王妃となったアンゼリカ

わらびもち

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初めての感情

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「お嬢様、お言いつけ通りにスミス家の別邸をして参りました」

「ご苦労様。近隣への被害は?」

「ございません。邸が燃えたのを確認し、近隣に火が広まる前に消火しましたので」

「結構。よくやったわ」

 グリフォン公爵邸の私室にて、アンゼリカは眼前に跪く従僕に労いの言葉をかける。そしてサイドテーブルの引き出しを開け、金貨の詰まった袋を取り出した。

「貴方の仕事ぶりは見事だわ。これからもよろしくね」

 金貨の詰まった袋を差し出すと、従僕は嬉しそうに顔を赤らめた。
 大盤振る舞いの報酬は勿論嬉しいが、それ以上にアンゼリカに褒められたことが嬉しくてたまらない。

「お嬢様からそのようなお言葉を頂けるなど勿体ない事にございます」

 恭しく金貨を受け取った従僕は、何かを思い出したかのようにハッと顔をあげ、ポケットの辺りを探った。

「そういえばスミス男爵がこれをお嬢様にと……」

「これは? まあ……随分と独特なデザインの懐中時計ね……」

 従僕が手渡したそれは男物の懐中時計。ゴテゴテした派手なデザインにアンゼリカは目を丸くして驚いた。
「どうやら、あの別邸にあったらしいです。持ち主に返すわけにも、自分で持っているわけにもいかないのでお嬢様に預かって頂きたいと」

「まあ、それはそうよね……。分かったわ、預かりましょう」

 じっとその懐中時計を眺めながらアンゼリカは従僕に「下がっていいわよ」と告げる。

「では、失礼します。何かありましたらまたお呼びください」

「ええ。あ……サラにお茶を運ぶよう伝えてくれる?」

「畏まりました。伝えておきます」

 従僕は恭しく頭を下げ、そのまま部屋を後にした。
 誰もいなくなった部屋でアンゼリカは一人じっと懐中時計を眺め、ポツリと呟く。

「殿下はこういう奇抜で独特な物を好まれるのね……。女性の趣味もそうなのかしら?」

 ずっと不思議ではあった。ミラージュという最高の女性と婚約を結べたのに、どうしたあの何もかもが劣っている令嬢を寵愛しているのだろうと。

 ただ、この時計のようにそれが王太子のだというのであれば納得できる。女性の趣味もそういう奇抜で独特なものなのだろう。

「だったら……今更ミラージュ様に再婚約を迫ることもないでしょうに。困った人……」

 スミス男爵より王太子が密会の場でミラージュと再婚約を結ぶと話していたと聞き、嫌な気持ちになった。

 それは決して『自分と婚約しているのに別の女と婚約を結ぼうとするなんて!』という悋気ではない。どちらかというと、再びミラージュを利用しようとしている王太子の独善的で浅はかな部分に嫌悪感が走った、という方が正しい。

 分かっていたことだ。あの精神が未熟な王太子は目先の欲しか見ていない。
だから、何一つ自分の思い通りにさせてくれない婚約者よりも元婚約者の方がよかったと安直に考え、縋ろうとする。

「そうなるとサラマンドラ夫人はお喜びになるでしょうけど……」

 夫人はきっと「それ見たことか」と嬉々として王太子を詰めるだろう。
 お前が捨てた娘を今更欲しくなってもあげやしない、と。
 再婚約など決して受け入れるはずがない。

 それを理解していながらもアンゼリカの嫌な気分は心に停滞したままだ。

「失礼します。お茶をお持ちしました」

 専属侍女のサラの声が聞こえ、アンゼリカはそちらに顔を向けた。
 入室に許可を出すと、サラは扉を開けてティーワゴンを押しながら入ってくる。

「お待たせいたしました……ん? あれ? お嬢様、どうされたんですか?」

 お茶を注いだカップをアンゼリカの前に置こうとしたサラが驚いたようにそう尋ねた。

「え? どうしたって……何が?」

「いえ……その、大分険しいお顔をされていらっしゃいますので……」

 険しい顔? わたくしが?

 アンゼリカはサラの指摘に驚いた。
 感情の起伏が乏しい自分がそんな指摘をされたのは初めてだ。

「珍しい……といより、初めてですよね。お嬢様がそんなお顔をされるなんて……。一体何があったのです?」

 サラの質問に、アンゼリカは自分の心の内にある何ともいえない感情を伝えてみた。すると彼女は驚愕して目を見開く。

「まあ……! お嬢様が誰かの為に怒るなんて初めてですね?」

「誰かの為に怒る……?」

 言葉の意味は分かるが、それがどういったものなのかは理解できない。
 首を傾げるアンゼリカにサラはこう尋ねた。

「お嬢様はあの阿呆な王太子が再びミラージュ様に迷惑をかけることが嫌なのではないでしょうか?」

「え……? そんなことはないはずよ? だって別にわたくしとミラージュ様の時間を邪魔されるというわけではないのだし……」

 アンゼリカが王太子を始めとしたミラージュを傷つけた面々に報復しているのは、彼等がミラージュとの語らいの時間を奪ったからだ。自分の楽しみを奪われたのだから、彼等の楽しみを全て奪ってやるという考えのもとしたこと。

 それにその時は今のような嫌な気持ちは抱かなかった。
 ただ淡々と報復を仕掛けるとしか考えておらず、そこまで感情の起伏も無かった。

「以前のお嬢様ならばそうでしょうけど、今は違うのではないですか? 大切な人を傷つける人間に対して怒りを抱いていると、サラはそう思います。ミラージュ様を傷つけた分際で今更縋りつくなど許せないと、そう思っているのでは?」

 サラにそう指摘され、アンゼリカは何とも言えない顔を見せた。

「分からないの……。自分の気持ちなのに分からないなんて……初めてだわ」

「初めての感情に戸惑うのは皆同じですよ。ご自分の気持ちを無理に理解しようとせず、ゆっくりと折り合いをつければよろしいかと」

 他者の為に怒ることが出来なかった主人にその感情が芽生えた。
 サラはそれを微笑ましくも嬉しく思い、初めての感情に戸惑う主人を可愛らしく思った。そういえば、主人に“可愛らしい”と思ったのもこれが初めてだ。

「これが他者の為に怒るという感情……。こんな、心の中から何かが湧き上がるような激しい感情、皆疲れないのかしら……?」

 感情の起伏が乏しいアンゼリカにとって、こんな奥から沸き上がるような激しい感情を持ったのは初めてだ。そのせいか、心が疲労するという未知の状態に対して耐性がなく戸惑ってしまう。

「疲れますよ。ですが、そういうものです。喜怒哀楽の感情とは疲労と一体ですもの。ご安心ください、すぐに慣れますので」

「慣れる……そういうものなのね……」

 納得したように頷き、アンゼリカはふと何かを思い出した。

(そういえば……今まで感じたことのない変な気持ちになるのよね。あれも喜怒哀楽の一種なのかしら?)

 それはからの手紙を読む時だ。
 ただの文字の羅列を読んでいるだけなのに、妙に心がフワフワと浮遊するような心地に陥る。

「それで王太子はどうなさいますか? サラマンドラ邸へ突撃する前に止めましょうか?」

「いえ、いいわ。公爵夫人か公子様が何とかなさるでしょうから……」

 そこまで言ってアンゼリカは「ん?」と首を傾げた。

「お嬢様? どうなさいましたか?」

「いえ、なんでもないわ」

 今、再び心にフワフワとした感覚が走った。
 この自分でもよく分からない気持ちをやり過ごすようにアンゼリカは温くなったお茶を飲みほした。
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