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火事見舞い
しおりを挟むあくる朝。
「なんぢゃあ、みんなはずっと寝ておったのかあ?」
サギは朝ご飯をいつにも増してモリモリ食べながら、あれほど賑わって大盛り上がりの火事見物をしないとは何ともったいないことかと思った。
山算屋の裏長屋は消火のために三棟とも破壊されたが幸いなことに店子はみな無事で怪我人もいなかったと聞いたのでサギは暢気にお祭り気分である。
「うん、寝ておったわな。火事は桔梗屋からは風下だから心配ないとおタネが言うたもの」
「まあ、草之介が遊びに出掛けたのは芳町の料理茶屋だし、橋の近くなら大丈夫とわしも寝ておったわなあ」
「わしゃ火事場に行きたかったんだっ。けど、おタネが駄目だと言うもので仕方なく寝ておったんだ」
お花とお葉は火事見物にまるで興味がなく、実之介は火事見物を許されずに不満そうだ。
「かじ?ゆんべ、かじがあったの?」
お枝にいたっては火事があったことさえ知りもしない。
草之介は昨夜遅くに茶屋遊びから帰ってきたが今朝もいつもどおりに朝寝を決め込むようだ。
「あ、そうそう、忘れんうちに。ちょいと番頭さん?」
お葉はなにやら思い立って茶の間から廊下へ出た。
「お嬢様、ご用で?」
一番番頭の平六がすぐに店からすっ飛んできた。
お葉の一歩後ろに番頭の平六が付き従って、二人は長い縁側を渡って奥の棟へ向かう。
「ああ、山算屋さんへ火事見舞いを届けておくれ。山算屋さんとはたいした付き合いもないが同じ日本橋だし、裏長屋を三棟も建て直しならよほど入り用だろうしなあ。まあ、ほんの見舞いの気持ちに二百両だけ」
お葉は自分の秋のよそゆきに二百両の着物を誂えたばかりなので二百両がそれほどの金額とは思ってもいない。
「ほんの?二百両だけ?とんでもない。火事見舞いに二百両も。だいたい、桔梗屋の算盤は先代の頃から、さしま屋の算盤と決まってござります。付き合いもない山算屋へなんぞ見舞いは一両でたくさんにござりましょう」
番頭の平六はブンブンと首を振る。
「一両?」
お葉は目を丸くした。
一両だなんてサギに渡したオヤツ代ではないか。
「まあ、人をからかうにもほどがあるえ。火事見舞いに一両とは」
お葉はコロコロと笑い飛ばして奥の間へ入ると仏間の戸棚の千両箱から小判を「ひい、ふう、みい、よ、いつ――」と数えながら取り出していく。
「……」
番頭の平六は折り目正しく座敷には入らず、縁側に膝を突いて畳に広げた懐紙の上に並べられていく小判を黙って見つめている。
今更、お葉にまともな金銭感覚を求めるのは無理だと諦めたのであろう。
「あ、そうそう、火消のい組にも心付けに十両くらいは」
さらにお葉は小判を十枚、取り出した。
締めて二百十両。
まさか本物の小判の下が五百両もの偽物の小判とは露知らず、まだ千両箱には小判がしこたま収まっているかのように見える。
だが、しかし、
減りも減ったり、
千両箱の小判は残り六十二両なり。
チーン。
一方、茶の間では、
「おかわりぃ」
サギがいつものように茶碗をグイッと斜め後方へ突き出した。
「――あれ?」
いつも給仕している女中のおクキがいない。
「そういえば、おクキがおらんわな?」
お花も今頃になって気付いた。
誰も気にしなかったが、おクキは昨夜もいなかったのである。
「へえ、おクキは錦庵さんへ行ったきりで、昨日から戻っておらぬのでござりますよ。まあ、二度も出戻った女盛りにござりまするゆえ、あまり不粋なことを申すのも野暮というもので――」
乳母のおタネは意味深に言ってニヤニヤする。
「へええ、そしたら、ついにおクキの仕勝ちだわな。おクキはあれでなかなかの美人だもの。そっかあ。ふふふん」
お花はおクキが首尾よく我蛇丸を射止めたに違いないと思った。
恋敵の芸妓の松千代に勝ったということか。
(おクキが帰ったら必勝法を訊いて、あたしも見習うわな)
お花は自分まで励まされた気持ちになる。
「……?」
サギは合点がいかない。
我蛇丸とおクキがどうこうなるなど絶対に有り得んと思った。
とにかく我蛇丸はなかなかの美人であろうが女子に興味を持ったことなどサギが知る限り一度もない朴念仁なのだ。
「おクキはおんなざかりでかえってこんのかえ?おんなざかりってなんだえ?」
おタネの話の意味の分からぬお枝が口を挟む。
「わしゃ『総領の十五は貧乏の世盛り』なら知っとるが女盛りなんぞ知らんぞ」
実之介は自分の物知りをひけらかしたいので諺を持ち出す。
「まあ、いえ、その――」
おタネは「シマッタ」という顔をした。
奥様が席を外しているのをいいことに、つい調子に乗ってしまった。
「そういや、おクキどんは神田が実家ぢゃと言うとった。きっと実家に急用で帰ったんぢゃ。そうぢゃ、それしか考えられんっ」
サギは断固としてそう決め付ける。
我蛇丸とおクキが深間の仲になるなど考えただけでも気持ち悪い。
「へえ、そうでござります。おクキは急用で神田の実家へ帰ったんでござりましょう。へえ」
おタネは自分がはしたないことを言ったのが決まり悪いもので急にサギの意見を支持した。
「えええ、そんなのつまらんわな」
お花はブスッと口を尖らす。
「ささ、もうお花様はお稽古のお支度をなされまし。ミノ坊様、お枝坊様も手習い所のお支度を」
おタネは慌てて子等を身支度に急き立てた。
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