交換殺人って難しい

流々(るる)

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第十八話 実行

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 僕が先にやる、とは最後まで言えずにあやふやなまま、来週金曜日の同じ時間に約束をしてミキと別れた。

 でも彼女の言うとおり、もし先にミキが佐々部長を殺したら、僕にあのお爺さんを殺せるだろうか。悪人を裁く闇のヒーローみたいな気分でいるあいだはいいけれど、怖気おじけづいてしまうかもしれない。
 気持ちがぶれないよう、早くやるしかない。

 給湯室でマグカップを見つめながら悩んでいるところを藤崎君に見られてしまった。

「山瀬さん、とうとう決めたんですね」
(何を言ってるんだ、君は)

 僕とミキの間で決めたことを彼が知っているはずはない。ましてや、いま僕が決心したことの何が分かるというんだ。
 彼の言葉の意味が分からず黙っていると、さらに続けた。

「僕は山瀬さんのことを応援してますよ」

 そう言うと笑顔を浮かべた。眼鏡の奥で彼の目が僕をじっと見ている。
 やっぱり藤崎君のことは苦手だ。



 翌週の水曜日も半休を取り、僕はふじみ台へと向かった。
 佐々部長には歯の治療に通っていると言ってある。

 念のため、囲碁教室へ行くところも確認しようとスーツ姿のままショルダーバッグを持って四時過ぎに家を出た。
 電車の乗り換えもスムーズでちょうど五時ごろにふじみ台駅へ到着。ズンさんがコンビニのバイトへ行く頃かもしれないので、会わないように注意しながら商店街を歩く。
 もう相手の顔も分かっているから、鳥居が見える喫茶店を見つけてそこでお爺さんがやって来るのを待った。
 やはり六時前には臼井老人が石段を下りてきた。
 すぐに喫茶店を出て後をつける。「ふじみ台囲碁クラブ」のビルへ入ったことも確認した。
 ここまでは予定通りだ。

 八時過ぎまで時間をつぶすために北口へ回った。
 緊張しているせいか、お腹も減らない。
 コーヒーチェーン店のカフェオレ一杯で二時間粘った。
 下見のときに見つけておいた公園に行って、身障者トイレで着替えをする。
 黒いトレーニングウエアの上下に黒いキャップ。薄手の手袋もこの日のために買っておいた。
 夜のジョギングをしている風に見せるため、スニーカーも持ってきている。

 駅のコインロッカーへ荷物を預け、神社へと向かった。
 商店街も下見の時と同様に、ほとんどの店が明かりを消している。
 左にゆるくカーブする坂道を上っていけば鳥居が見えてきた。
 石段の下に立って、あらためて上へと目を向ける。この高さから転がり落ちたなら無事ではいられないだろう。
 ゆっくりと一段ずつ上っていく間も、緊張からか目が回る感じがしていた。

 石段を上り終わり、境内をぐるっと見わたした。
 社務所にも人が残っている気配はない。
 年月を感じさせる社殿には賽銭箱の両脇に提灯型の明かりが掲げられていた。
 うっそうとした木々に囲まれ、夜の闇のなか石畳だけをほのかに照らしている。

 もうすぐ九時になる。

 そう言えば明後日は一ヶ月に二度目の満月をさすブルームーンだとか。昨日のニュースで見た気がする。
 ということは今日は十三夜か。
 見上げた夜空は雲に覆われていて、星どころか月がどこにいるのかさえもわからない。
 近くには外灯もないし、これなら万が一の時も顔を見られる心配はないだろう。 
 こんなに曇っているのに天気予報では市の西部に雨が降る確率はゼロパーセントだった。

 なんだかあまり関係のないことばかりが頭に浮かんでくる。
 口の中は乾ききっていた。

 とにかく、ここまでいい条件がそろったんだ。迷ってなんかいられない。今夜やるしかない。
 ミキのためにも、僕のためにも。
 非道な悪い奴には消えてもらって、僕たちの手に自由を取り戻すんだ。

 そろそろあのお爺さんがやって来る時間だ。
 大丈夫、僕にでもできる。
 きっとうまくいく。


 石畳に沿って植えられた茂みに隠れながら、五十三段もある石段を上ってくるはずのお爺さんを待っていた。
 相手は僕の顔なんか知らない。
 近づいて行ったって警戒なんかしないだろう。いや、待てよ、知らないやつだからこそ身構えるかもしれない。
 思い切って声を掛けた方が良いかもしれないな。
 道に迷ったふりをして駅へ行く道を尋ねれば、きっと立ち止まって階段の方を向いてくれる。
 そこを――。
 頭の中でシミュレーションを重ねているうちに、石段を上ってくる足音が聞こえてきた。手袋に汗がにじむ。

(ヤバい!)

 この時になって重大なミスに気がついた。 
 ここからだと上ってくるのが誰なのか確認できない。
 わざわざ出て行って石段の上から覗き込むのも不自然だし。
 どうやって相手を確かめるか。そこまで考えていなかった自分を責めた。
 どうしよう。早く考えないとここまで上がって来ちゃうよ。

 水曜日、この時間。
 あれだけお爺さんの行動を下調べしたんだから間違いない――はずなんだけれど。
 こうなってみると月明かりでもあれば、顔を確かめられたのに。さっきは月を隠してくれた雲に感謝していたのに、今は恨み言をぶつけたい。
 まずお爺さんで間違いない。
 でももしも人違いだったら……だめだめ、そんなことは絶対ダメ。ありえない。
 それじゃ、通り魔殺人と同じになってしまう。
 おまけにあの男を殺してもらうこともできない。

 そうこうしている間に、ざっ、ざっと石段を踏む足音が大きくなってきた。
 どうすればいいんだ、僕は。早く決めなければ。

 暗がりの中に頭が見えてきた。でも暗くて顔までは分からない。
 ゆっくりとこちらへ上ってくる。
 お宮の明かりにおぼろげながら浮かび上がった人物は背が高く痩せた感じ。
 やっぱりお爺さんっぽいけどなぁ。
 顔がかげになっていて、眼鏡をかけているのかさえここからではよく見えない。
 僕がうだうだ迷っているあいだにお爺さんらしき人はお宮へと続く石畳まで上りきってしまった。
 手摺につかまり立ち止まって一息ついている。

 もう時間がない。決断しなきゃ。
 あの背格好、この時間帯。臼井老人に間違いない。
 お爺さんに恨みはないけれど、これもミキとの約束だから。
 僕を恨まず、あの世で自分がしてきたことを反省して。

 ここから飛び出して体当たりで突き落とす。
 行くなら今しかないっ!



 そうすればすべてが終わりになるはずだったのに……。
 立ち上がることすらできなくて、茂みのかげに隠れたままお爺さんが通り過ぎるのを見送った。
 お宮の脇を通ったときに照らされた顔は、やはり臼井老人だった。
 細い背中がどんどん小さくなっていく。


 交換殺人って難しい。
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