こちら百済菜市、武者小路 名探偵事務所

流々(るる)

文字の大きさ
32 / 42
第十四謎:遺された五線譜 IQ150(全七話)

四つの仮説

しおりを挟む
 奥様から何度もお礼を言われて岩見沢邸を後にした。
 曲調が異なるからこそ本物である、という先輩の見解を聞いて気持ちが楽になったそうだ。

「でも、あの譜面が岩見沢洋樹の書いたものだ、っていう決め手ってあるのかしら」

 助手席の美咲さんは外の景色を眺めている。
 このまま事務所へ戻って作戦会議をすることになり、先輩の車で移動中。僕は後部座席に乗り込み、助手席は彼女に譲った。
 あくまでも譲ったのは席だけで、助手の座を譲る気はない。

「岩見沢さんの指紋が付いているか調べてみたらどうですかね」

 運転している先輩へ話しかけたつもりが、美咲さんから答えが返ってきた。

「指紋が残っていても岩見沢先生が書いたとは証明できないのではないでしょうか。生前に使っていたノートへ新たに書き加えたと仮定すれば、そこに先生の指紋が残っていても不思議じゃないと言えます」

 うーん、確かに彼女の言うとおりだ。

「それもナントカ法っていう考え方ですか?」
「仮説演繹法のことをおっしゃっているなら、違います」

 なんだか突っかかってくる言い方だよなぁ。僕がちゃんと覚えていないのも悪いけれど、今回の件では美咲さんが奥様に肩入れしている気がする。

「せっかく難しい理論を勉強されたのだから、さっきみたいに感情的な判断はもったいないですよ」
「いつわたくしが感情的に?」
「奥様がおっしゃってるんだから本物に違いないって」
「あれは……。それなら鈴木さまはあの譜面が偽物だと思っていらっしゃるんですか」
「そんなことはないですよ。僕は初めから、奥様が偽物を作るメリットがないと言っていますから」
「もう二人ともその辺で」

 ずっと黙っていた先輩が口をはさんだ。

「私を含めて、三人ともあれは岩見沢さんが書いたものだと思っている。それならやるべきことは一つ。みんなで知恵を出して、決定的な証拠を見つけようよ」

 ちょっと熱くなってしまった。ここは素直に反省しなくては。

「すいませんでした」
「耕助さまがおっしゃるように、私たちが力を合わせて奥様の名誉を守らなくてはいけないのに。ごめんなさい」

 車が左に曲がり、煙草屋の看板が見えてきた。

「それじゃ、まずは先輩が淹れてくれるおいしい珈琲で休憩しましょう」

 笑みを浮かべたまま、先輩は駐車場へとハンドルを切った。

 事務所へ戻ると先輩はすぐにミニキッチンへ行き、珈琲を入れる準備をしている。
 ソファに座った美咲さんはスマホを取り出した。
 荷物を置いた僕も、デジカメのデータを見ながら楽譜を書いてみる。五線譜なんてないから、音名だけど。

 ミ   ミ ソ ソ  シ ソ ミ ミ # ミ ソ #ミ  シ
 シ ソ ラ ソ ソ シ ド  ソ    ド ソ  ラ  ド ソ

(上段:ト音記号、下段:ヘ音記号、傍点付きはオクターブ上の音を示す)

 岩見沢さんは茶目っ気のある人だったと言っていたから、音名に変換したら何か意味があるんじゃないかと思ったけれど、どうやら見当違いだったようだ。

「はい、どうぞ」

 カップを僕に渡して、先輩は美咲さんの向かい側に座った。
 芳ばしい香りが頭にまでしみ込むようで幸せな気分になる。

「まずは、あの譜面が岩見沢洋樹によって書かれたものだと仮定しよう」

 いきなり先輩は推理モードに入った。

「なぜ彼は書いたのか。理由があるはずだ」
「作曲家なんだから、単に思いついて書き留めたんじゃないですか」
「その可能性もあるけれど彼の作風とは異なるし、曲とは言えないようなものだから、思いついてというよりは意図的じゃないかな」
「わたくしもそう思います。意識して変えようとしないと、あのメロディは出て来ない気がしますわ」

 音楽に造詣が深い二人が言うのだから、きっとそうなんだろう。
 でも意図的に変えて作曲するってどういうこと?

