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受付嬢の場合

第壱章 謹慎が明けて

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「クーアさん、お昼に行きましょう」

 今日も今日とて事務長は副ギルド長を誘ってお昼ご飯を食べに出掛ける。
 あんな餓鬼みたいな男のどこが良いんだか。
 いや、見た目通りの男じゃないことは先日、嫌というほど思い知らされたばかりである。
 子供の頃からの親友二人に頼み込まれたからといって、Cランクの冒険者にBランクの依頼を許可したのが発覚した時には、あの情けなかった童顔が見る間に魔女の如き形相に変わって肝を潰したものである。
 結果、私は一週間の謹慎を云い渡されたのだが、これは情けをかけられた訳ではなく、単純に人手不足故の配慮だったらしい。
 職場に復帰した際には、副ギルド長は特に叱りつけるでもなく、“また宜しくね”、と微笑みかけたものだ。
 気に入らない。
 まるで私が取るに足らない人間のようではないか。

「おい」

 そもそもギルド長の紹介で副ギルド長に就任した時から気に入らなかった。
 当時の私は事務員として就職したばかりで古参の事務員達からアイドルのように可愛がられていたのだが、あの男が来てから事務員達の関心をすっかり奪われてしまったのだ。
 かつて宮廷に仕えていただけにお妃様やお姫様達との接点があり、皆が皆、宮廷の話を聞きたがっていた。
 勿論、皇族や後宮のプライバシーに関わる話題やスキャンダラスな話題は御法度だったけど、“こういう変わり者がいたよ”とか、隣国からの大使や嫁いできたお姫様から聞かされた土産話にはみんなが耳を傾けたものである。

「おい!」

 気に入らないったらありゃしない。
 初めはみんなだって、『天下りの小男』と呼んでを仕事のこと以外は無視していたっていうのに。
 しかし、あの男が仕上げた書類の精緻な内容に一人、また一人とあの男を認めるようになっていき、今では冒険者をも巻き込んだ副ギルド長のファンクラブまである始末だ。
 何が“愛くるしい顔に明晰な頭脳を併せ持つ彼は天使に違いない”、よ!
 以前までは、魔王に魂を売った褒美に魔道の奥義と永遠の若さを手に入れたに違いないって噂していたくせに!

「聞こえているのか?」

 気に入らないと云えば、事務長も事務長よ!
 以前はスーツにスラックス、教育ママみたいな眼鏡をかけて堅物一直線って感じだったのに、今じゃスラックスをタイトスカートに変えて、眼鏡を外し、アップに纏めていたブラウンの髪を下ろしてリボンで括っちゃって!
 そういや、あの人も元は真面目だけが取り柄の面白くもなんともない人だったんだけど、副ギルド長と話をするようになってからジョークを交えて話すようになったのよね。
 息が詰まるような現場じゃ実力を発揮できない。現役時代、そんな経験無かったか、と云われて昔の記憶が甦ったんだそうだ。
 気付けば自分のせいでギルド員達は失敗を恐れて思い切った仕事が出来なくなっていた。
 その事実に事務長は考えを改め、現役時代によく飛ばしていたジョークを口にするようになったのだ。
 お陰で仕事はやりやすくなったのだけど、それでもやっぱり気に入らない。

「その耳は飾りか!」

 って、さっきから五月蠅いわね!

「おい! さっきから何度も呼んでるだろ!」

 しまった。考え事に夢中になり過ぎてて冒険者に気付かなかった。

「ん? お前はこないだまで謹慎になっていた生意気な受付じゃねーか? クビになっちまえと思っていたが、よくもまあ、謹慎で済んだよな? 上司に体でも開いたか?」

 下卑た嗤いを浮かべる冒険者に食ってかかりたかったが、相手はBランクの戦斧遣いだ。
 しかも、登録ランクはBであっても実力だけならAランクに達すると評価されているだけに相手が悪い。

「まあ、良い。この仕事を受けさせてくんねぇ。俺なら三日で終わらせてやるぜ」

 男が差し出した資料に目を落として、私は言葉を失った。
 北にある農村が火吹き竜に襲われ、家畜の牛を十二頭、豚七頭、馬を八頭も食べられた上に、家屋の全壊三軒、半壊七軒、一部倒壊十軒の被害が出たと報告されていた。人的被害も馬鹿にならないものがあり、冒険者ギルドはこの火吹き竜退治の依頼をAランクに設定したという経緯がある。
 とてもではないけど、この依頼は目の前の男に任せる訳にはいかない。

