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好機逸すべからず
しおりを挟む「まあっ、とうとう仕上がったんだわなあ。縞模様も綺麗で申し分ない出来映えだわなあ」
茶の間でお葉はしげしげと満足げにおめかしの菓子を眺めて、
「そうそう、たしか、黒漆塗りに金蒔絵の秋の七草の重箱があったわなあ?」
たぬき会への手土産に持っていくのに最適な上等の重箱があったことを思い出した。
「へえ、虫干しの折りに桐箱から出して風通しして、また土蔵の穴蔵に仕舞ってござります」
乳母のおタネが答える。
「あの重箱にこの菓子を入れたところが見てみたいわなあ。ちょいと出してきておくれ」
お葉は帯に提げた鈴の根付けをチリンッと引っ張り出す。
根付けの先には真鍮のどっしりと重厚な鍵が付けてある。
お葉は土蔵の鍵を後生大事に肌身離さず持っているのだ。
商家にとっては火事で店屋敷は丸焼けになろうとも土蔵さえ守ればいいというくらい土蔵の中身は一財産であった。
「へえ、たしかにお預かり致しまする」
おタネは丁重に土蔵の鍵を目八分に掲げて受け取り、茶の間の縁側から裏庭へ下りていった。
「あ、そうだ。なあ?穴蔵にはお宝がたんと仕舞ってあるんだろう?」
やにわに実之介が身を乗り出す。
先に母のお葉が穴蔵にはお爺っさんが長崎で手に入れたお宝が山ほど仕舞ってあると言っていたのを思い出したのだ。
「あ、そうだわな。ちょいと見てみたいわな?」
お花は南蛮渡来の美しい細工物に興味津々だ。
「そいぢゃ、お前達も穴蔵に他にも菓子に合いそうな器があるか探しておくれ」
「わあいっ」
母のお許しが出たので実之介とお枝は大はしゃぎで乳母のおタネを追って裏庭へ走っていく。
「なんぢゃもお、重箱に菓子を入れたところを見るまでは食べたらいかんのかあ?」
サギはおめかしの菓子を食い入るように睨んでジレジレとした。
金蒔絵の重箱などこれっぽっちも興味はない。
「うちの熟練の菓子職人がこしらえた菓子だえ。味見をせんでも美味しいに決まっておるわなあ」
お葉はあくまでも菓子と器との調和、見た目の美しさにこだわるのだ。
「ほらあ、サギも一緒にお出でったら」
お花は無理くりサギを裏庭へ引っ張っていく。
その時、
(――おや?何だろうの?)
店の帳場でホケ~ッとだらしなく頬杖を突いていた草之介は弟妹の賑やかな声を聞き付けた。
「おっ?」
店の裏口から裏庭を見やると、乳母のおタネが土蔵の錠前を鍵でガチャガチャと開けているではないか。
お花、実之介、お枝、サギまでも後ろにくっ付いている。
「おタネ?土蔵から何を出すんだい?」
草之介はずっと穴蔵のお宝を持ち出す機会を狙っていたので『好機逸すべからず』とばかりにバタバタと裏庭へ走り出た。
「へえ、奥様のお言い付けで金蒔絵の秋の七草の重箱を――」
おタネは蝋燭を灯した燭台を掲げた。
「ふうん、穴蔵に仕舞ってある重箱を出してくるだけなら、わしが行こう。穴蔵は暗いし、梯子段は危ないからな」
草之介はいかにも乳母のおタネを気遣うかのように言った。
薙刀で鍛えているおタネには梯子段など屁でもないのだが、
「へえ、それでは」
おタネはわざわざ穴蔵になんぞ入りたくもないので有り難く草之介に任せた。
ギギイ。
草之介が土蔵の重たい漆喰塗りの両開き扉を開く。
ガララ、
ガタン。
土蔵の扉は三重構造なので、さらに金網戸、厚板に漆喰塗りの引き戸を開ける。
「うわあ、カビ臭いぞ」
実之介はいの一番に土蔵へ走り込んで明かり取りに漆喰塗りの窓を開け放った。
土蔵の中は開けた扉と窓から射し込む日差しで一気にパアッと明るくなる。
日差しに埃が白く靄のようにキラキラと光って舞い上がり、なんとはなしに幽玄な雰囲気も漂うようだ。
「穴蔵はこの床下だなっ」
草之介はキュッと手拭いで鉢巻きし、着物を尻はしょりし、たすき掛けまでして、普段のなまくらはどこへやら、やる気満々、テキパキ動き廻って四枚もある重たい漆喰塗りの床板を外していった。
