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第十四謎:遺された五線譜 IQ150(全七話)
未発表楽譜
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今朝は先輩直伝の通話しているふり作戦を使って、最大最後の難関である煙草屋のおばちゃんポイントを無事に通過することが出来た。
ちゃんと忘れずに笑顔で会釈もしておいたから、悪い噂をまかれることもないだろう。
でもこの作戦、頻繁に使っているとすぐに怪しまれるのは間違いない。何かいい手を考えておかないとと思いつつ、ビルの前に自転車を停め階段を上っていく。
見えてきた扉のすりガラスからは明かりが漏れていた。
「おはようございます」
「おはよう。今日は早かったね」
そういうあなたの方が早いじゃないですか。
先輩は日課となっている朝の珈琲を淹れようとしていた。
「今日は僕の方が早いと思ったんですけどねぇ。駐車場に青い車があったのでがっかりしちゃいました」
「デニムブルーメタリック!」
いけない、あの車を『青い』と言うと機嫌が悪くなるんだった。
黙って頭を下げておく。
「競争しているわけじゃないし、ゆっくり来ていいんだよ」
「どうせ暇ですしね」
「いつも言ってるでしょ、我々が暇なのは世の中が平和な証拠なんだから」
穏やかな笑みを浮かべながら二つのカップに珈琲を注いでいる。
たとえ些細なことでも、何か困った時に訪れるのが探偵事務所ならば、僕たちが暇であることは悪くないのかもしれない。
「そう言えばコンサートのチケットは手に入ったんですか」
マグカップを受け取りながら聞いてみた。
「うん。来賓用の特別席というのをいつもキープしているそうで、そこで聴かせてもらうことになったよ」
先輩はいつものソファに座り、お気に入りのマイセンのカップに口をつけながら新聞を広げている。
「完全におじい様のコネですね」
「なんたって名誉館長だからね」
僕の粘り突くような視線をカップで遮り、新聞から目を離さない。
ちょっとは後ろめたい気持ちがあるんですね。
でも、今回は美咲さんからのお願いですから大目に見ますよ。
「美咲さんにはちゃんと連絡しました?」
「うん」
顔を上げてこちらを見た。
「喜んでいたでしょう」
すると困ったような照れているような何とも言えない表情をしている。
スパッと謎を解いているときの表情が嘘のよう。
いい大人なのにと半ばあきれながら、実はうらやましくもありつつ珈琲を口にした。
新聞に目を戻した先輩が「へぇ」と小さく声を出した。
「どうしたんですか」
「ほら、この前話していた岩見沢洋樹さんのことが記事に出ているんだ」
さすがに名前だけは覚えていた。忘れたりしたら先輩と美咲さんに白い目で見られそうだから。
「コンサートはその方の生誕百年記念だって言ってましたよね」
「うん。その岩見沢さんの未発表楽譜が見つかったんだって」
有名な作曲家なら、かなり話題性もあるんじゃないかな。
僕の思いを見越したように先輩が続ける。
「岩見沢さんの未発表曲なら世界中で注目を集めるだろうけれど……」
新聞を読み進めながら黙ってしまった。
「どうかしたんですか?」
「……うん」
読み終えると顔を上げ、マイセンのカップに口をつける。
「偽物じゃないかって声が多いらしい。四小節しかないし曲とも呼べないものらしい。作風も明らかに違うって。でも奥様がご主人のものに間違いがないと言っているそうだ」
「見つけたのも奥様ですか」
「そう。だからコンサートに注目を集めるためじゃないかとも言われている」
「ふーん。有名な方なんだし、チケットも売れているならわざわざそんなことをする必要がない気がしますけど」
「鈴木くんの言う通り、僕もそう思うよ」
そう言うと先輩は口を閉ざし、また新聞へと視線を落とした。
あの記事が出てから一週間が過ぎた。トップ見出しではないものの週刊誌にも取り上げられている。中には奥さまが売名行為のために捏造したのでは、などというものまである。
先輩たちが聴きに行った昨日のコンサートにも、大勢の記者が押し掛けたんじゃないだろうか。二人が楽しめていればいいけれど。
「おはようございます」
煙草屋のおばちゃんを避ける新しい妙案が浮かばずに、今朝も二十分ほどおしゃべりにつきあってきた。
いつものように先輩はソファに座り、日課となっている新聞のチェックをしている。
「おはよう。珈琲は残してあるから自分で入れて」
新聞から目を離さず右手を軽く挙げたのに黙って応え、ミニキッチンへ行きカップに珈琲を入れた。席に戻り、カップを持ち上げると芳ばしい香りが胸いっぱいに広がる。
