こちら百済菜市、武者小路 名探偵事務所

流々(るる)

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第一謎:誘拐から始めよう IQ130(全四話)

あらたな訪問者

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 え、えぇっ! まさかのフィアンセ⁉
 先輩、もてそうなのにまったく女性の影がないと思っていたら、もう相手がいたなんて。
 彼女いない歴八年になる僕と仲間だと信じていたのに。何かズルい気がする。

「いや、まぁ、ほら、昔からよくあるでしょ。親が決めた許婚いいなずけって」
「耕助さまはわたくしではご不満ですか?」
「いえいえ、そういうことではなくってですね……」

 先輩もいつもとは打って変わってあたふたしている。美咲さんのことを避けている様子でもないし、どうすればいいのか分からないって感じだな。
 仕方ない、助手としてフォローするか。

「最近は事務所への相談も多くて忙しかったんです。先輩も疲れていましたからね」
「いや、そんなに仕事は――」

 テーブルの下で先輩の足を軽く蹴飛ばす。

「痛いな、鈴木くん!」

 もう、この状況でまともに受け取っちゃうなんて、ほんと空気が読めないんだから、まったく。

「とにかく、仕事で忙しかったので連絡できなかっただけだと思いますよ。ねぇ、先輩?」
「う、うん、そうだね」

 やっと僕の目ヂカラに気付いたみたい。

「それにしても、こんな素敵な人がいるならそれとなく言っておいてくれればいいのに。水臭いですねぇ」
「別に隠してた訳じゃないんだよ」

 普通なら照れてごまかすだろうけれど、先輩なら素直に乗ってくるはずと思った通りだ。彼女も顔を上げる。

「美咲さんは二年前からイギリスへ留学していたんだ。鈴木くんがここへ来たときにはもう日本にいなかったから、紹介する機会も当然なかったし」
「そうだったんですか。向こうではやはり語学を?」

 先輩から紹介されて少しはにかんでいる美咲さんへ聞いてみた。

「いいえ。大学では『シャーロックホームズにおける仮説演繹法かせつえんえきほうの現代社会への応用』についてを研究テーマにしていたので、その実証と資料収集のために行っておりました」

 予想の斜め上から返ってきた答えに、思わず固まってしまった。
 それを察したのか、あわてて美咲さんが続ける。

「ミステリーオタクと言う訳ではありませんのよ。ただ、こういった知識があれば耕助さまのお役にも立てるのかと思って」

 上目遣いに先輩を見る彼女と、まんざらでもなさそうな先輩。
 なんだよ、これ。手間のかかる人たちだなぁ。
 それにしても美咲さんの先輩を思う気持ちは本物みたい。ちょっとうらやましい。
 やっと場の空気も和んだところに、再び事務所のドアをノックする音が響いた。
 僕と先輩は顔を見合わせて首を捻る。

「本当にお忙しいのですね」

 何も知らない美咲さんが心配そうに先輩へ声をかけた。
 席を立った僕がドアを開けると、立派な身なりをした初老の男性が取り乱した様子で入ってきた。

「先生、お願いです! 力を貸してください!」
「分かりました、お引き受けしましょう」
「えぇっ! 先輩、まだ何も聞いていないじゃないですか」

 あきれてしまい、まじまじと先輩の顔を見た。

「よく考えてごらんよ鈴木くん、簡単な推理だよ。この方は非常に焦っていらっしゃる。つまり一刻を争う重大事件というわけだ。私を先生と呼んで入ってきたということは、ここが名探偵事務所だと分かっている。決して部屋を間違えたわけではない。ならば私が引き受けずに誰がやるんだい?」
「さすが、看板に偽りのない名探偵だ。ありがとうございます」

 男性が深々とお辞儀をした。
 話を聞いていた美咲さんはすぅっと立ち上がり、先輩の隣のソファへ静かに移動する。そのとき、助手としての僕の地位が揺らぐのを感じた。

「で、ご用件は」

 先輩は美咲さんがたった今まで座っていたソファを男性に勧めた。

 男性はエムケー商事の専務をしている御子柴みこしばと名乗った。
 それを聞いて、思わず先輩を見やると目顔で抑えて軽くうなずく。美咲さんも小さく口を開けて右手を当てている。
 御子柴さんだって、ここが名探偵事務所だと分かった上でやって来ているということか。
 エムケー商事と言えば全国的な展開をしている総合商社だ。
 石油をはじめとした資源取引や都市開発、レストランのチェーン展開まで手掛けている企業の本社が、ここ百済菜市にある。
 当然のことながら、この街に住む多くの人々が何らかの形でエムケー商事の恩恵にあずかっていた。

「実は……。当社の会長が誘拐されました」
「えぇっ! 善之助大おじ様が⁉」

 美咲さんが思わず声をあげたのも無理はない。
 エムケー商事の創業者で現会長こそ先輩のおじい様、武者Musyano小路Kouji 善之助さんなのだ。
 御子柴さんの視線を受けて彼女は恥じ入るように頭を下げた。

「こちらは?」
「私の知人で豪徳寺美咲さんです。家族ぐるみのお付き合いをしているので祖父のこともよく知っています」

 そう聞いて御子柴さんも納得した表情を見せた。

「それでは探偵事務所の関係者としてお話させて頂きますので、くれぐれもご内密に」
「もちろんですわ」
「そんなことよりも、誘拐ならすぐ警察に連絡しないとマズいんじゃないですか」
「落ち着きなよ、鈴木くん。こんなに慌ててこの事務所へ来たということは、犯人から警察への通報を止められているのだろう」

 先輩にたしなめられ、立ち上がりかけた僕はもう一度腰を下ろした。

「おっしゃる通りです。警察へ通報したら会長の命はないと」
「そんな……」

 御子柴さんの言葉に美咲さんが両手を口に当てた。
 探偵たるもの常に冷静であるべきと教えられているけれど、自分の知っている人が事件に巻き込まれたとなるとそうもいかない。
 大事件が起きたらいいなんて少しでも願ったことを後悔した。

「それで、なぜ私の所へ」
「社長の指示です。耕助に任せておけば間違いはない、と」
「父がそんなことを……」

 先輩が照れくさそうに頭をかいた。こんな仕草をするなんて珍しい。
 すぐに表情を変えると身を乗り出して御子柴さんに顔を近づける。

「それで犯人からの要求は」
「こんなものが届きました」

 そう言うと、御子柴さんは封筒を差し出した。
 受け取った先輩が中から一枚の紙を取り出す。
 テーブルの上に広げた紙をみんなでのぞきこんだ。


 HではなくF 青龍 金閣寺 火星

 映画見てる子
 きみ白い甲
 野に咲く早苗
 叶う人心
 命の果ての
 最後は遠い
 月の瓦盃


「なんですか、これ。てっきり身代金要求かと思ったのに」
「ほんと、後半は詩のようですけれど意味が分かりませんわ」
「そうなんです。もう一枚には『会長を預かった。警察へ通報したら命は保証しない』としか書かれておらず、私たちも困ってしまって」

 僕と美咲さん、御子柴さんで眉をひそめている隣で、先輩は小さくため息をついた。

「先輩、この意味が分かるんですか」
「さすがの私でも見ただけじゃ分からないよ。でも、どうやら暗号のようだね」
「暗号、ですか?」

 もう一度、テーブルの上に置かれた紙を三人が覗き込んだ。
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