床板を外した半間ほどの開口から中を見下ろすと、梯子段になっている。
「わしが先に灯りを持って入ろう」
草之介は蝋燭で中を照らしながら梯子段を下りていった。
穴蔵は八畳ほどの広さで梯子段のある壁以外の三面の壁が作り付けの棚で様々な大きさの桐箱がぎっしり隙間なく並んでいる。
金屏風も畳んだものが三帖も壁際に立て掛けてある。
金ピカの黄金の観音像まである。
棚に予備の燭台が置いてあり、草之介は次々と三方の燭台に蝋燭の火を移した。
穴蔵の開口が広く土蔵の窓からの日差しも届くので、まずまずの明るさだ。
「これでなんとか探せそうだな」
草之介はにんまりと棚に並んだ桐箱を見渡した。
ざっと見ても百個以上はあろうか。
この中から二つ三つばかり箱を持ち出したところで気付かれることはあるまい。
「わあい」
実之介が梯子段を下りて穴蔵へ入ってきた。
「わあっ」
お枝も梯子段くらいは楽々と下りた。
三人も下りてしまったら穴蔵の中はもう狭い。
「なあ?あたしゃ上で見るから桐箱をこっちへ寄越しとくれな」
お花は梯子段の開口から穴蔵を覗き込んで言った。
「カビ臭いのう。わしゃ臭いところはイヤぢゃ」
サギは手でパタパタと扇いで顔をしかめた。
金屏風だろうが観音像だろうがサギには興味ないものばかりだ。
(おお?これは南蛮渡来のものか?)
草之介がそれらしき小さな革張りの箱を開けると、中身は透かし細工の見事な銀の小物入れ、次に平たい革張りの箱を開けると、柄に浮き彫りのある銀の匙の五本揃いである。
(これは高価そうな)
草之介はこっそり持ち出すのに手頃な銀製品を見つけてホクホクと懐へ隠した。
「ええと、いっぱいあるなあ。金蒔絵の秋の七草のはどれかなあ?」
実之介は桐箱に貼られた紙に書かれた文字を確かめて重箱と記してある桐箱を五箱も重ねて抱えて梯子段を上がった。
「う~ん?これ?」
お枝はまだ漢字を知らぬので、適当に重箱くらいの大きさの桐箱を次々と開けてみる。
「――あれ?」
棚の奥の桐箱の中に紫色の風呂敷包みを見つけた。
風呂敷を開くと、ちょうど菓子が五つ入るくらいの大きさの黒漆塗りに銀蒔絵の箱だ。
お枝は銀蒔絵の模様を蝋燭の火に翳して見た。
「わあ、きれいっ」
銀蒔絵は灯りを映して、ヒュルリと怪しげな光彩を放った。
「それは化粧箱?お枝、こっちに持ってきて見せて」
「うんっ」
お花に言われて、お枝は紫色の風呂敷包みを持って梯子段を上がった。
「ほら、ぎんのとりだわな」
お枝は銀蒔絵の模様を見せた。
「わあっ、こんな綺麗な蒔絵は見たことないわな」
常日頃から上等な品を見慣れているお花が見ても、それは他を圧倒する神秘的な光彩を放った銀蒔絵であった。
「――うん?」
サギは何の気なしにお花の頭越しに銀蒔絵を見て、ハッとした。
(あれとそっくり同じ模様の金蒔絵の玉手箱を見たことがあるぞ)
それは『金鳥』の玉手箱であった。
ならば、
この銀蒔絵は――、
(――ぎっ、『銀鳥』の玉手箱ぢゃあっ)
サギがそう気付いた時にはお枝はもう玉手箱の紐を解いて蓋を開けようとしていた。
「ま、待ていっ。開けちゃいかーんっ」
サギは咄嗟に猿がカバッと飛び掛かるようにお枝の膝の上の玉手箱を取ろうとする。
だが、
「ひゃあっ?」
こともあろうに、ビックリしたお枝はサギから身を躱し、その拍子に玉手箱を穴蔵へ落としてしまった。
カンッ、
カラーーーン!!
玉手箱は梯子段を跳ね返って穴蔵の床へ落ちた。
「うわあっ、息を止めろっ。外へ出るんぢゃっ」
サギはお花、実之介、お枝をまとめて体当たりして土蔵の外へ思いっ切り突き飛ばした。
「わああっ?」
あまりの勢いに四人は団子のようにゴロンゴロンともんどり打って裏庭へ転がった。
その刹那、
「うわあああぁぁぁああああっ」
穴蔵の中から草之介の絶叫が響いた。
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