「昨日のコンサート、どうでした?」
すぐに顔を上げたけれど、心なしか浮かない顔に見える。
「素晴らしいコンサートだったよ。生誕記念ということもあってか、楽団もよくまとまっていてとてもよかった」
言葉とは裏腹に、やはり華やかな気分が伝わってこない。子どものように思っていることがそのまま表面に出てくる人だから、わかりやすいんだよな。まさか。
「美咲さんと何かありましたか? せっかくのコンサートなのに喧嘩なんかしてないでしょうねぇ」
「え、なんで美咲さんと喧嘩するの?」
的外れな答えが返ってきたところを見ると、彼女とは問題なし。
それじゃぁ何があったんだろう。
「コンサートが終わってから岩見沢さんとお会いしたんだよ。あぁ、もちろん奥様とね」
それぐらい僕にも分かります。
先輩が幽霊と交信できるなんて思っていません。
「例の楽譜の件でとても心を痛めていてね。故人をしのぶ記念の日にもかかわらず、笑顔も少なくて見ていられなかったんだ」
「僕も気にしていたんです。週刊誌にも面白おかしく取り上げられているから、大変なんだろうなぁって」
「そこでね、鈴木くん――」
*
「どうして鈴木さまがここにいらっしゃるのですか!」
「それはこちらの台詞です。どうして美咲さんがいるんです?」
事務所からデニムブルーメタリックのボルボV40で約二十分、百済菜市郊外の岩見沢邸の前に着くと紺色のワンピースに揃いの色の帽子をかぶった彼女が立っていた。
車から降りたのが先輩だけではなかったことに、ちょっと驚きながら怒っている様子。
僕たち二人に挟まれた先輩は、まぁまぁと両手を広げた。
「例の楽譜について真偽を調べるのだから、助手の鈴木くんは欠かせないでしょう? 奥様と美咲さんは先日のコンサートでお会いしているし、一緒にいてもらったほうが話を聞くにはいいかと思って」
まぁ言われてみれば確かにそうかもしれないけれど、美咲さんの視線が厳しい。
きっと先輩と二人で岩見沢さんの話を聞くつもりだったに違いない。僕だって二人の邪魔をするつもりはないけれど、今日は仕事ですから。
本当に仕事で来ただけですからね。
そんな僕の思いを知る由もない先輩がインターホンへ手を伸ばした。
電子音が鳴り、しばらくすると落ち着いた感じの女性の声が聞こえてきた。
「どちらさまでしょうか」
「こんにちは、先日お会いした武者小路です。例の楽譜を拝見しにお伺いしました」
ちゃんと忘れずに笑顔で会釈もしておいたから、悪い噂をまかれることもないだろう。
でもこの作戦、頻繁に使っているとすぐに怪しまれるのは間違いない。何かいい手を考えておかないとと思いつつ、ビルの前に自転車を停め階段を上っていく。
見えてきた扉のすりガラスからは明かりが漏れていた。
「おはようございます」
「おはよう。今日は早かったね」
そういうあなたの方が早いじゃないですか。
先輩は日課となっている朝の珈琲を淹れようとしていた。
「今日は僕の方が早いと思ったんですけどねぇ。駐車場に青い車があったのでがっかりしちゃいました」
「デニムブルーメタリック!」
いけない、あの車を『青い』と言うと機嫌が悪くなるんだった。
黙って頭を下げておく。
「競争しているわけじゃないし、ゆっくり来ていいんだよ」
「どうせ暇ですしね」
「いつも言ってるでしょ、我々が暇なのは世の中が平和な証拠なんだから」
穏やかな笑みを浮かべながら二つのカップに珈琲を注いでいる。
たとえ些細なことでも、何か困った時に訪れるのが探偵事務所ならば、僕たちが暇であることは悪くないのかもしれない。
「そう言えばコンサートのチケットは手に入ったんですか」
マグカップを受け取りながら聞いてみた。
「うん。来賓用の特別席というのをいつもキープしているそうで、そこで聴かせてもらうことになったよ」
先輩はいつものソファに座り、お気に入りのマイセンのカップに口をつけながら新聞を広げている。
「完全におじい様のコネですね」
「なんたって名誉館長だからね」
僕の粘り突くような視線をカップで遮り、新聞から目を離さない。
ちょっとは後ろめたい気持ちがあるんですね。
でも、今回は美咲さんからのお願いですから大目に見ますよ。
「美咲さんにはちゃんと連絡しました?」
「うん」
顔を上げてこちらを見た。
「喜んでいたでしょう」
すると困ったような照れているような何とも言えない表情をしている。
スパッと謎を解いているときの表情が嘘のよう。
いい大人なのにと半ばあきれながら、実はうらやましくもありつつ珈琲を口にした。
新聞に目を戻した先輩が「へぇ」と小さく声を出した。
