初夜に訪れたのは夫ではなくお義母様でした

わらびもち

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雨の日の報せ

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 窓の外は薄暗い灰色に染まっていた。細く冷たい雨が、石造りの屋敷の窓硝子を静かに叩いている。
 庭の薔薇は首を垂れ、遠くの木々は靄に霞んでいた。レースのカーテンを指でそっと払い、セシリアはその様子をしばし眺めていた。すると廊下の奥から執事が静かな足音を立てて近づいてきた。

「奥様」

 執事は一歩下がった位置で声をかけ、深く頭を垂れる。セシリアがゆるやかに振り向くと、彼は手紙を差し出した。

「旦那さまより、伝書にて。先ほど、門番が受け取りました。」

 セシリアはわずかに目を見開き、すぐに手紙を受け取り、中身に目を通した。
 中には短い文面が記されており、それを読み終えた彼女はぽつりと呟いた。

「……今日は、お戻りになれないと……」

「はい、馬車が足止めを受けておられるご様子。道が冠水しているとのことです。」

 執事は声を低く抑え、夫人の表情を伺うように言葉を選んだ。
 彼女は手紙を持ったまま雨音に耳を傾けた。

「この雨……止みそうにないわね」

「ええ、奥様。夜までにはさらに強まるかと。火をお増やしいたしますか?」

「……そうね、お願い」

 セシリアは深く息を吐き、力が抜けるように椅子に身を預けた。 
 手紙を膝の上に置いたまま、指先で封蝋を撫でている。執事は静かに一礼し、暖炉へ向かって火をくべはじめた。
 部屋に新しい炎の音が生まれ、外の雨音と溶け合う。

 執事はうつむくセシリアを気遣うように見つめ、言葉もなく部屋を出て行った。
 誰もいなくなった静かな部屋で、彼女の口から鈴が鳴るような笑い声が漏れる。

「ふふっ……。まさか、こんなありきたりな手段に出るとはね……」

 手紙の文字はエリオットのものではなく、ロベールの筆跡だった。
 彼はセシリアにだけ伝わるよう、ある情報を手紙にそっと忍ばせており、それを読んだ彼女は全てを悟ったのだ。
 今夜、エリオットが邸へと帰らないのは、ロベールがそう誘導したからだと。

「”今宵、ご当主様は瓜単語ウリを召し上がるでしょう”か……。ふふっ、なかなか洒落たこと書いてくれるじゃない」

 この『瓜』とはキャサリンのことを指しているのだろう。それというのも、よくセシリアが彼女のことを『ウリ坊』と呼んでいるから。
 彼女の猪突猛進な性格から最初は『イノシシ』と呼んでいた。だが、母親のオニキス子爵夫人の方が見た目も迫力もその名に相応しい。母親に比べるとキャサリンはイノシシの子供の『ウリ坊』のようだとロベールに話し、そこから隠語にも使えるからと彼女をそう呼んでいた。

 ちなみに、本来の主であるオニキス子爵夫人とその娘が嘲られているというのに、ロベールは怒りの色一つ見せず、ただ身を震わせて笑っていたのである。言い得て妙だと。

 この背景を踏まえると、彼の書いた言葉は今夜エリオットとキャサリンが結ばれることを示しているのだろう。
 おそらく今日も彼等はひっそりと逢引きをしており、そこで急な雨に降られて帰宅困難なので致し方なくどこかの宿屋で一泊……とかいう恋愛小説などでありきたりな展開がロベールの誘導により成立したのかもしれない。
 多分、彼は「急なご利用でしたので、お部屋の空きが一室しかございませんでした」とか上手いことを言って二人を同じ部屋に泊まらせたのだろう。若い男女、しかも互いに想い合っている状況で一晩を共にすれば、どうなるかは想像に難くない。

「……そうか。ロベールの案とは、こういうことだったのね」

 数日前に彼はこう言った。密室に長時間押し込めれば自然とそういう展開になるはずです、と。
 セシリアにはそのやり方が無茶すぎて、とても現実的だとは思えなかった。一見簡単そうに思えるが、婚前交渉を拒んでいるエリオットがキャサリンと密室で二人きりになるとは考えにくい。
 
 しかし、雨で帰宅困難なので仕方なく……という理由がつけば、あの流されやすいエリオットは簡単に受け入れるだろう。もしかするとロベールは近々大雨が降ることを知っていたのだろうか。だとすれば流石としか言いようがない。

 セシリアがロベールの手法に感心していたそのとき、突然、廊下を走る革靴の音が響いてきた。

「おくつろぎ中のところ申し訳ございません。奥様、領地より急を要する報せが届いております」

 額に汗を滲ませた執事の緊迫した様子にセシリアの表情がわずかに引き締まる。

「……内容は?」

「はい、領地の川が溢れ、畑が一部流されたとのこと。家屋にも被害が出ているようです」

 セシリアは椅子からすぐに立ち上がり、執事へと目を向けた。
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