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酒盛って尻踏まれる
しおりを挟む「――も、もし?」
児雷也はうつ伏せに倒れた虎也に近寄って肩を揺さぶる。
「あっ?虎也がいきなり倒れたぞっ。どうしたんぢゃっ?」
サギは裏長屋の二階の窓からパッと庭木の枝に飛び移り、茶屋の二階の窓へ飛び込んだ。
「――わっ?何故、そのようなところから?」
児雷也は出し抜けに南側の窓からサギが飛び込んできたのでビックリと窓の外へ振り返り、
「こ、虹児――っ」
裏長屋の二階の窓からこちらを睨んでいる坊主頭に気付いて苦虫を噛み潰したような顔をした。
「むうん、この膳が怪しいのう?」
「うむ、怪しい」
サギと坊主頭は顔を見合わせて頷き合うと虎也の膳を調べ出した。
坊主頭は普通に茶屋の裏庭から中へ入って二階まで上がってきたのだ。
「この酒のニオイは錦庵のと同じ男山ぢゃな」
「こりゃ、上等の酒だ」
二人して額を突き合わせてヒコヒコと銚子の中身のニオイを嗅ぐ。
すっかり意気投合しているようではないか。
「わしも同じ銚子の酒を飲んで何ともないのだから、ただ酒に弱いだけではないのか?」
児雷也はすこぶる不機嫌そうだ。
坊主頭がしつっこく怪しいと忠告したのに聞く耳を持たず、まんまと偽の文に騙されて茶屋までのこのこと来てしまったので面目丸潰れなのであろう。
「これぢゃっ」
サギはヒコヒコと嗅いで虎也の膳の松茸の炭火焼きの残りを指した。
「松茸の炭火焼きが?」
児雷也も坊主頭もどこが怪しいのかと不可解そうに松茸の炭火焼きを見やる。
「これは松茸ではない。ようく似とるが眠り茸というキノコぢゃ。一口でも食べると小半時(約三十分)も経たずにコテッと眠りに落ちてしまうんぢゃ」
一見してまったく松茸と見分けが付かない。
「――眠り茸?」
児雷也も坊主頭もそんなキノコは聞いたこともないという顔をする。
それもそのはず、この眠り茸は富羅鳥山の隠れ里で婆様のお鴇が発見し、眠り茸と名付けたキノコなのである。
それまで、富羅鳥山のほとんどの者が松茸とばかり思い込み、たらふく食べて腹が膨れたら眠たくなったくらいに考えて睡眠作用のあるキノコとは知らぬまま食べ続けていたのだ。
「うん。やはり、児雷也が食うたほうは本物の松茸ぢゃ」
サギはヒコヒコと嗅ぎ比べて、香りの微妙な違いで判定を下した。
「それでは、膳をすり変えなんだら児雷也が眠り茸でこのように眠らされておったという訳か?」
坊主頭は憎々しげに虎也の尻をグリグリと足の踵で踏み付ける。
「ぐかぁぅ」
眠り茸はよほど効力があるらしく虎也は大男に尻をしこたま踏み付けられても高イビキで目を覚ます様子もない。
「うぬぅ、さては、児雷也を眠らせて、かどわかし、どこぞへ連れ込んで、己れの欲望の限りを尽くさんと企んだのだな。この下衆めはっ」
坊主頭は自分の想像にいきり立ち、また憎々しげに虎也の尻をグリグリと踏み付ける。
評判の美貌の若き花形芸人である児雷也をそういう若衆趣味の不埒者から守るのが坊主頭の大男の役目なのだ。
「あっ、そりゃ男色ぢゃなっ。わしゃ男色の春画ぢゃって見たから知っとるんぢゃっ」
サギは鼻高々と胸を張った。
「……?」
児雷也と坊主頭はサギが何で男色の春画を見たことで鬼の首を取ったように得意げなのかさっぱり分からなかったが、
「へへん、何枚も見たんぢゃからなっ」
サギはすごい春画を見たのだから自分はすごいのだと思っているのだ。
「ともかく、コヤツはこのまま簀巻きにして川へ投げ込んでやろう」
坊主頭はまだ憎々しげに虎也の尻をグリグリと踏み付ける。
「いや、待て。まずは偽の文でわしを茶屋へ呼び出した企ての発端を白状させよう。川へ投げ込むのはそれからだ」
児雷也は坊主頭と違って虎也が若衆趣味の色欲から企てたことだとは思っていない。
相手のよこしまな下心に気付かぬほど鈍感ではないのだ。
さて、虎也の吟味(取り調べ)をどこでするかだが、
「むうん、錦庵しかないかのう」
サギは自分を除け者にした我蛇丸などをこの一件に混ぜてやるのは不本意だが、他に適当な場所がないので仕方ない。
ひとまず虎也が酒に酔い潰れてしまったという体で坊主頭に背負わせて錦庵まで運ぶことにした。
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