「どうしたんですか」
「ほら、この前話していた岩見沢洋樹さんのことが記事に出ているんだ」
さすがに名前だけは覚えていた。忘れたりしたら先輩と美咲さんに白い目で見られそうだから。
「コンサートはその方の生誕百年記念だって言ってましたよね」
「うん。その岩見沢さんの未発表楽譜が見つかったんだって」
有名な作曲家なら、かなり話題性もあるんじゃないかな。
僕の思いを見越したように先輩が続ける。
「岩見沢さんの未発表曲なら世界中で注目を集めるだろうけれど……」
新聞を読み進めながら黙ってしまった。
「どうかしたんですか?」
「……うん」
読み終えると顔を上げ、マイセンのカップに口をつける。
「偽物じゃないかって声が多いらしい。四小節しかないし曲とも呼べないものらしい。作風も明らかに違うって。でも奥様がご主人のものに間違いがないと言っているそうだ」
「見つけたのも奥様ですか」
「そう。だからコンサートに注目を集めるためじゃないかとも言われている」
「ふーん。有名な方なんだし、チケットも売れているならわざわざそんなことをする必要がない気がしますけど」
「鈴木くんの言う通り、僕もそう思うよ」
そう言うと先輩は口を閉ざし、また新聞へと視線を落とした。
あの記事が出てから一週間が過ぎた。トップ見出しではないものの週刊誌にも取り上げられている。中には奥さまが売名行為のために捏造したのでは、などというものまである。
先輩たちが聴きに行った昨日のコンサートにも、大勢の記者が押し掛けたんじゃないだろうか。二人が楽しめていればいいけれど。
「おはようございます」
煙草屋のおばちゃんを避ける新しい妙案が浮かばずに、今朝も二十分ほどおしゃべりにつきあってきた。
いつものように先輩はソファに座り、日課となっている新聞のチェックをしている。
「おはよう。珈琲は残してあるから自分で入れて」
新聞から目を離さず右手を軽く挙げたのに黙って応え、ミニキッチンへ行きカップに珈琲を入れた。席に戻り、カップを持ち上げると芳ばしい香りが胸いっぱいに広がる。
「昨日のコンサート、どうでした?」
すぐに顔を上げたけれど、心なしか浮かない顔に見える。
「素晴らしいコンサートだったよ。生誕記念ということもあってか、楽団もよくまとまっていてとてもよかった」
言葉とは裏腹に、やはり華やかな気分が伝わってこない。子どものように思っていることがそのまま表面に出てくる人だから、わかりやすいんだよな。まさか。
「美咲さんと何かありましたか? せっかくのコンサートなのに喧嘩なんかしてないでしょうねぇ」
「え、なんで美咲さんと喧嘩するの?」
的外れな答えが返ってきたところを見ると、彼女とは問題なし。
それじゃぁ何があったんだろう。
「コンサートが終わってから岩見沢さんとお会いしたんだよ。あぁ、もちろん奥様とね」
それぐらい僕にも分かります。
先輩が幽霊と交信できるなんて思っていません。
「例の楽譜の件でとても心を痛めていてね。故人をしのぶ記念の日にもかかわらず、笑顔も少なくて見ていられなかったんだ」
「僕も気にしていたんです。週刊誌にも面白おかしく取り上げられているから、大変なんだろうなぁって」
「そこでね、鈴木くん――」
*
「どうして鈴木さまがここにいらっしゃるのですか!」
「それはこちらの台詞です。どうして美咲さんがいるんです?」
事務所からデニムブルーメタリックのボルボV40で約二十分、百済菜市郊外の岩見沢邸の前に着くと紺色のワンピースに揃いの色の帽子をかぶった彼女が立っていた。
車から降りたのが先輩だけではなかったことに、ちょっと驚きながら怒っている様子。
僕たち二人に挟まれた先輩は、まぁまぁと両手を広げた。
「例の楽譜について真偽を調べるのだから、助手の鈴木くんは欠かせないでしょう? 奥様と美咲さんは先日のコンサートでお会いしているし、一緒にいてもらったほうが話を聞くにはいいかと思って」
まぁ言われてみれば確かにそうかもしれないけれど、美咲さんの視線が厳しい。
きっと先輩と二人で岩見沢さんの話を聞くつもりだったに違いない。僕だって二人の邪魔をするつもりはないけれど、今日は仕事ですから。
本当に仕事で来ただけですからね。
そんな僕の思いを知る由もない先輩がインターホンへ手を伸ばした。
電子音が鳴り、しばらくすると落ち着いた感じの女性の声が聞こえてきた。
「どちらさまでしょうか」
「こんにちは、先日お会いした武者小路です。例の楽譜を拝見しにお伺いしました」
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