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仇な羊羮 情のカスティラ
しおりを挟む「そいぢゃ、次は蜜乃家へ手土産の菓子だわな」
お花は小間物屋を出ると日本橋の通りを左手へ曲がった。
「うわぃ、菓子ぢゃ、菓子ぢゃ」
サギはピョンピョンと躍り足でお花の後に続く。
つまらぬ小間物屋なんぞより菓子屋の買い物のほうが楽しいに決まっている。
「どこぞで菓子を買うんぢゃ?」
サギは歩きながらキョロキョロと通りを見渡した。
本石町には金沢丹後、新和泉町には虎屋、本町には鈴木越後、日本橋には桔梗屋の他にも上菓子屋が色々とある。
「やっぱり手土産なら鈴木越後の羊羮だわな。なにせ芸妓衆は上菓子は普段から食べ付けておるんだから、鈴木越後くらいでないと格好付かんわな」
お花は本町へ向かう。
半玉の小梅から桔梗屋のカスティラをしょっちゅう食べていると聞かされたので、それを上廻る菓子なら鈴木越後しかないと思ったのだ。
「ほお、そんなに鈴木越後というのは評判なのか?」
サギは期待にワクワクと胸が高鳴った。
「日本一高い羊羮にござりますわいなあ」
おクキは鼻白んだような口振りだ。
鈴木越後は幕府御用菓子司である。
武士は上役へ盆暮れの挨拶の他にも何やかやとお礼のご進物を届ける習わしであるが、ケチって鈴木越後の羊羮を持っていかなかった者はそれっきり昇進が叶わなかったとさえいわれる。
ご進物の菓子のために借金までするのが体面を重んじる武士の社会なのだ。
「そんっなに高い羊羮なのか?」
日本一高い羊羮の値や如何に?
「一棹一両にござりますわいなあ」
「一両っ?」
サギはビックリと目を剥いた。
一両といえばサギのお馴染みのオヤツ換算で粟餅千二百五十個分だ。
「ぢゃって、蒸したアンコぢゃろ?」
サギは大いに首を捻った。
練り羊羮が作られたのは寛政なので安永の頃は蒸し羊羮である。
蒸し羊羮は餡と小麦粉と葛を混ぜて蒸したものだ。
「鈴木越後の羊羮は高価な砂糖がたっぷりなんだわな」
お花はサラッと答える。
「桔梗屋のカスティラだとて高価な砂糖たっぷりで、さらに高価な卵までたっぷり使っておりますわいなあ」
おクキは『高価』を強調する。
「あ、そーいや、桔梗屋のカスティラは幾らなんぢゃ?」
サギは見慣れたカスティラの値段も知らなかった。
「え?えっと?」
お花もどうやら知らなかったらしい。
「桔梗屋のカスティラは、たしか金一分にござりますわいなあ」
おクキもちょっと考えてから答えた。
金一分は一両の半分だ。
菓子の値段としたら相当に高いのだが、一両の羊羮の後に聞くとずいぶん安いような気になる。
「なんぢゃあ、羊羮の半分の値かあ」
サギは鈴木越後に桔梗屋が位負けした気がして面白くない。
桔梗屋のカスティラは材料が最上なだけでなく、熟練の菓子職人が重たいカスティラの木枠を水平に持ち上げて直火に翳しながら一時(約二時間)も焼き続けるという、とてつもなく重労働なのを見知っているだけに高価なことにも納得がいく。
しかし、羊羮にそれほどの熟練の技がいるのであろうか?
サギは納得がいかない。
「桔梗屋のカスティラは蒸したアンコごときに負けんのぢゃっ」
まだカスティラの耳しか食べたことはないのだが、
「日本一の菓子は桔梗屋のカスティラぢゃっ」
自信満々に断言する。
こうして、
サギは幕府御用菓子司の鈴木越後に一方的に敵対心を燃やした。
日々のカステラ斬りで、
菓子職人見習い(自称)として、
今やサギの胸の内にも桔梗屋のカスティラにそれなりの熱い思いが宿っていたのだ。
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