こちら百済菜市、武者小路 名探偵事務所

流々(るる)

文字の大きさ
28 / 42
第十三謎:走る僕たち 流れる汗もそのままに IQ90(一話完結)

逃げれば追う

しおりを挟む
「このカレー、美味しいですね」
「鈴木くんもそう思った?」

 僕が助手をしている探偵事務所の近くに新規オープンしたインド料理店へ昼食に来ていた。向かいに座っているのは僕の先輩、武者小路 耕助さん。我が武者小路 探偵事務所の所長をしている。その観察力やひらめきには舌を巻くけれど、素直過ぎる性格でめんどくさい一面もある。

「ただからいだけじゃなくって、クミンやコリアンダーの風味が生きてるよね。ガラムマサラも効いてるし。マトンも旨みとコクがある。ナンだって外側はパリッと、中はもっちり、ほんのり甘みもあってさ、美味しいよねぇ」

 はいはい。僕にはよく分かりません。ただ美味しいと感じただけですから。
 さすがに全国有数の商社であるエムケー商事の御曹司ともなれば、舌も肥えているんだな。

「この辺じゃ一番おいしいカレー屋さんかもしれませんね」
「それどころか百済菜くだらな市でも一、二を争うほどじゃないかな」

 僕たちが生まれ育った百済菜市は昔から菜の花栽培が盛んだった。春先にはあたり一面が黄色に染まる。そして数十年前に、かの国から伝わったとされる仏像が古寺から見つかり、市の文化財に指定されたことがきっかけでこの市名となった。
 今月に入ってからは仕事の依頼がなく、今日もゆったりとしたランチタイムを楽しんだ。

「事務所に帰ったら何をしようかなぁ」
「また謎解きの練習でもするかい?」
「いいですね。どうせ暇だし」
「だから鈴木くん、いつも言ってるよね。我々が暇だということは――」
「百済菜市が平和な証拠、ですよね」
「そういうことだよ」

 まさに平和な会話は突然の出来事で幕を閉じた。
 角を曲がったところで、犬を連れて散歩していたおばあさんと僕がぶつかってしまった。先輩へ目線が行っていたので前を見ていなかった僕の不注意だ。

「ごめんなさい。大丈夫――」
「ひぃやぁーっ!」

 僕が謝ろうとしていたのに、奇妙な叫び声でさえぎられた。先輩が固まっている。
 あちゃー、犬か。
 先輩は動物、とくに犬を苦手にしていた。小さなころに追いかけられて噛まれたことがトラウマになっているらしい。
 以前、犬の世話を頼まれた仕事のときは僕が代わりに泊まり込みで斜礼しゃれ町まで行ったっけ。あの時に世話をしたゴールデンレトリバーのポールは元気かな。
 なんて考えているうちに、先輩がとつぜん走り出した。

「あっ!」

 ぶつかった拍子なのか、先輩の大きな声に驚いたのか、おばあさんがリードを離していた。
 連れていたコーギー(あの胴長に短い脚、利口そうな顔は間違いない)が、先輩のあとをリードを引きずりながら追いかける。

「先輩、走っちゃダメ! 止まって‼」
「だって犬がぁー」

 いつもよりトーンの高い声が遠ざかっていく。
 もぉ、しょうがないなぁ。
 おばあさんにはここで待っててもらうように話して、一人と一匹を追いかけた。
 コーギーを気にして後ろを振り返りながら先輩は走っている。これならすぐに追いつける。コーギーも遊んでもらっているつもりなのか、スピードを合わせているようだ。
 百メートルほど走ったあたりでリードをうまくすくい上げた。

「先輩、もう大丈夫ですよ」

 声を掛けて徐々にスピードを落とす。
 立ち止まった先輩に追いつくと、コーギーは嬉しそうに見上げている。

「ほら、噛みついたりしないでしょ。遊んでもらえていると思って追いかけたんですよ」
「そんなこと言ったってさ、犬の気持ちなんてわからないし」

 辛い物を食べた後に走ったりしたから、おばあさんのところへ戻る頃には二人とも汗だくになっていた。
 おばあさんへコーギーを渡し、あらためてお詫びをして別れた。

 事務所が見えるところまで来るとビルの前に誰か立っている。紺色のベレー帽にピーコート、あの服装は豪徳寺 美咲さんだ。
 彼女は先輩のフィアンセで、イギリス留学を終えて帰国してからは毎日のように事務所へ顔を出している。ただ困ったことに、僕と先輩の仲を疑っていて――。

