富羅鳥城の陰謀

薔薇美

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隠し文

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 一方、錦庵では、

 我蛇丸、ハト、シメの三人が一時いっとき(約二時間)余りも首っ引きで雁右衛門のふみとにらめっこしていた。

「う~ん、雁右衛門殿の隠し文ではないかと思うたんぢゃがのう」

「それらしい隠し文字はどこにも見当たらん」

「おう、どこからどう読んでも若君様に出生の秘密を明かしただけの内容ぢゃわ」

 いずれの忍びの一族にも仲間しか分からぬ隠し文字があるが、富羅鳥にも富羅鳥の忍びの者にしか解読の出来ぬ隠し文字があるのだ。

「あっ、あぶり出しかも知れん」

 もしやとハトはふみを火鉢であぶってみた。

 炙り出しとは植物の汁で文字を書いて乾くと文字が見えなくなるが火に炙ると文字が茶色く変色して現れるという忍びのわらしが遊びでやるような隠し文の初歩の初歩である。

 果たして、

「おおっ、文字が現れたぞっ」

 ふみの紙面いっぱいに茶色く文字が浮かび上がった。

「いったい、何とっ?」

 三人は互いの頭をぶつけんばかりにガバッと紙面を覗き込む。

『沈黙は金』と誰にでも読める当たり前の文字で書かれてあった。

「おちょくっとるんかあっ、あのじじいはあっ」

 グシャ、
 ベシッ。

 シメは短気にふみを丸めて壁に叩き付けた。

「まあまあ、落ち着かんか」

 ハトがなだめる。

「結局、雁右衛門殿は沈黙を通すということか」

 我蛇丸は渋面した。

 わざわざ屑拾いから文を取り戻して無駄骨折りか。

「富羅鳥山で雁右衛門殿は若君宛てにすべてをつまびらかにしたというふみをチラッと見せたんぢゃが、この文とは別のものぢゃったのか、それとも雁右衛門殿のデマカセか――」

「てっきり、鷹也様に毒を盛った真の罪人の名を書き残してくれたものと思うたんぢゃがのう」

「やはり、雁右衛門殿はその人物をかばい立てしておるんぢゃろうか」

 そうだとすれば真の罪人はよほど雁右衛門にとって大切な人物であり、雁右衛門は口を閉ざしたまま墓場まで持っていくつもりなのかも知れない。

「だいたい雁右衛門殿はホントに背中に矢が刺さったまま無事なんぢゃろうか?」

「おう、このふみぢゃって富羅鳥山へ入る前に富羅鳥の宿場で早飛脚に出しといてくれと預けただけかも知れん」

「ううむ、雁五右衛門殿が無事だという確たる証拠もないのう」

 すでに十四年前から雁右衛門の無実を信じる富羅鳥の忍びの者は雁右衛門が真の罪人を庇い、みずからが罪を被って行方をくらましたのだと推測していた。

 そもそもの発端である鷹也の死の真相から明らかにしなくてはならない。

 秘宝の『金鳥』が戻っただけで解決とはいかぬのだ。

「はあぁ」

 我蛇丸、ハト、シメは揃って肩を落として嘆息する。

 いかんせん十四年前だとハトは十歳、シメは九歳、我蛇丸は五歳である。

 だが、まだわらしではあったがわらしながらに富羅鳥城には鷹也を殺めるような人物はいなかったとしか思えぬのだ。


「ところで、肝心の若君は雁右衛門殿のふみを読んでも芝居の筋書きなんぞと思うとるとは面倒ぢゃのう」

「まあ、無理もない。雁右衛門殿は大名家の重臣どころか武士とも思えん剽軽者ひょうきんもの。まるで根っからの芸人ぢゃわ」

「ちゃんと改めて話さなくてはなるまい。若君にも、サギにも――」

 我蛇丸の心はドンヨリと重く沈む。

「ああっ、サギの奴めが自分が富羅鳥藩のお殿様の御子などと知った日にゃ、その日を境にわし等はサギの家来ぢゃわっ。ああっ、サギは鬼の首を取ったようにわし等に大威張りするに決まっとるっ。考えただけでたまらんわっ」

 シメはムシャクシャと頭を掻きむしった。

 銀杏返しに結った髪が乱れて鬼の角があらわになる。

「まあ、あんなこと言うとるがホントは寂しいだけぢゃ――」

 ハトは素直に悲しげにうなだれた。

「……」

 我蛇丸はただ黙り込んでいた。

 シメとハトの気持ちは誰よりも分かっている。

 サギが産まれた時から三人で子守りしてきたのだ。

 出来ることなら話さずにいたい。

 サギと主従関係になるのは耐えられない。

 今のままがいい。

 それで、ずっと先伸ばしにしてきたのだ。

 
 だが、しかし、

 我蛇丸が話さずとも、当のサギは第三者から自分の生い立ちを聞かされることになる。


 同じ頃、

「ぐひ、ぐひ、泣き過ぎて腹ペコぢゃあ」

 ひとしきり泣いたサギはまた腹減りになった。

 笑っても、泣いても、すぐに減る腹なのだ。

「菓子がいっぱい残ってるだろう」

 熊蜂姐さんがポンポンと手を打つと、女中が菓子を盛ったお膳を運んできた。

「うわぃ、まだ食べとらんかった菓子ぢゃっ」

 サギはまず金沢丹後の花のように綺麗な有平糖から口に放り込んだ。

「んくぅ~、美味いのう」

 さすがに将軍家に納める御用菓子司の有平糖はそこいらの行商の飴売りの飴とは大違いの上品な味である。

 駄菓子も食べてこそ上菓子の美味さが分かるというものだ。

「そんな菓子なんざいつでも腐るほど貰うんだから、いつでも食べに来たらいいさ。あたしゃ江戸中のどこの菓子ももう飽き飽き――」

 熊蜂姐さんは手酌で酒を飲み出した。

「そーいや、熊蜂姐さんは錦庵が富羅鳥の忍びぢゃとよう知っとったのう?富羅鳥は熊蜂姐さんが猫魔ぢゃなんてちいとも知らなんぢゃよ」

 サギは感心しただけでその理由を深く考えなかった。

 よもや身内に富羅鳥の情報を猫魔に流している間者かんじゃがいようとは考えもしなかった。

「ほほ、そりゃ、あたしゃ富羅鳥のことはなんだって、お見通しなのさ。なんせ、サギ、お前も知らないお前のことまで知っているんだから」

 熊蜂姐さんは秘密を明かすのがたのしそうに目を細めてサギを見つめる。

「わしも知らんわしのこと?」

 サギはなぞなぞのような言葉にキョトンとして熊蜂姐さんを見返した。
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