿が見えた。

 岡持ちは温かい蕎麦を出前する時に入れる手提げ箱で丼が六つ入る。

 我蛇丸は急ぎ足で通りの人混みを縫っていく。

 何気なく歩いているようで岡持ちは常に水平に保たれたまま一分いちぶ(約3㎜)も傾かない。

 一滴たりとも蕎麦のつゆをこぼさぬのが錦庵の出前だ。

 我蛇丸も忍びの能力を蕎麦屋の仕事でしか発揮していない。

「ふん」

 サギは我蛇丸の後ろ姿を憎々しげに睨み付け、

兄様あにさま、いや、我蛇丸めっ、三年も前から江戸へ来とるくせしおって、いまだに密偵の尻尾も掴んどらんとは偉っそうに威張っとるわりには役立たずぢゃなっ)

(お前等よりも先に密偵の尻尾を掴んで、わしをコケにしおったことを後悔させてやるっ)

(今に吠え面かかしてやるからのうっ)

 敵対心を剥き出しに不敵にニヤニヤと笑う。

 睨み目でニヤニヤ笑い、せっかくの器量良しも台無しである。

 サギの腹は団子十本でポンポンに膨れているが、それ以上に闘志も満々に膨れ上がっていた。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

対ソ戦、準備せよ!

湖灯
歴史・時代
1940年、遂に欧州で第二次世界大戦がはじまります。 前作『対米戦、準備せよ!』で、中国での戦いを避けることができ、米国とも良好な経済関係を築くことに成功した日本にもやがて暗い影が押し寄せてきます。 未来の日本から来たという柳生、結城の2人によって1944年のサイパン戦後から1934年の日本に戻った大本営の特例を受けた柏原少佐は再びこの日本の危機を回避させることができるのでしょうか!? 小説家になろうでは、前作『対米戦、準備せよ!』のタイトルのまま先行配信中です!

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

大東亜架空戦記

ソータ
歴史・時代
太平洋戦争中、日本に妻を残し、愛する人のために戦う1人の日本軍パイロットとその仲間たちの物語 ⚠️あくまで自己満です⚠️

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

幻の十一代将軍・徳川家基、死せず。長谷川平蔵、田沼意知、蝦夷へ往く。

克全
歴史・時代
 西欧列強に不平等条約を強要され、内乱を誘発させられ、多くの富を収奪されたのが悔しい。  幕末の仮想戦記も考えましたが、徳川家基が健在で、田沼親子が権力を維持していれば、もっと余裕を持って、開国準備ができたと思う。  北海道・樺太・千島も日本の領地のままだっただろうし、多くの金銀が国外に流出することもなかったと思う。  清国と手を組むことも出来たかもしれないし、清国がロシアに強奪された、シベリアと沿海州を日本が手に入れる事が出来たかもしれない。  色々真剣に検討して、仮想の日本史を書いてみたい。 一橋治済の陰謀で毒を盛られた徳川家基であったが、奇跡的に一命をとりとめた。だが家基も父親の十代将軍:徳川家治も誰が毒を盛ったのかは分からなかった。家基は田沼意次を疑い、家治は疑心暗鬼に陥り田沼意次以外の家臣が信じられなくなった。そして歴史は大きく動くことになる。 印旛沼開拓は成功するのか? 蝦夷開拓は成功するのか? オロシャとは戦争になるのか? 蝦夷・千島・樺太の領有は徳川家になるのか? それともオロシャになるのか? 西洋帆船は導入されるのか? 幕府は開国に踏み切れるのか? アイヌとの関係はどうなるのか? 幕府を裏切り異国と手を結ぶ藩は現れるのか?

偽夫婦お家騒動始末記

紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】 故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。 紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。 隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。 江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。 そして、拾った陰間、紫音の正体は。 活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。

処理中です...