「あのぅ、失礼ですが、貴方はBランクのはずです。しかも、よく見て下さい。最低でも三人以上のパーティを組んでいる事が前提条件となっています」

 一応、ギルドの大切な仲間であるので丁寧な対応をもって断ろうとしたけど、案の定と云うか、男は目を怒らせて顔を寄せてきた。

「だからよ。ドラゴンの一匹や二匹、俺の敵じゃねーって! 見ねぇ! 俺様自慢のゴリアテを! 俺はコイツで鉄より硬いドラゴンの首を落とした事があるんだぜ?」

 いやいや、そんなバカデカいバトルアックスを見せられたところでどうにもならない。つーか、アンタの腕とか得物の善し悪しとか関係無いから。

「規則ですので、申し訳ありませんがBランク以下のご依頼から選択して下さい」

 しかし、男は引き下がらない。

「俺の腕が信用できねーってのか? これでも俺様はAランクの冒険者をぶっ潰した事があるんだぜ? つまり下手なAランク持ちより俺の方が優秀だって事なんだよ!」

 そう、この男が実力的にはAでありながらBランクにいる理由は他の冒険者とのいざこざが絶えない事にある。
 パーティを組めば独断専行は当たり前。人の手柄は横取りする。味方をも巻き込む攻撃を平気で使うなど問題行動が多すぎるのだ。
 除名しようにも下手に腕が立つ為に盗賊や殺し屋になられても困るし、かと云ってAランクに昇格させようものなら下位の冒険者を手下扱いにして報酬の上前をはねるのは目に見えている。
 否、もう過去に自分よりランクが低い冒険者達を脅して金品を奪う事件を起こしており、何度も降格処分を受けているのである。
 役人に突き出した事もあるのだけど、狡賢いところがあるコイツは役人に鼻薬を嗅がせる悪知恵も持っていたのだ。
 勿論、こんな悪事を重ねていては誰もこの男を相手にしなくなり、ここ数年間は誰ともパーティを組んでいない。
 それでもFランクに降格して、四、五ヶ月もすれば独力でBランクへ返り咲いているのだから実力だけは確かなのである。

「そのようにおっしゃられましても私では判断がつきませんので、少々お時間を頂きます。上司に相談して参りますわ」

 かろうじて大人の対応ができた私は事務員にヘルプを頼もうと席を立ちかけたが、トラブル防止の柵にある覗き窓から男の腕が伸びて私の腕を掴み、逃がしてくれなかった。

「つれないこと云うなよ。お前、前にもCランクの奴に便宜を図ってやったそうじゃねーか? 今度も同じ事だぜ。何、心配はいらねーって。その可愛い顔に似合わねーおっぱいでまた上司を誘惑してやれば良いんだよ」

 つれないって何で私がアンタの為に色気を振りまかなきゃいけないのよ?
 しかも、私が上司に体を開いたってのがアンタの中じゃ決定事項になってるし!
 我ながら緩い堪忍袋の緒はもう限界に達していた。

「馬鹿にするな! 私は現役バリバリの処女よ! 胸を触らせるどころか、弟以外の男に裸を見せた事すらないわよ!」

 すると男は嫌らしい笑みを浮かべたではないか。

「へぇ、それでこんなに育つもんかよ?」

 あろう事か、男は私の胸を揉みしだいたのだ。

「何するのよ、変態!」

 男に平手打ちをお見舞いしてやろうと思ったけど、私と男を隔てる柵によってそれは阻まれてしまう。
 この男のように質の悪い冒険者から事務員や受付を守る為の柵が皮肉にも私の攻撃を防ぐ結果となったのだ。

「へっへっへ、若いだけあって張りも弾力もパネェな」

 下卑た嗤いを浮かべて平然とセクハラする男に周りは引いていたけど、誰も私を助けようと動く者はいなかった。
 それが男の実力を物語っていると思うべきか、私の性格のせいなのかは判断がつかない。
 いくら殴ってもビクともしない男の手に、私の視界が涙で滲む。
 しかし、救いの手はすぐに差し伸べられた。

「おいおい。大の男がいたいけな乙女を泣かせるとは、ちと見ていられぬぞ」

「何だ? 今は俺様の順番だ。依頼を受けてぇんなら大人しく待ってるか、他の窓口に行きな。俺はこの嬢ちゃんに大事な頼み事があるんだよ」

 振り返る事もせず、私の胸を更に乱暴に揉み始めた男の手が勢いよく離れた。
 さっきの人が男の首根っこを掴んで引き倒したのだ。

「何しやがる、ジジイ? 俺様にこんな嘗めた真似して只で済むと思っているのか?」

 男が凄んでみせた相手はかなりご高齢のお爺さんだった。
 お歳の割にはガタイが良くて強そうだけど、男はその三倍は大きく見える。

「吠えるな、若造! 貴様のような愚か者がおるから他の冒険者達も時に世間様から白眼視されるのぢゃ! 善き機会ぢゃ、二度と悪さが出来ぬようキツイ仕置きをしてくれよう」

「上等だ! ジジイの方こそ二度と足腰が立たねぇようにしてやらぁ!」

 売り言葉に買い言葉で、ざわつくギルド内を尻目に二人は出て行ってしまった。
 いけない。あのお爺さんが誰なのかは分からないけど、スチューデリア支部うちの管内で冒険者が人に危害を加えたら、私だけの責任じゃ済まなくなる。
 私は泣きたくなるのを堪えながら隣の受付嬢にギルド長を呼ぶように頼むと、二人を仲裁すべく、外へと飛び出した。
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