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夢の世や夢の夜や
しおりを挟む「ちょいと、我蛇丸」
「ええ、お待ちったら」
富羅鳥の一行が芳町の扇屋と小間物屋の間の路地から通りへ抜け掛けると、お虎とお三毛が後ろから追い掛けてきた。
「何ぢゃ?いくら言っても『アレ』はやらんぞ」
我蛇丸は煩そうに眉根を寄せて振り返る。
「ああ、それはいいよ。それより、せっかく来たんだからさ、芳町で遊んでおいきよ」
「そうだよ。お前は猫魔の頭領になったんだ。この芳町で方々の茶屋へ顔を繋いでおく良い折ぢゃないか」
お虎とお三毛は狭い路地を通せんぼするように我蛇丸の前に立ち塞がった。
「いや、わしは茶屋遊びなんぞ興味ないんぢゃ」
我蛇丸は素っ気なく答えて二人を押し退けるように前へ進もうとするが、
「お待ちと言ったらお待ちっ」
お虎がピシャリと厳しい声で引き留めた。
さすがに見た目二十歳でも実年齢三十六歳の貫禄は隠せやしない。
「それだから、お前は駄目なのさ。伯母として老婆心で言わせてもらうけど――」
「やっ、姉さん、老婆なんて。ああ、口にしただけで老けそう」
「うるさいね、お前はっ」
お虎は話の腰を折ったお三毛をジロッと睨み付け、
「――我蛇丸?お前が富羅鳥の田舎から江戸へ出てきて、かれこれ三年、錦庵の調理場で蕎麦を打ったり、茹でたり、そりゃあ、蕎麦屋としての腕は上がったかもしれない。けど、忍びとしてはどうなんだえ?」
改まって我蛇丸に問いただした。
「――え?」
我蛇丸は思わずお虎の顔を見返す。
お虎の目は真剣そのものだ。
「我蛇丸、お前は世の中をまるで知っちゃいないだろ?もちっと外へ出て、人付き合いして、世間の荒波に揉まれてみなきゃいけないよ。茶屋遊びだって忍びの修行のうちさね」
「そうさ、うちの小梅をご覧よ。忍びでもないし、まだ十五の小娘だけど、十四からお座敷へ出てさ、父親みたいな年齢の旦那衆を手玉に取って、虎也なんぞよりもずっと大人で性根が据わってるよ」
「そう。そして、我蛇丸、お前なんぞ、うちの虎也よりもまだ世間知らずの赤子も同然ってことさ」
「あたし等は母親のお玉姉さんに代わってお前を心配するから言うのさ」
やにわにお虎もお三毛も甥っ子に対する親身な態度を見せる。
「――世間の荒波――」
我蛇丸は口の中でポツリと呟いた。
自分の世間知らずは前々から自認していた。
富羅鳥山の忍びの隠れ里から江戸の日本橋へ出てきて三年の間、蕎麦屋の仕事より他はこれといって何もしてこなかった。
かえって真面目に蕎麦屋の仕事に精を出し過ぎたばかりに錦庵の蕎麦は美味しいと評判になって肝心の忍びの諜報活動が疎かになってしまったのだ。
まだ江戸へ来てから一月余りのサギのほうがよっぽど方々へ出歩いては様々な人々と知り合っているではないか。
自分など、日がな一日、錦庵の調理場に立っているだけで、身内のシメ、ハト、文次の他に口を利く相手もいない。
今のまま人見知りの無愛想の口下手では、忍びとして以前に一人の男として、先行き心許ない。
江戸城に出仕している忍びの猫にゃん影よりも世間が狭いのだ。
『世間知らずの赤子も同然』と言われたのがズキンと胸に応えた。
「――」
我蛇丸は項垂れて臍を噛む思いであった。
「う~む、確かに。お虎姐さんとお三毛姐さんの言うとおりぢゃ」
背後で聞いていた文次が腕組みして頷くと、シメとハトも「まったく」「そのとおりぢゃ」と大きく頷く。
「我蛇丸、わし等は帰るから、お前は茶屋へ連れていってもらえ」
「そうぢゃ。これも大事な修行ぢゃ」
「しっかりな」
そう励ますように言うと文次、シメ、ハト(背中に赤子の雉丸)は我蛇丸を一人残して芳町の通りを去っていった。
「さてと、そうと決まれば、この恵比寿にしようかえ」
「ああ、近いからいいね。さあさあ」
お虎とお三毛はウキウキと弾んで、蜜乃家の裏長屋を挟んで背中合わせに建つ待合い茶屋『恵比寿』の戸口に我蛇丸の背を押しながら入っていった。
どうせ芳町のこの一角は料理茶屋の『大亀屋』、陰間茶屋の『大黒屋』、待合い茶屋の『恵比寿』『弁天屋』と玄武一家が営んでいる店ばかりだ。
(はて、しかし、茶屋遊びって何をするんぢゃろう?)
我蛇丸は何が潜んでいるのかも分からぬ、底の見えぬ泥沼にでも足を踏み入れるような不安を覚えた。
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