「またお二人だけでどちらへ行かれていたのですか? そんなに汗をかかれて」

 挨拶も抜きでいきなり疑惑の目を向けてきた。
 ビルに入り、階段を上りながら事情を二人で説明する。

「それは災難でしたわね。耕助さま、お怪我はありませんか」
「ええ、まぁ」

 さすがの先輩もバツが悪そうにしている。
 それをごまかそうとするつもりなのか、ソファに座ると手帳を開いて何やらメモし始めたかと思ったらすぐに顔を上げた。

「それじゃ問題。Aチームは汗、Bチームは血。はいはい、メモしないと分からなくなっちゃうよ」
「え、もう謎解きが始まったんですか?」
「また耕助さまが出題されるのですね。わたくしもチャレンジします」

 美咲さんはバッグから手帳を取り出した。僕もあわてて席に戻り、ノートを広げた。

「準備はいいかな? それでは次。Aチームは目、Bチームはくち。どんどんいくよ。Aチームはとげ、Bチームは突。突撃の突だね」
「ちょ、ちょっと待ってください。もう少しゆっくりお願いします」

 問題の意図も分からないまま、とりあえず三組目までは書き留めた。

「四組目はAチームが辛み、Bチームは苦味。そして最後、Aチームは前。ではBチームは?」

 は? 何これ。こんなので答えが出せるの?

「先輩、いつものように解くカギというかヒントをくださいよ」
「今回はノーヒントで」

 そう言うと立ち上がって奥のミニキッチンへと向かっていく。一息ついたので珈琲を淹れてくれるらしい。
 それにしても、あっという間にいつもどおり先輩のペースに戻されてしまった。コーギーの件でしばらくは強く出れると思っていたのに。

「耕助さま、これってチームごとに共通点があるような気がするんですけれど」
「うーん、まぁそうですね。チームごとというか……」
「どちらか一方ですか?」

 お盆の上に三人分のカップをのせて微笑みながら戻ってきた。分かりやすいんだよなぁ、先輩は。なんだかんだ言って美咲さんには甘いし。
 どちらか一方に共通点か。ということはBチームだよな。そうじゃなければ最後の答えを導けない。Bチームに共通点がなければ、どんな答えでもOKになってしまう。

「ヒントとしては今日の出来事、かな」

 ソファに腰を下ろし、左手にソーサーを持ちながらマイセンのカップを口に運んだ先輩が僕へ言った。
 出来事と言ったってカレーを食べてコーギーに追いかけられたくらいだし。辛いものを食べて汗をかいたけれど、どちらもAチームに入っている。
 Bチームは血、口、突、苦み。この共通点ってなんだろう。順番は重要なのかな。Aチームは汗、目、棘、辛み、そして五番目が前。AとBの関係だって何かあるはず。
 血と汗の結晶、目は口ほどにものを言う。AとBの順番が違うからこれも駄目。
 うーん。もやもやする。

 走って汗をかいたせいか喉が渇いて珈琲を飲み干した。
 先輩も同じみたいで、空になったカップを置いた。

「あら、耕助さま、おかわりの珈琲をお持ちしましょうか。それとも何かお菓子でも召し上がりますか」
「あ、いや。食べたばかりでお腹がいっぱいなんです」
「そうですよね、お食事を済ませたばかりとお聞きしていたのに。わたくしとしたことが」

 美咲さんがペンを置き、両手を膝の上でそろえて軽く頭を下げた。

「つい先走ってしまいました」
「あ」

 急に先輩が口を開けたまま固まった。

「……美咲さん。正解です」
「え?」「はい?」

 驚いたのは僕だけじゃなかった。正解と言われた美咲さんも小首をかしげている。
 何のことだろう。
 彼女は「先走った」と言ったけど……ん? 待てよ。

「そうか!」
「鈴木くん、分かったのかな」
「はい、分かりました。今日の出来事がヒントって『走った』のことだったんですね」
「いいところに気がついたね」

 Bチームは血走った、口走った、突走った、苦み走った、すべて意味のある言葉になる。Aチームは汗走った、なんて言わないけれど、どれもBの言葉と関連がある語句だ。
 問題の五番目はAが前。関連のありそうな言葉で『走った』をつけて意味のあるのが『先走った』、答えは『先』だ。

「あの短時間で思いつくなんて、さすがです」
「なにせ私はただの探偵ではなく、探偵だからね」

 犬に追いかけられているのも可愛かったけれど、やっぱり先輩はこうじゃないと。 
 意図せず答えを言った美咲さんが浅く座り直して身を乗り出した。

「正解したご褒美に、そのカレー屋さんへ連れて行ってくださいます?」
「もちろんです。あのお店は美味しいですよ。こんど三人で行きましょう」

 あーあ。そこは二人でしょ。
 ほら、美咲さんが途端にふくれて僕をにらんでいるじゃないですか。
 その鈍いところも先輩らしいけれど、ね。



―第十三謎:走る僕たち 流れる汗もそのままに 終わり―
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

処理中です...