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寝た子を起こす
しおりを挟む一方、その頃、
芳町の料理茶屋『宝来屋』では半玉の小梅と火消の虎也がまた屋根の上で密会していた。
「うわ、ホント、山賊みたいっ」
小梅は虎也のザンバラの髪と黒い眼帯にひとしきりケラケラと笑った。
「ちっ、何の用なんだよ?」
虎也はムスッとしてザンバラの髪を掻き上げる。
「あのさ、今さっき桔梗屋の若旦那がい組の代わりに夜廻りしてるって言ってたけど。虎ちゃん、若旦那に頼まれた『アレ』を取り返す仕事、ちゃんとやってんのかい?」
小梅はすぐに草之介は虎也を裏の仕事に専念させたいがために夜廻りを代わったと察したのだ。
「ああ?取り返すも何も『アレ』は元々、富羅鳥藩の秘宝だろうが。俺の知ったこっちゃねえや。ま、何もしねえでも五百両は手に入ったことだしな」
虎也は投げやりな調子で答える。
「――え?仕事もせずに報酬の前金の五百両をネコババするつもりかい?」
小梅はまさかと眉をひそめた。
「そりゃ、ネコババってのは猫魔にいかにも似つかわしいぢゃねえか」
虎也が半笑いして言うや否や、
「ばっきゃっろっっ」
ボカッ!
小梅の鉄拳が虎也の顔面に飛んだ。
「ぶふっ」
虎也は前屈みになって顔を押さえる。
「お、おめぇ、俺、眼帯で片目なんだぜ?」
鳶の黒の股引きの膝にポタポタと落ちた鼻血が染みていく。
小梅の鉄拳に手加減はない。
「ふんっ、片目だってまともな忍びなら軽く避けられたさ。お前はそんだけヤキが廻っちまったってこったろ?なっさけない。いつから猫魔の忍びは盗人風情に成り下がったんだいっ」
小梅の怒りは収まらず、
「いいさ。虎也になんぞ期待したあたしが馬鹿だった。ただ、忍びは信用第一だからね。いったん引き受けた仕事を始末も付けずに投げ出すことは許さない」
いきなり虎也を呼び捨てにする。
「あたしが『金鳥』を取り戻してやるっ」
小梅は言い捨てて屋根からスサッと縁側へ飛び下りた。
「えええ?」
虎也がビックリと屋根から見下ろすと、ちょうど芸妓の松千代が座敷からフラフラと縁側へ出てきたところだ。
「あ、いたいたぁ。小梅ぇ、何してんだえぇえ?」
松千代は空の酒徳利を手に提げて、グデングデンに酔っ払っている。
どうやら我蛇丸とおクキのことが悔しくてヤケ酒らしい。
「うん、庭にでっかいトラ猫がいたから遊んでたのさ。見掛け倒しの腰抜けのトラ猫でさ」
小梅は聞こえよがしに言う。
「トラぁ?あたしゃね、トラはトラでも大トラだよ。酒、酒ぇえっ。酒ぇ持ってこいぃいっ」
「ああっ、松千代姐さん、危なっかしいね。縁側から落っこちるよ」
小梅はフラフラと歩く松千代を支えて座敷へ戻っていった。
(小梅の奴、『金鳥』を取り戻すって本気か?)
虎也は困惑気味に吐息した。
小梅は猫魔の一族の娘ではあるが忍びではない。
無茶して面倒なことにならねば良いのだが『金鳥』を取り戻すというからには小梅は無茶するに決まっているのだ。
ゴォン。
夜四つ。(午後十時頃)
「サギさん?サギさん?」
サギは肩を揺すられて目を覚ました。
「――あっ、いかん。寝てしもうたっ。夜廻りぢゃっ」
ガバッと跳ね起きた、そこは桔梗屋の台所の板間である。
「もうとっくに手代さんも夜廻りから戻ってるよ」
「今、夜四つの鐘が鳴ったろ?」
「サギさんは一時(約二時間)近くも寝てたんだよ」
そう言うのは下女中のお新、おヤエ、おトネだ。
「えっ?もう夜四つ?」
サギは一番手の夜廻りから帰ってきて小腹が減ったので台所に直行し、下女中に残り飯と味噌汁でおじやを作って貰って三膳も食べて腹が膨れたらウトウト寝てしまったのだ。
山育ちで早寝早起きなので夜五つ半(午後九時頃)も過ぎれば眠たくなる。
夜の忍びの活動にはすこぶる不向きなのがサギの弱点であった。
「ちえっ、銀次郎どんめ、わしが寝とる隙に夜廻りに行きよるとはなんて奴ぢゃっ」
サギはぶんむくれて逆恨みしたが、銀次郎はサギに夜廻りに行くことはならぬと言っていたので起こしてくれるはずもない。
「夜廻りは明日も明後日もあるんだろ?」
「明日、行ったらいいんだからさ」
「ほら、サギさん、もう寝間へ行ってお休みよ」
子持ちの下女中は子を宥めるようにその場しのぎなことを言う。
「うん~」
下女中に台所から追い立てられてサギは渋々と寝間へ向かった。
サギがいなくなると下女中三人はたちまち下世話な噂話に興じる。
今夜、下女中三人は不寝番で若旦那の草之介が茶屋遊びから帰ってくるまで灯りを消さずにペチャクチャとおしゃべりしながら待っているのだ。
「おクキ様は今晩も錦庵へお泊まりかい」
「我蛇丸さんって男前だしさ。おクキ様はだいぶ前から入れ上げてたからね」
「年下の若い男なんて妬ましいねえ」
みな、まんまとおクキの猿知恵に騙され、我蛇丸とおクキが深間の仲になったと思い込んでいる。
噂好きなおクキは日本橋一帯に情報網を持っている。
この蜘蛛の巣のように張り巡らした網に我蛇丸を引っ掛けて身動き出来ぬよう絡め取ろうとしているのであろう。
「すぴ~」
中庭に面した寝間ではみなスヤスヤと寝息を立てていた。
サギは自分の掻巻布団に潜り込むと、あっという間にコトンと眠りに落ちた。
風呂も入らず、顔も洗わず、着替えもせずに。
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