初夜に訪れたのは夫ではなくお義母様でした

わらびもち

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海辺の別荘で

 海辺の別荘は白い漆喰の壁と深い軒の影が織りなす柔らかな陰影に包まれ、午後の陽光を受けて穏やかに輝いていた。庭には手入れの行き届いた生垣や整然と咲く花々が並び、波打ち際まで続く砂利の小道は踏むたびに軽やかな音を立てる。潮の香りと花の香りがテラスへと流れ込んできた。

 その貴婦人は薄紫の絹のドレスに銀糸の刺繍を施したショールを肩に掛け、白い手袋を手に持ちながらテラスの椅子に腰を下ろしている。視線の先には光にきらめく水平線と、遠くで泡立つ波。波の音が心地よく耳に届く。

「ごきげんよう、イザベラ様」

 その時、扉の向こうから一人の令嬢が姿を現す。藍色の絹のドレスに銀の刺繍をあしらい、帽子には淡いリボン。  
 優雅な歩みでテラスに近づき、軽くお辞儀を交わす。

「お久しぶりです。お元気そうでようございました。ここでの暮らしはいかがですか?」

「ええ、とても快適よ。貴女のお屋敷にお世話になっていた頃のように至れり尽くせりとはいかないけれど、ここはわたくしにとって思い出深い場所ですもの……」

 目を細め、思い出に浸る貴婦人──イザベラに、令嬢──セシリアは柔らかく微笑む。

「ふふ、あのままずっといてくださっても良かったのですよ? イザベラ様が我が家を出て以来、兄がひどく気落ちしておりまして……。私としても、貴女に義姉になっていただけましたら、この上なく嬉しいことでしたのに」

 セシリアの生家に身を寄せていたイザベラを一目見たセシリアの兄は瞬く間に恋に落ちた。
 何度断られても諦めきれず、イザベラに求婚を重ねた兄だったが──ついに快い返事をもらうことはなく、彼女は屋敷を去ってしまった。

「未亡人のわたくしが侯爵家の令息の妻になど、畏れ多いことよ。貴女と義理の姉妹になるのはとても素敵なことだけどね」

「兄は身分など気にしない人ですよ? 脳筋なのでそういう細かいことは全く気にしない性格です」

「そこは気にした方がいいわよ?」

 妻に望まれる身分ではない、とやんわり断っていたイザベラだが、セシリアに似て押しの強い彼女の兄はめげなかった。しかし、イザベラの心の中には亡き夫がいる。彼女は生涯亡き夫以外を愛さないと心に決めていた。

「それにしてもイザベラ様は情の深い御方です。亡くなった旦那様をそこまで愛しているのですね」

「ええ、旦那様はわたくしの最初で最後の夫だもの。あの方以外を愛することは……生涯無理ね」

 最愛の夫を思い浮かべる彼女の横顔は息を呑むほどに美しく、セシリアは思わず見惚れてしまうほどだった。

「あの人の思い出に包まれながら、この場所で生きていける――それが、何より嬉しいの。ありがとうセシリア、あなたと公爵様のおかげよ」

「いいえ、ここは元々イザベラ様の物となるはずだった場所です。私はそのお手伝いをしたまでですよ」

 エリオットとの離婚にあたって、慰謝料代わりにセシリアが要求したのがこの別荘だ。
 イザベラが亡き先代と共に過ごしたという思い出深い場所。本来は遺産としてイザベラに与えられるはずだったが、エリオットがごねたことによりそれが叶わなくなった。父親の遺志を無視し、ただ侯爵家の財産を後妻に渡したくないという感情のみでごねるようなケチくさい男なのだ、元夫は。

 セシリアはその別荘を本来譲られるはずだったイザベラへ返してやりたい――そんな思いに駆られていた。
 それと、散々苦労させられたエリオットに一泡吹かせてやりたいという思いもあり、それを望んだのだ。
 所有権の移転に関する手続きはすべて公爵が取り計らってくれたため、この別荘は今やセシリアのものとなっていた。

 そしてセシリアはイザベラをその別荘に住まわせた。イザベラを所有者としても差し支えはなかったが、そうすれば再びエリオットが何かと難癖をつけてくる恐れがある。優しいイザベラはその難癖を聞いてしまいかねないが、セシリアならそうはいかない。どんなことを言ってこようが突っぱねる自信があった。
 しかし、この別荘を取り戻して悔しがる元夫の顔を見たかったのだが、本人はそれどころではなく、その望みは叶わなかったのが残念でならない。

「お元気を取り戻されたようで、安心いたしました。ガーネット邸が焼け落ちて以来、ひどく憔悴していらしたので……」

 屋敷が全て焼け落ちて灰になったと知った時のイザベラの落胆ぶりは凄まじかった。何の思い入れも無いセシリアとは違い、イザベラにとっては亡き最愛の夫との思い出が詰まった大切な場所。特に、あの別邸にあったピアノが焼け落ちてしまったことが受け入れられず、しばらくは食べ物が喉を通らないほど憔悴していたのだ。

「あの時は、貴女を含めてサフィー家の皆さまには、かなりのご迷惑をおかけしてしまったわね……。本当に申し訳ないわ」

 公爵がイザベラのために別荘を整えてくれるそうなので、その間はサフィー家で預かってほしいと頼まれたセシリアは彼女をサフィー家へと連れて行った。そして、セシリアの献身的な支えのおかげでイザベラは少しずつ元気を取り戻していったのだ。

「居候でしかないわたくしを、貴女やサフィー家の方々は本当に優しくしてくれて……言葉では言い尽くせないほど感謝しているのよ。特に貴女のお母君は何かと気にかけてくださったわね」

「ああ、母はイザベラ様を兄の未来の花嫁として逃すまいとしておりましたから」

「……え!? そんな風に思われていたの? わたくしのような未亡人が? どう考えても侯爵家のご令息とは釣り合わないのに?」

「いや~……兄は身分こそ高いですが、あの通り脳味噌まで筋肉で出来ておりますので、女性に対しての気配りが皆無なのですよね。大雑把だし、声が大きいし、遠回しな表現も通じないし。武人としては立派なのですけど、夫としては……。それこそイザベラ様のように情の深い優しい人でないと、夫婦としてやっていけないと思うのですよ」

「散々な言いようね!?」

「まあ……未だに婚約者がいない時点でお察しです。ですからイザベラ様が兄の花嫁になってくれたら私も母も嬉しかったのですけどね……」

 じっと、獲物を狙う猛禽のような鋭いまなざしで見つめてくるセシリアにイザベラは「ひっ!」と小さく悲鳴をあげた。分かりやすく狙われている、と気づいて肩を震わせる。

「いや、貴女の兄君は素敵な方だけど、わたくしはもう亡き夫以外を愛せないのよ」

「別に愛さなくて大丈夫です。愛のない結婚なんて貴族の定番ですし、とりあえず嫁いで子供でも作ってくれたらそれで……」

「そうだけど、そうじゃないわよね!?」

 断っても兄の花嫁に狙ってくるセシリアにイザベラは恐怖を感じた。
 彼女の言っていることは間違っていないが、気持ちや身分を考えるとそうではない。
 しかし、それを上手く言語化できないうえに、口ではセシリアに敵いそうにないイザベラは強引に話を変えた。

「あ、そ……そういえば、王太子妃殿下のお茶会に招かれたと言ってたわよね? その時のことを聞かせてほしいわ!」

「え? ああ、はい、いいですよ」

 その時のことを思い出すように視線を上げるセシリアを見て、イザベラは話題が逸れたとほっと胸をなでおろした。

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