今更、話すことなどございません

わらびもち

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過去の選択の過ち

「貴族家の当主たる者にとって、つめの甘さは致命傷となります。大丈夫だろうと呑気に構えてはいたからこんなことになるのです」

 辛辣な執事の言葉に伯爵は思わず唖然とした。だがすぐに顔を赤らめ、机を叩く。

「なんだその物言いは! 主人に対してあまりにも無礼だろう……!」

「……ええ、無礼と承知の上ゆえこれまでは言葉を選んでまいりました。されど、このままでは建国より続くベネディクト家が滅びるやもしれません。先代の頃より仕えてきた身としてそれを見過ごすことはできませぬ」

 射貫くような執事の視線と家が滅びるという言葉に圧倒され、伯爵は再び口を閉ざした。

「再婚なさって以降、旦那様は悪手ばかりを重ねておられる。奥様と若様を野放しにされた結果がエセル様の家出でございましょう。ならば、お二人から目を離してはならぬと、なぜご理解なさらぬのです」

「…………ッ!!」

 あまりにも的確な指摘に伯爵は息を呑んだ。声も出せぬまま、ただ言葉を失う。

「身内に問題を起こしかねない者がいれば目を光らせ、注意だけで終わらせてはなりません。それが家を統べる当主の務めにございます」

「……息子ばかりか、妻にまで目を光らせねばならないのか」
 
 息子に目を光らせることは父親としての責務としてまだ納得できる。だが、本来支えとなるべき伴侶がまるで手のかかる子供のようで――それが何より堪えた。

「まるで被害者のように振る舞うのはおやめ下さい。そんな奥様をお選びになったのは、他ならぬ旦那様なのですから。その責任はとらねばなりません」

 伯爵はその言葉に頭を殴られたかのような衝撃を受けた。
 まさにその通りだった。幼稚で、支えになるどころか害ばかりもたらす女を妻に選んだのは他ならぬ自分だ。
 それでもなお、どこかで己を被害者のように見なしていた。あのような女を妻に持った己はなんと不運であろうかと。人を見る目を備えてこそ務まる貴族家の当主がこの体たらく。情けなさのあまり両手で頭を抱えて項垂れた。

「そうだったな……。お前の言う通りだ。あれを妻に選んだのは他ならぬ私自身だ。ならば……責任をとらねばならないな」

「……ご理解いただけたようで、何よりでございます。では、事態が収束するまで奥様にはお部屋にてお過ごしいただきます。旦那様は直ちに王太后陛下へ謝罪文をお書きください。王族の不興は個人ではなく“家”に向けられるもの。いかに奥様が仕出かされたことであろうとも、旦那様の監督不行き届きに変わりはございません。それを踏まえた謝意をどうかお示しくださいませ」

「ああ……そうだな」

 執事の言葉が胸に重くのしかかる。個人の過ちは家の評価に直結するのだと分かっていたはずなのに、頭ではなく心でしか理解していなかった。楽観的に考えていた自分の愚かさを痛感せずにはいられない。

「では、すぐに書状の準備を整えます」

 無駄のない動きで執事がインク壺や羽ペンを整えていく。その静かな手際を眺めながら伯爵はぽつりと呟いた。

「事態が落ち着いたら……離縁した方がいいのかもしれないな……」

 その呟きを耳にした執事は伯爵の方へと顔を向けることなく「それはおやめになった方がよろしいかと存じます」とすげなく返す。てっきり同意してもらえるものと思っていた伯爵は驚きのあまり椅子から立ち上がった。

「は……? 何故だ。妻が伯爵夫人としての資質を欠いているのは明らかだろう……?」

「離縁に反対しているわけではございません。問題は時期にございます。貴族の離縁は婚姻三年を経てからと定められておりますゆえ」

「それは分かっている。だが、特例で裁判による離縁は認められているだろう?」

「確かにそうでございますが……それは婚家で虐げられている哀れなご婦人を救うための特例です。妻に選んだ女性が気に食わないから早く追い出したいがためのものではございません」

「なんだその言い方は! それではまるで私が、自ら選んだ妻が気に入らぬからと我儘で離縁する男のようではないか!」

「はい、今おっしゃったように世間は旦那様をそのような方だとみなすでしょう。自分で選んだ妻だというのに、裁判をしてまで離縁したいのかと呆れられてしまうことは想像に難くありません」

「なぜそうなる!?」

「奥様は旦那様ご自身がお選びになったお方。社交界もその事実をよく存じております。身分の低い未亡人を伴侶に選んだ、と一時期社交界で評判の的でございました」

「…………」

 改めて指摘されると、自らの選択が一般的ではなかったことを否応なく思い知らされる。
 常から外れたことをすれば注目されるのも当然だと。

「そんなお方を“女主人として使えない”という理由で手放されれば――」

 執事はわずかに間を置き、言葉を選ぶようにして告げる。

「旦那様は“人を見る目のない方”と見なされましょう」

「……そう、なのか?」

「はい。社交界とはそういう場所でございます。結婚は契約であると同時に、評価でもございます。誰を伴侶に選ぶか、それ自体が旦那様の価値を示すもの」

 執事の声は淡々としているが、刃のように鋭い。

「一度選んだものを、使えないからとすぐに投げ出す。――それは“軽率”と評されましょう」

「……」

「加えて“礼儀知らずの女性だと見抜けなかった”とも囁かれましょうな」

「……つまり私は愚か者扱いされると?」

「率直に申し上げれば、その通りでございます」

 執事の言葉のあとにしばし部屋の中に沈黙が落ちる。
 しばらくして、伯爵は重々しくため息をついた。

「分かった。離縁は保留にする」

「それがよろしいかと思われます。では、速やかに謝罪文をお書きいただければと存じます」

「ああ……」

 重苦しい表情で伯爵は筆を執った。過去の選択の過ちを酷く悔やみながら。

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