富羅鳥城の陰謀

薔薇美

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草を打って蛇を驚かす

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 その昼時。

「あれ、そいぢゃ、サギはもうあねさん達に逢うたのかえ?」

 お花は乳母のおタネから武家娘二人が桔梗屋に身を寄せることになったと聞いてソワソワしていた。

「おう、逢うた、逢うた。わしゃ、武家娘を見たのは今日が初めてぢゃ」

 サギは太巻き寿司にあんぐりとかぶり付く。

 丸かぶりしたいので切らずに一本をそのまま出して貰ったのだ。

「手習い所へ行ったなら昼八つには帰ってくるわな」

 お花は切り分けた太巻き寿司一切れを箸に取った。

 当然ながら具にはカスティラの耳の細切りも入っている。

 お花が長唄の稽古から帰ってきた時には武家娘二人はもう手習い所へ行っていたので、オヤツ時に初めて顔を合わせる従姉いとこに興味津々である。

 とりわけ美根が親の決めた縁談を拒んで家出したのだと聞いて、まるで芝居でも見るようにワクワクしていた。

 桔梗屋は家族も奉公人もみな物見高いので武家娘を大歓迎している。

 ただ、一人を除いては――。


「――ええっ?あの観音像を?あ、あれは三千両は下らぬ黄金の観音像だというのに?」

 草之介は母のお葉があっけらかんと黄金の観音像を手放したと言うのを聞いて唖然とした。

「そうは言うても、わしゃ、あんな手のいっぱい生えた観音像は気色悪うて好かんわなあ」

 お葉はあくまで見た目が肝心で黄金の価値など意に介さない。

「そ、そりゃあ、千手観音なのだから――」

 この天衣無縫の母には何を言っても無駄だと草之介は口の中でムニャムニャとぼやくしかない。

 いよいよとなれば黄金の観音像を売り払って年の瀬の支払いの金を工面しようと思っていたのだが、もう今さら手遅れだ。

「あの観音像は穴蔵の片付けをするのにもかさばって邪魔だとおタネもおクキも難儀しておったから無うなってスッキリしたわなあ」

 黄金の観音像は樹三郎が金煙の密売でボロ儲けした金で衝動買いしたものなのでお葉には何の思い入れもない。

 穴蔵のお宝といえば先代の弁十郎が集めた品々で、それは決して売り払うことはない大事な父の形見なのだ。

(それだから、おっ母さんの承諾を得て売り払えるのは黄金の観音像だけだったというのに――)

 草之介が穴蔵から大事な舶来の銀製品を持ち出そうとしたことはお葉にバレてしまったので、もう二度と盗人ぬすっとの真似事は出来やしない。

(ああ、金がないというのに――)

 しかも、サギだけでも五人前は食べるのに武家娘を二人も置いては桔梗屋にまた食い扶持が増えてしまうではないか。

 今までさんざん無駄遣いしてきた放蕩息子の自分が母の人助けにどうこう文句が言える立場ではないが、

(あああ――)

 草之介は年の瀬の支払いのことを思うと、冷や汗が出て鳩尾みぞおちのあたりがキリキリと痛んだ。

「どうしたえ?ちっとも箸が進まんわなあ?」

 お葉は重箱の太巻き寿司を見やった。

(――ああ、どうしたものか――)

 草之介は食欲もたちまち失せて箸を持ったまま手が止まっていたが、

(――そ、そうだ…っ)
 
 ハタとあることを思い立った。

「おっ母さん、わしゃ錦庵の蕎麦なら食べられるかも知れんのだが――」

 太巻き寿司は大好物だが、敢えて錦庵の蕎麦を催促する。

「それなら出前を頼もうかえ。蕎麦なら太巻き寿司とも合うしなあ」

 お葉は肥えた草之介でも食が進まねば心配とみえて、さっそく出前を言付けに階下したへ下りていった。

 ほどなくして、

 草之介が二階の窓の障子から裏庭を覗いていると、早々と小僧の千吉が台所の水口から出てきた。

 いつも錦庵へ出前を頼みに行くのは千吉と決まっている。

「――千吉どん、千吉どん」

 草之介は片目で覗き見えるだけ細く開いた障子から千吉を呼び止める。

「あっ、若旦那様?」

 千吉はビックリと二階の窓を見上げた。

「これを錦庵の我蛇丸さんへ渡しとくれ」

 草之介は結び文を障子の隙間から千吉に投げ渡す。

「へえ、たしかにお預かり致しぁした」

 千吉は結び文をしっかと受け取って裏庭を走り出ていった。


「――ほお?わしに若旦那様から?たしか、風邪でずっと臥せっておいでとか」

 我蛇丸は千吉から渡された結び文を開いた。

 相変わらずミミズがのた打ち廻ったような文字だ。

 しかし、忍びの習いで手本のような達筆に限らずミミズがのた打ち廻ったような悪筆でも真似る鍛練をしているので読むことも出来る。

「へえ、障子の隙間からチラッと見えただけでござりますが若旦那様は瞼が腫れぼったく浮腫んでおられたような――」

 千吉は草之介の風邪の具合がよっぽど悪いせいだとばかり思った。

「まあ、蕎麦を召し上がれるなら心配ないぢゃろうの」

 我蛇丸は手早く蕎麦をこしらえて、桔梗屋へ出前を持っていった。


「のう?ふみといえば、我蛇丸は児雷也宛ての文はまだ書けんのぢゃろうかえ?」

「さあ?夕べも文机に向かって頭を抱えておったようぢゃがのう」

 シメとハトは何をそんなに我蛇丸はふみごときを書くのに手こずるのかと首を捻った。


「――若旦那様?錦庵にござります。手前にご用とは?」

 桔梗屋へ出前を持ってきた我蛇丸は二階の草之介の部屋をこっそりと訪ねた。

 草之介はふみに我蛇丸に折り入って大事な話があるので、こっそりと部屋へ来て欲しいというむねを記したのだ。

「どうぞ、お入り下され」

 草之介はきちんと座敷に座っている。

「では、失礼をば――」

 我蛇丸は襖をスッと開いてギョッとした。

「――そ、その姿は?まさか――」

 目前の四十歳ほどの肥えた姿は細身で美男の草之介とはまるで別人である。

 いったい草之介は我蛇丸にどんな話があるというのか。
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