「意識して変えたのなら何を意図していたのか、そこが分かれば決め手になるよね」
「あの曲は四小節しかありません。何か他の曲の一部を変えようとしたのだと思います。だから中途半端な終わり方ではないかと……」
「さすが美咲さん。それを一つ目の仮説にしましょう。調べるのをお願いしてもいいですか」
「もちろんです。先ほどから岩見沢先生の曲を調べているところです」

 スマホをいじってたのはそのためだったのか。
 先輩から褒められてうれしそう。今回は音楽の話だし、僕がやれることは少なそうだなぁ。

「もう一つ意識的に変えようとする理由は……」

 先輩の声が低くなった。自分に言い聞かせるようにしているけれど、なんだろう。言いにくそうだけれど。

「先ほど奥様の前では言えなかったけれど、可能性としてはありえるんだよな」
「どういうことですか?」
「さっき偽物を作る話をしたよね」
「はい。偽物を作るときには本物に近づけようとする、って」

 ひとつ大きく息を吸ってから、先輩が話を続ける。

「岩見沢さんがとしたら……」

 ん? どういう意味だ。
 岩見沢さんが近づけようとした本物って――。

「岩見沢先生が盗作をしているということですか!」

 いきなり美咲さんが大きな声を出した。

「まぁ落ち着いて、美咲さん。盗作ではなくゴーストライターなのかもしれません。あるいは自分の名前ではなく、別名でこっそり発表している曲があるのかもしれない。いずれにしろ、可能性としては否定できないんです」

 先輩の言うとおりだ。
 その可能性も確かにある。

「これが二つ目の仮説。この件については、私が調べてみます」
「わかりました」

 彼女は黙ったままだった。

「鈴木くんは音名に変えていたよね。何か分かった?」
「いたずら好きな子どもみたいな人だったというから、暗号にしているのかと思ったんですけれど……。違うみたいですね」
「いや、私も暗号というか、何かのメッセージではないかと思っているんだ」

 へっ!? 先輩も同じことを考えていたのか。

「曲としては不自然な個所も多い。最後の二音だけ八分音符になっていたり、唐突にシャープがついていたり。暗号かもしれないというのが三つ目の仮説。鈴木くんは引き続き考えてみて」
「僕じゃ無理ですよ」
「そう言わずにさ。私の助手として暗号解読をしてきたじゃない。それを生かして色々な角度から調べてみて。私なりにも考えるから」

 何も言えずに小さく何度も首を縦に動かした。
 そうだよな、最初からあきらめたりせず、今まで教わったことを思い出してやってみよう。困っている人を助けるのが探偵の役目なんだから。

「そして四つ目の仮説は――」
「まだあるんですか!?」

 あっ、また思わず言ってしまった。最後まで話を聞くべきだった。
 先輩は苦笑しながら続ける。

「もしこれが真実ならば、証明することは不可能かもしれない」
「なんですの、それは」

 美咲さんも興味を持ったようだ。先輩が彼女に答える。

「最初の仮定が正しくない、つまり『あの譜面は岩見沢洋樹が書いたものではない』ということです」

 何か言いかけた美咲さんを軽く手で制して話を続ける。

「むろん、奥様が偽造したということではなく、第三者が書いた可能性があります。音符の書き方はたまたま似ていただけかもしれない」
「でも、第三者が書いたものならどうして岩見沢さんの手元にあったんですか?」

 今度は顔をこちらへ向けて、僕の質問に答えてくれた。

「だから証明が難しいと言ったのさ。誰が書いたものか分からないのに、どうやって手に入れたかなんてわかるはずがないからね」
「では、どうして耕助さまはこの考えに至ったのですか」
「本に挟まっていたと奥様がおっしゃったからです」

 もう一度、美咲さんへ向き直って問いかける。

「本に挟むものと言えば」

 少し考えて彼女が答えた。

「しおり、ですか?」

 先輩は黙って大きくうなずいた。

「この譜面を単にしおり代わりとしていたなら、そう考えました。たまたま手近にあったものをしおりとして使っただけ、自分にとっては特別なものではない何かを」
「……そういった見方もできる、ということですね」

 美咲さんはじっと先輩の顔を見つめて静かに言った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

処理中です...